レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月13日
- 登録日時
- 2016/07/28 10:25
- 更新日時
- 2016/07/28 10:39
- 管理番号
- いわき総合-地域439
- 質問
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解決
江戸時代、いわき市平の鎌田あたりは処刑場だったと聞きました。このことについて記述がある資料や、場所が特定できるようなものはありますか?
- 回答
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元文三年(1738)に起きた百姓一揆の指導者らが、平の鎌田河原などで処刑されたという記録が残っています。
次の資料に記述がありました。
『いわき市史 第2巻』(いわき市史編さん委員会 1975)P288-290
『元文磐城百姓一揆』(桜井一平 明治大学校友会石城支部 1959)P30
『元文義民伝』(志賀伝吉 1976)P147-161
『磐城史料稿本 復刻版』(大須賀筠軒)P124
『近代いわき経済史考』(斉藤伊知郎 1976)
P28-35に「元文義民之碑」あり。P35には「鎌田の首切地蔵」が紹介。
『いわきふるさと大百科』(郷土出版社 2007)P106
これらの資料によると、元文三年九月十八日朝、鎌田口、谷川瀬口、白土口、長橋口、平窪口、好間口から平城下に押し寄せた一揆勢は約2万人(諸説あり)といわれています。打ち壊しや焼き払いなども行い、大規模なものでした。
しかし後日、一揆の指導者らは捕えられ、翌元文四年八月に鎌田河原で斬首となりました。
また、「福島民友」(2015年9月20日付いわき特別版)の連載記事「いわき絵図探訪」では、「磐城平城下絵図」(寛政元年 1789)に記された鎌田の刑場が確認でき、鎌田川の河原に「御仕置場」とあるのがわかります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 刑法.刑事法 (326 9版)
- 参考資料
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- 【資料①】『いわき市史 第2巻』[K/210.1-2/イ・1110038583]
- 【資料②】『元文磐城百姓一揆』[K/210.5-1/サ・1110163118]
- 【資料③】『元文義民伝』[K/210.5-1/シ・1111908404]
- 【資料④】『磐城史料稿本 復刻版』[K/210.1-1/オ・1110038815]
- 【資料⑤】『近代いわき経済史考』[K/332/サ・1110055041]
- 【資料⑥】「福島民報」(2015年9月20日付いわき特別版)
- キーワード
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- 元文義民一揆
- 農民一揆
- 処刑場
- 刑場
- 首切り場
- 御仕置場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000195288