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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000189877
提供館
(Library)
北海道立図書館 (2110028)管理番号
(Control number)
参調 15-0001
事例作成日
(Creation date)
2015/04/21登録日時
(Registration date)
2016年03月28日 00時30分更新日時
(Last update)
2016年03月28日 00時30分
質問
(Question)
明治以降の成績表について知りたい。石川啄木の成績表「善・能・可・未・否」、父母は「甲・乙・丙・丁」、兄・姉は「優良可」、その後は「5・4・3・2・1」となっている。これらの評価がいつからいつまで使われているか。また、一番評価の高い「善」「甲」がなぜそうなったのか調査してほしい。
回答
(Answer)
明治以降の成績表の評語の一般的な流れについて調査。

 ①小沢有作「私の学力評価論:教育における能力主義とはなにか」(人文学報.教育学(26):1-53 1991.1.10 )
 首都大学東京機関リポジトリ( http://www.repository.lib.tmu.ac.jp/dspace/handle/10748/3109
(2015.4確認)
 ⇒明治24年~ 甲乙丙丁
  昭和13年~ 優良可(操行)、10点法(操行以外教科目)
  昭和16年~ 優良可(全て)  
【p.7】
 明治24年「小学校教則大綱」の説明書
 点数法による成績表記は「細密ノ学業ノ優劣ヲ評スルニ適スル」が、弊害も多いから、「成績ヲ評スルニハ成ルヘク適当ナル語ヲ用ヒ」るよう提案したことです。そのさい、「点数若クハ上中下等比較的ノ意味ヲ有スルモノ」を使ってはならないと注意しています。(中略)これを転機にして、成績表記にあたっては、点数法の代りに、甲乙丙という三段階でつけるように、だんだん変わっていきました。(この下に落第を意味する丁というランクもありましたが、ほとんど使われなかったようです)。
 ※「小学校教則大綱」(明治24年11月17日文部省令第11号)『明治以降教育制度発達史 3巻』(竜吟社 1938)〔372/203-3/14 1104012990 館内閲覧資料です。〕に掲載。
【p.9】
 甲乙丙という3段階表記は、1938(昭和13)年に姿を消しました。この年の学籍簿改訂によって、操行(優良可の3段階でつける)以外の教科目を10点法でつけることに替えたからです。もっとも、この10点法による表記はわずか3年のいのちでした。小学校が国民学校に衣替えすると同時に、成績は優良可の3段階で表記するように替えられました。


 ②雑誌『季刊教育法 1巻2号』(1971年12月25日 総合労働研究所発行)
  ⇒ 明治~ 甲乙丙丁
    昭和13年~ 優良可(操業)、十点法(成績)
    昭和16年~ 優良可
    昭和23年~ 五段階(+2~-2)
    昭和30年~ 五段階 54321
【p.140~141】
 学籍簿の1938年(昭和13年1月29日文部省令第2号)の改訂について
 様式の「注意事項」(※1)によれば、「学業成績中教科ノ成績ハ十点法ニ依リ操業ハ優良可ノ区別ニ依リ記入スルコト」と教科の成績評定方法として、「十点法」がはじめて省令によって規定された。
1941(昭和16)年の改訂は、「注意事項」が削除され、ほぼそれに相当するものが布達の通牒としてだされた。これらによれば、学籍簿を「教育上ノ資料トシテ之を活用」するようにとのことで、各教科の成績記入は「十点ヲ優、良、可ノ評語記入ニ改メタ」(※2)
 ※1『近代日本教育制度史料 第2巻』(講談社 1956) p.207
 ※2『国民学校制度に関する解説』文部省通学局1942 p.31「国民学校の学籍簿に就いて」国立国会図書館デジタルコレクション( http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271114 )(2015.4調査)
【p.141】
 文部省は、学校教育局長通達「小学校の学籍簿について」(1948年11月12日)において様式を参考案として示した。(中略)「学習の記録」欄は、各教科の分析項目ごとに五段階(+2~-2)評定(※3)で記入し、その他は文章記入となっている。
 ※3『文部行政資料(終戦教育事務処理提要)第4集』(国書刊行会 1997)p.177~184
【p.142】
 「学籍簿」が「指導要録」となる。
 第1回改訂は、文部省初等中等教育局長・大学学術局長通達「小学校、中学校および高等学校の指導要録の改訂について」(1955年9月13日付)(※4)「学習の記録」欄の評定は、各教科の分析項目ごとに記入するのを改め、各教科について教科単位に、54321の五段階表示で記入することとされた
 ※4『新指導要録の解説と記入法』(新光閣 1955)
【p.161】〈付〉文部省通達文p.7
【p.143】
 (一)戦前の通信簿
 明治24年「小学校教則大綱説明書」(※5)をみると、「其成績ヲ評スルニハ成ルヘク適当ナル語ヲ用ヒ点数若クハ上中下等比較的ノ意味ヲ有スルモノヲ用ヒサルヲ可トス」とかあるが、おそらくこの頃から、通信簿がしだいに普及していったものと思われる。学習成績の評定は、明治・大正・昭和の初期にかけて、一〇〇点、一〇点、上中下、甲乙丙などの評語が使用され、1938年からは学籍簿にならい、教科は一〇点、操行は優良可で記入されたが、1941年からは教科も優良可で記入することに改めそれを固定化することとなった。
 ※5『明治以降教育制度発達史 3巻』(竜吟社 1938)p.103


