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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000188835
提供館
(Library)
大阪府立中央図書館 (2120005)管理番号
(Control number)
6001012985
事例作成日
(Creation date)
2015/10/10登録日時
(Registration date)
2016年03月04日 00時30分更新日時
(Last update)
2016年03月04日 00時30分
質問
(Question)
関ヶ原の戦いで岐阜城の稲葉山・権現山砦にいた「松田重大夫」という人物について調べています。
関ヶ原の戦いより前にはどこにいたのか、戦後はどうなったのか。わかるようでしたら家紋も知りたい。
回答
(Answer)
松田重大夫について調査しましたが、岐阜城の戦いに関する記述のみで、松田氏の関ヶ原合戦までとその後、ならびに家紋について記されている資料は見つかりませんでした。
調査した資料のうち「松田重大夫」「松田重太夫」「松田十太夫」の記述がある資料4点を参考までに紹介します。

●『姓氏家系大辞典 第3巻』(太田亮/編 角川書店 1976)
「美濃の松田氏」という項目の記述の中に「松田十太夫」という名が記されています。
美濃の松田氏:当国に多く、松田鷹助(安藤氏家老)・名あり。又岐阜瑞龍寺山慶長5年、織田秀信の臣松田十太夫・據り、後石田三成の臣樫原彦右衛門、及び同内膳・居ると云ふ。(p.5612)
以上が美濃の松田氏に関する記述です。

●『石田三成のすべて』(安藤英男/編 新人物往来社 1985.3)
この資料には「石田三成家臣団事典」が収録されており、松田重太夫という人物が記載されています。
松田重太夫(まつだじゅうだゆう):関ヶ原役に、岐阜城を支援するため、樫原彦右衛門、河瀬左馬助らと共に派遣された。8月21日(慶長5年)、東軍の来攻を新加納・米野の間で要撃したが敗れた。翌日、樫原は瑞竜寺砦を守り、河瀬は岐阜城の外郭を守り、松田は稲葉山砦を守った。しかし、衆寡敵せず、松田も樫原も討死して砦は落ち、河瀬は内城へ走った(『関原軍記大成』)。
この記述の出典となっています『関原軍記大成』は当中央図書館で所蔵しています。第2巻に岐阜城の戦いについての記述があります。
また、この資料は、国立国会図書館の近代デジタルコレクションにて一般公開がされています。国立国会図書館の蔵書検索で閲覧が可能です。

●『斎藤道三と稲葉山城史』(村瀬茂七/著 雄山閣 1973)
p.144~189に岐阜城の戦いについて書かれています。当資料は、本文の記述に関して記述内容に関連する史料が引用されています。その中から松田氏が記載されている史料を紹介します。但し、氏名の記述に「左衛門」や「右衛門」などに混同が見られる箇所があります。
本文:「(秀信は)みずからは、三成の将河瀬左馬助及び柏原彦右衛門・同内膳・大西善左衛門・松田重太夫らの援兵とともに、兵6500余をもって迎撃に決し」(p.144)
・圖志及両国通史:三成其将河瀬左馬助・柏原彦右衛門・同内膳・大西善右衛門・松田重太夫を遣はし(p.145)

本文:「(秀信は各将を集めて)瑞龍寺山方面の砦は柏原彦左衛門・河瀬左馬助・松田重太夫をして守らせた」(p.163)
・引用史料の記述に松田氏の名は見えません。

本文:「松田重太夫の守った権現山の砦も、井伊直政の軍勢に撃破されて、重太夫は将卒とともに討死した」(p.168)
・美濃古城史:瑞龍寺の砦、秀信の臣松田十太夫及び石田三成の臣樫原彦右衛門・同内膳等之を守る。浅野幸長の抜く所となる(p.170)
・圖志:稲葉山の松田十太夫が砦も亦井伊直政の撃破に遭ひて、将卒共に斬殺せらる(p.170)
・両国通史:(瑞龍寺山の砦)山上には柏原彦右衛門・同内膳及び河瀬左馬助・松田重太夫等の兵凡そ三千あり・・・。五百人を重太夫に付し、今の権現山の砦を守らしめたり(p.171)
・両国通史:井伊の隊又権現山の砦に向ふ、重太夫防戦克たず、遂に其の陥るところとなる(p.171)

ここに引用されている史料のうち、『美濃古城史』は当館では所蔵しておりませんが、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧が可能です。『両国通史』は『濃飛両国通史』のようです。この史料は所蔵しております(請求記号:327/193/#)が、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧が可能です。『圖志』に関しては詳細は不明です。

●『日本の戦史 6』(旧参謀本部/編纂 徳間書店 1965)
p.135に上記資料と同様の記述があります。「松田重大夫」の名前が記されている箇所を紹介します。
「(瑞龍寺山の)砦の守将は柏原彦右衛門・同内膳・河瀬左馬助・松田重大夫らで、兵数は約二千。このとき、東軍の攻めて来るのを聞き・・・五百人を重大夫につけて稲葉山砦を守らせた。・・・井伊直政の隊は稲葉山の砦に向かい、重大夫は防戦かなわず、ついに敗退してしまった」との記述があります。

なお家紋についても調査しましたが、松田氏で丸に九曜の家紋を使用している記述のある資料は見つかりませんでした。
こちらも参考までに資料2点紹介します。

●『日本家紋総鑑』(千鹿野茂/著 角川書店 1993.3)
p.663に「丸に九曜」の項目があり、記載されている姓は「大出氏、押田氏(清和源氏義隆流)、土屋氏、津島氏、金丸氏(甲斐国より起こる清和源氏一色氏族)、伊東(藤)氏」です。

●『都道府県別姓氏家紋大事典:西日本編』(千鹿野茂/著 柏書房 2004.6)
「高知県姓氏家紋早見表」が収録されており、松田姓の家紋は「亀甲に違い鷹の羽」「鶴の丸」「丸に九枚笹」「丸に左二つ巴」となっており、出自はいずれも「藤秀郷流波多野氏族」と記されています。

●『都道府県別姓氏家紋大事典:東日本編』(千鹿野茂/著 柏書房 2004.6)
「岐阜県姓氏家紋早見表」が収録されており、松田せいの家紋が4件きされています。「丸に五三桐」は出自が「宇源氏佐々木氏族」、「丸に抱き茗荷」「右三つ巴」「三つ松」はいずれ出自も「相模・藤秀郷流」と記されています。

[事例作成日:2015年10月10日]
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
系譜.家史.皇室  (288 8版)
参考資料
(Reference materials)
姓氏家系大辞典 第3巻 太田/亮∥編 角川書店 1976 (5612)
石田三成のすべて 安藤/英男∥編 新人物往来社 1985.3 (211)
斎藤道三と稲葉山城史 村瀬茂七著 雄山閣 1973 (144-189)
日本の戦史 6 旧参謀本部∥編纂 徳間書店 1965 (135)
日本家紋総鑑 千鹿野/茂∥著 角川書店 1993.3 (663)
都道府県別姓氏家紋大事典 西日本編 千鹿野/茂∥著 柏書房 2004.6 (605)
都道府県別姓氏家紋大事典 東日本編 千鹿野/茂∥著 柏書房 2004.6
http://www.ndl.go.jp/  (国立国会図書館ホームページ(2015.10.10現在))
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
書誌事項調査
内容種別
(Type of subject)
人物・団体
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000188835解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決
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