1.兄の栃木大学については下記の資料に記述がありました。
(1)『会津人物文献目録』野口信一/編纂 歴史春秋社 1980
会津人、会津関係者の伝記に関する文献の目録です。
p220 「栃木大学」の項があり、収録文献は下記の2点です。
①『会津会々報 第8号』古河末東/著 会津会 1916
②『幕末会津志士伝 孤忠録』広沢安宅/著 1923
(2)『要略 会津藩諸士系譜 下巻』芳賀幸雄/編著 歴史春秋出版 2001
『諸氏系譜』(班席が独礼以上の藩士を収録、全360巻、文政6年時点で当主であったものの苗字をいろは順に類別)を基本史料としています。
典拠史料として『御近習分限帳』『外様分限帳』『御近習人別帳』『外様人別帳』『御通人別帳』が用いられています。
p85 「栃木縫之丞勝元」の項に
「外様分限帳[文久元年~文久二年] 人名・栃木熊之助 班席役職・番組 禄高御役料・100石」と記載があります。
『会津会々報 第8号』に「兄を大学といい(初熊之助)」とあるので、栃木大学のことではないかと思われます。
※『外様分限帳』(文久元年から文久二年までの会津藩士(外様「武官」)の名簿)
(3)『幕末会津志士伝 一名孤忠録』広沢安宅/著 1923
p135「明治四年九月八日小塚原の刑場に於て斬に処せられる享年三十五同所回向院(両国回向院の別寺)に戒名を残す曰く紹照居士」とあります。
また、この資料の目次に役職名と人名が書かれており、栃木大学は処士となっていました。
2.以下は、関連記述の確認できなかった資料です。
(1)『慶応年間 会津藩士人名録 附 斗南藩職員録 若松県職員録』会津郷土資料研究所/編 勉強堂書店 1992
(2)『会津の英学』松野良寅/著 歴史春秋社 1991
(3)『会津人物事典 武人編』小島一男/著 歴史春秋出版 1993