 通知表については、各学校により異なる。
 ①の資料に次のとおり記述されている。
【p.11】
 通信簿の始まりについては、1880(明治13)年前後から自生的に起こり、1891(明治24)年の「小学校教則大綱」で「学校ト家庭ト気脈ヲ通スルノ方法」として公認されてから、各地の学校で広く使用されるようになった(中略)その様式も記述のしかたも、さらには発行の有無も、各学校の裁量に委されていました。それは学校が生徒の評価を私的に過程に伝えるという性格のものでした。

 ③『岩手近代教育史 第1巻 明治編』(岩手県教育委員会 1981)〔372.122/I/1 1102290036〕には次の記述があります。
【p.966~969】
 ・「明治23年10月、勅令第215号小学校令第12条第2項ニ基キ、小学校教則ヲ定ムルコト、左ノ如シ。明治25年3月19日 岩手県知事 服部一三」
 「小学校教則」
 第三章 試験
 第28条 学業及び行状の成績は之を五段に分ち、左の評語を以て表すべし。
 善 成績完全ナルモノ
 能 成績較々完全ナルモノ
 可 成績完全ト不完全と相半スルモノ
 未 成績不完全ノ方多キモノ
 否 成績不完全ナルモノ


 石川啄木の時代の評語については、岩手県立図書館にも照会。
 (回答内容はレファレンス協同データベースに登録済。管理番号岩手-225)


 「甲」が評価の高い評語となった経緯については、古くから評価や階級に使われていましたが、明治時代の通知票に採用された経緯としては確認できず。
 参考までに、江戸時代以前に「甲」「乙」「丙」が登場する資料について紹介。

④『日本古代学校の研究』久本幸男〔著〕(玉川大学出版部 1990)〔372.1/NI 11023119173〕
 ⇒日本の古代学制は唐にならったものである。
  【p.62】 学業をおえた学生は、唐では科挙の制により、わが国では貢挙の制によって、正負の行う任官試験をうけ、官人として就職した。
  【p.64】 進士科の試験 
策・帖ともに全部合格すれば甲、策が二題とも合格で、帖試に六題以上の正解を得れば乙の評定が与えられる。
  【p.65】  第七表 任官(卒業)試験合格者に与えられる位階 (抜粋)
       (科)進士 (成績)甲 (位階) 従八位下(日本)
       (科)進士 (成績)乙 (位階) 大初位上(日本)
 
⑤『小学校生徒成績考査法:新令適用』比佐祐次郎〔著〕(六合館 明治34)
 国立国会図書館デジタルコレクション( http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809805 )(2015.4調査)
【p.52~53】第十四章 成績表示法 第三 十干法
 点数を附せずして、甲乙の符号を附するの方法なり。事物の優劣を判定するに臨み、此符号を使用したりし事は何時より始まりしやは、確知するを得ざれ共、大方徳川時代の寺子屋などにて用いしものならん。

