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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000195910
提供館
(Library)
沖縄県立図書館 (2110045)管理番号
(Control number)
1000000859
事例作成日
(Creation date)
2016/08/16登録日時
(Registration date)
2016年08月17日 00時30分更新日時
(Last update)
2016年08月17日 11時44分
質問
(Question)
米軍占領下にある沖縄で、琉球大学が首里城跡地に建設された経緯について知りたい。
回答
(Answer)

『国立大学法人琉球大学60年誌 琉球大学の歴史』(琉球大学開学60周年記念誌編集委員会編、琉球大学、2010.5)
p20-21「第2章 大学の創立 第1節 ウェッカリング准将と敷地選定」の項で「ウェッカリングの2度目の沖縄訪問の前に、山城篤男とアーサー・ミードは大学敷地を選定するために首里周辺を視察した。軍政府側は、最初、現在の首里高校と観音堂の間にある土地を提案してきた。見晴らしのいい場所であった。しかし、山城は「そんな狭いところに大学はたてられない」と反対した。(略)現在は厚生園がある石嶺の敷地にも行ってみた。ミードは那覇に適当な土地はないかときいた。これに対し、適当な場所はない、と山城は答えた。それから、もっといいところがあると言って、山城はミードを首里城跡に案内した。ミードは、「これは素晴らしい所だといっぺんにほれこんで」しまった。(略)12月30日、ウェッカリングが来島すると、山城は又吉副知事、歴史家の島袋全発らとともにウェッカリングを首里城に案内した。(略)島袋の首里城一帯の歴史の説明に耳をかたむけていたウェッカリングは、「ここが琉球の政治と教育に縁の深いところであることに着目し、大学を設立するのにふさわしい所であること、沖縄の政治及び教育との因縁が深い所であることを認め」、「ここを大学の敷地とすることに意見が一致した」のであった。」とある。
さらに、「首里城跡の使用については、民政府部長会議でさまざまな意見が出ていた。すなわち、(1)公園にして観光地化する案、(2)行政府を城跡にもってくる案、(3)文化的な事業に使用する案などが提案された。この後、知念地区にあった民政府の野外で、首里城跡の利用について「民衆の討議会」が開催された。山城は、「祖先が築いた政治文化の中心を是非、大学のために使おう、もしそれ以外の施設に使ったら、後日、子孫のそしりをまぬかれないだろう」と発言、結局、首里城跡は大学敷地として使用することがもっともふさわしいということになった。」とある。
そのほか、「この敷地決定に関しては、沖縄側の要望または提案によるところが大きい、ということもきわめて興味深いところである。ウェッカリングの同意を得ると、山城はミードとともに首里市長兼島由明と話し合い、首里市議会の承認も得て、城跡を大学敷地として借り受けることになった。さらに、円覚寺跡やハンタン山が尚家の尚裕氏から寄贈された。」とある。


『琉球大学30年』(琉球大学開学30周年記念誌編集委員会∥編、琉球大学、1981.10)
p2「同年9月末、軍政府教育部長スチュアート少佐から沖縄民政府山城篤男文教部長に対し「Junior College の設置を1948年4月1日から開始したいから位置及び教授候補者を取調べて返事せよ」との口頭指令があった。(故山城篤男氏日記 沖縄大学設立事情) 1948年(昭23)7月大学設立案が米軍政府教育副部長H.アール・ディフェンダーファー氏から連合軍総司令部(GHQ)フォクス参謀次長に提出認可された。同年12月連合軍総司令部の琉球局長ジョン.H・ウェッカリング准将が来島し、軍政府教育部長アーサー・E・ミード博士並びに又吉副知事、山城篤男文教部長と共に首里城跡を視察した。この地が琉球の政治、教育に縁りの深い所であることを認め、前教育部長スチュアート中佐の計画に基づき、ここに大学が設立されることになった。」とある。


『[琉球大学]十周年記念誌』(琉球大学編・刊、1961.6)
p23~26「本学の創立」のうちp25「設立の場所がきまった」の中で、 ①と同様の内容について記述を確認できる。


『琉球史料 第三集』(琉球政府文教局研究調査課 編、那覇出版社、1988)
p318 ②と同様の内容について記述を確認できる。


『沖縄の戦後教育史』(沖縄県教育委員会∥編、沖縄県教育委員会、1977.3)
P568 ②と同様の内容について簡略な記述を確認できる。


『戦後の沖縄教育史』(ゴールドン ワ-ナ∥著、日本文化科学社、1972.4)
P72 ②と同様の内容について簡略な記述を確認できる。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
教育史.事情  (372)
大学.高等.専門教育.学術行政  (377)
参考資料
(Reference materials)
1 国立大学法人琉球大学60年誌 琉球大学開学60周年記念誌編集委員会∥編 琉球大学 2010.5 K377/R98 p20
2 琉球大学30年 琉球大学開学30周年記念誌編集委員会∥編 琉球大学 1981.10 K377/R98 2
3 [琉球大学]十周年記念誌 琉球大学∥編集 琉球大学 1961.6 K377/R98 23~26
4 琉球史料 第3集 琉球政府文教局研究調査課∥編 那覇出版社 1988.9 K207/R98/3 318
5 沖縄の戦後教育史 沖縄県教育委員会∥編 沖縄県教育委員会 1977.3 K372/O52 568
6 戦後の沖縄教育史 ゴールドン ワ-ナ∥著 日本文化科学社 1972.4 K372/W39 72
キーワード
(Keywords)
沖縄
琉球大学
教育史
首里城
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
高校生
登録番号
(Registration number)
1000195910解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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