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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000196113
提供館
(Library)
長野市立長野図書館 (2310222)管理番号
(Control number)
長野市立長野-16-010
事例作成日
(Creation date)
2016年8月13日登録日時
(Registration date)
2016年08月18日 11時49分更新日時
(Last update)
2017年05月19日 17時50分
質問
(Question)
下諏訪神宮寺三重塔の建立と廃滅年を探している。出来たら当時の高さなども知りたい。
回答
(Answer)
最初の建立は不明。

天正五年(1577)に落成しているが「宝塔がなくなって久しく」とあるので、再建かと思われる。

神宮寺は金刺家が没落後、一時荒廃し、武田氏によって再興したということであるから、一時は廃滅したのであろうが、その明確な年は不明である。

最終的な廃滅年は明治元年六月。
当時の高さなどに関しては不明。
回答プロセス
(Answering process)
下社神宮寺については『茅野市史 中巻』に記述あり。p246より、
「鎌倉・室町時代に殷盛を極めたと伝えられるが、戦国時代になってから、大祝(おおほうり)金刺家の没落により一時荒廃した。しかし、武田信玄・勝頼父子の助力と寄進を得て復興し下社神宮寺の主班として重んぜられた」という。
塔の記述としては、8行目「延宝七年(一六九八)の古図には、秋宮東南部山王台の千住堂を中信として、三重塔・仁王院・弥勒堂などが配置されていた。」とある。

『諏訪市史 上巻』p734の7行目
「下社においても正安二年(一三〇〇)に大祝金刺満貞の尽力で、鎌倉建長寺住持一山一寧を招じ、慈雲寺(臨済宗)を開山した。」

『下諏訪町誌 上巻 増訂』p852
「天正二年八月千手堂落成後、直ちに、三重塔が起工された。その落成は天正四年と思われるが月日を明らかにしない。而して天正五年三月三日、盛大な塔供養の法会が行われた。その趣は桃井氏所蔵「諏訪下社三重塔供養牌寫」の伝うるところである。」
「これによれば下社三重塔は諏方春芳が勝頼の命を受け、私財を喜捨して建立したもので、春芳豪富の程が思い遣られる。同人は蔵前衆の頭目で、「甲陽軍艦」には高島の地下人とあるが、おそらく町人であり、その商売は深く武田氏の政治権力と結合し、もってこの富を致したと想われる。」

『諏訪大社』p142
「三重塔には天正五年三月三日の棟札があり、「宝塔がなくなって久しくその形を見ず、いたずらに礎石のみがあり、春芳が勝頼の命をうけ、天正二年から私財を投じてここに落成を見た」とあり、(後略)」とあり。
p141には下社神宮寺の境内図があり、p140によると、「文化か文政のころ寺でつくったものと思われる」とあり。

『下諏訪町誌 上巻 増訂』
p1010、延宝七年の「下社社例記」の秋宮の項に、「三層塔安置大日如来」が見えるとある。


塔の建立についての資料がこれ以上出てこなかったため、廃滅について調べることにする。

『諏訪市史 中巻』p903から上社神宮寺の廃滅についての中に、わずかながら下社の記述がみられる。
ここでは、鑑察使一行が下社に向かったが仏罰を恐れる人々が総じて動かず難航し、見かねた藩や社方が一行を帰らせたという内容のみであった。

『下諏訪町誌 上巻 増訂』p856
「明治元年三月、日本の革命政府は、神仏混淆を禁じ、神社内から仏教を放逐した。これにより同年六月、下社神宮寺は撤去され、同時に三重塔及び仏教関係の建物は、総て取払われてしまった。」とあり。

『下諏訪町誌 下巻 増訂』p605には下諏訪神宮寺の項で三重塔の建立、廃滅に関して少量であるが類似の記述が見られる。


他記述があったものとして、

『諏訪大神の信仰』p131
「三重塔は千手堂の東方に当り、天正五年武田勝頼が父信玄の菩提を弔うために建立されたものといい、…(中略)古老の伝えるところを記すと、高塔巍々として緑樹翠葉に映じ、下層の塔内二間四面、金銀珠玉をちりばめ華飾荘厳伯仲の間なりといわれた。…(中略)明治維新の神仏分離で両寺はじめ梵鐘堂塔ことごとく破却されてしまった。」

また『新編 明治維新神仏分離史料 5』p456下宮の堂塔のなかに三重塔の記述あり。p457の8行目に、「上宮下宮の諸寺は皆廃絶に帰し、記録等も棄却させられたので、創立沿革等を詳にする便宜を欠いている」とあった。


これ以上のことが分からなかったため、以上をもって案内とした。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
『茅野市史 中巻』茅野市/編集 茅野市 1987 <N241チ2> (p142-146(天正十年織田信忠の高遠城陥落から諏訪侵入まで。信忠が諏訪入りの際、神社等を焼き討ちにしたとされる記載))
『諏訪市史 上巻』諏訪市史編纂委員会/編 諏訪市 1985 <N241ス1> (p734)
『下諏訪町誌 上巻 増訂』 下諏訪町誌増補版編纂審議会/編 甲陽書房 1985 <N241シ1> (p852、p856、p1010(秋宮 三層塔安置大日如来))
『諏訪大社』信濃毎日新聞社/編 信濃毎日新聞社 1980.03 <N174ス> (p140-144 下社神宮寺)
『諏訪市史 中巻』諏訪市史編纂委員会/編 諏訪市 1988 <N241ス2>
『下諏訪町誌 下巻 増訂』 下諏訪町誌増補版編纂審議会/編 甲陽書房 1969 <N241シ2> (p605-610「下社神宮寺」)
『諏訪大神の信仰』宮坂 喜十/著 下諏訪町博物館 1979.7 <N241 ミ> (p131「七九 維新前諏訪下社関係の寺院堂塔」)
『新編 明治維新神仏分離史料 5』 辻 善之助/編 名著出版 1983 <162メ5> (p451下諏訪慈雲寺の縁起から p455下宮同社地の堂塔に三重塔の記述のみ)
『諏訪史料叢書 復刻 第5巻』 諏訪教育会/編 諏訪 中央企画 1984 <N241ス5> (p316「諏訪下社三重塔棟札(寫)」)
『諏訪史料叢書 復刻 第3巻』 諏訪教育会/編 諏訪 中央企画 1983 <N241ス3> (p215(神長官文書「諏訪頼忠神興再造事書(写)」))
キーワード
(Keywords)
下諏訪神宮寺 三重塔  下社  下宮
秋宮
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000196113解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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