⑥『江戸幕府試験制度史の研究』橋本昭彦〔著〕(風間書房 1993)
【p.60~61】
 第二回学問吟味の試験日程が一通り済んだ寛政六年三月十日、林大学頭から幕府当局にあてて「学問御吟味之儀ニ付申上候書付」が出された。(中略)第一、第二項においては及第の等級の呼称を前年の「抜粋」「合格」から「甲科」「乙科」に改めている。(中略)このたびは新たに「丙科」の等級を設けて
【p.71】
 各個人別の総合評定は、「甲乙丙落之別は、儒者衆不残大学頭殿御控席に於て評論有之候」とあるように、先に求めた平均等数などを判定材料として儒者一同の合議で決定された。

参考までに、北海道の明治の評語について調査。
⑦『北海道教育史〔第1〕第3』(北海道教育研究所 1963)
【p.104】
 明治33年8月に「小学校令施行規則」が制定され、試験による考査が廃止されたことによって、それに代わる評価方法を具体化しなければならない。
 明治33年に北海道師範学校附属小学校では、はじめて通信箋を制定した。その要領は、百点法によって掲記し、ある課目が四十点以下で、しかも平均点が六十点以下の場合は落第と定め、採点法は教師平素の評価によっている。
【p.105】
 評価法についての個人研究としては、井沢広曹の「従来の試験に代わるべき成績考査の方法如何」(『北海道教育雑誌』明治34年4、5月)があり、これは北海道教育会の推奨をうけたものである。評点は十点満点法がよく、家庭へは評語をもって通知する。甲は十、九点、乙は八、七点、丙は六、五、四点、丁は三点以下とし、丁は落第とする。
【p.106】
 文部省は「小学校令施行規則」第23条で成績考査についての方針をきめたが、道庁においても、明治35年1月、児童成績考査法について通牒を発した。道内各地の研究も進み、標準化するめどがついたためであろう。それによると、考査は毎学期二回以上、教科と操行について評定し、評点は、甲(十、九点)、乙(八、七)点、丙(六、五、四)点、丁(三点以下)に区分し、四点以上を合格とする。家庭へは、甲・乙・丙・丁の評語をもって通知する、等である。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
教育史.事情  (372 7版)
参考資料
(Reference materials)
1 季刊教育法 通巻2号 総合労働研究所 総合労働研究所 1971 Z201

2 岩手近代教育史 第1巻 明治編 岩手県教育委員会∥編 岩手県教育委員会 1981.3 372.122/I/1

3 新指導要録の解説と記入法 小見山栄一∥編 新光閣 1955 374.15/KO

4 明治以降教育制度発達史 第3巻 文部省内教育史編纂会?編修 竜吟社 1938 372/203-3/14

5 終戦教育事務処理提要 第4輯 文部大臣官房文書課∥編 文泉堂 1980 373.1/MO/4

6 北海道教育史 [第1] 第3 全道編 北海道立教育研究所∥編 北海道教育委員会 1963 372.1/HO/Z-3

7 近代日本教育制度史料 第2巻 近代日本教育制度史料編纂会∥編 大日本雄弁会講談社 1956 373/KI/2

8 日本古代学校の研究 久木幸男∥著 玉川大学出版部 1990.7 372.1/NI

9 江戸幕府試験制度史の研究 橋本昭彦∥著 風間書房 1993.2 372.105/E

10 北海道教育雑誌 第11巻 上 明治34年1月?6月 第96号?101号 文化評論社 1984.11 Z/HO/11-1

1 教育評価の原理と方法 林部 一二∥著 明治図書 371.8/HA
キーワード
(Keywords)
成績表
通信簿
学籍簿
照会先
(Institution or person inquired for advice)
岩手県立図書館
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事項調査
内容種別
(Type of subject)
その他
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000189877解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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