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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000188829
提供館
(Library)
大阪府立中央図書館 (2120005)管理番号
(Control number)
6001012977
事例作成日
(Creation date)
2015/10/10登録日時
(Registration date)
2016年03月04日 00時30分更新日時
(Last update)
2016年03月04日 00時30分
質問
(Question)
小説を書くための資料として昭和時代の侍従武官の仕事内容について詳しく知りたい。
回答
(Answer)
昭和時代における侍従武官の具体的な仕事内容を説明した資料は見つけられませんでした。
侍従武官について調査した資料の内、参考になるかと思われる資料を挙げました。

●『国史大辞典 6 こま-しと』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1985.11)
p772「侍従武官」の項目に、

「天皇に常侍奉仕し、軍事に関する奏上、奉答、命令の伝達などの任にあたる陸海軍人。明治二十九年(一八九六)四月一日に公布された勅令第一一三号「侍従武官官制」によって設置された。日清戦争に際して設けられた大本営が解散するのに伴い、天皇と陸・海軍との間を連絡する機関が新たに必要となったことから設けられたもので、陸軍将官・佐官・尉官五名、海軍将官・佐官・尉官三名によって構成された。全員参謀官から補任し、そのうちの高級古参の者を侍従武官長とした。主な職務は、官制の第二条に「侍従武官ハ天皇ニ常侍奉仕シ、軍事ニ関スル奏上奉答及命令ノ伝達ニ任ジ、又観兵演習行幸其他祭儀礼典宴会謁見等ニ陪侍扈従ス」、第三条に「侍従武官ハ演習其他軍事上視察ノ為メ差遺セラルヽコトアルベシ」と定められている。なお、侍従武官長は、歴代陸軍軍人によって占められ、昭和期になってからは侍従長が海軍出身者で占められたことと対照を為した。昭和二十年(一九四五)十一月三十日廃止。」

とあります。
説明文中の明治29年の勅令第113号は、明治29年4月1日の官報で確認できます。国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。(2015/7/30現在)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2947103


●『侍従武官 城英一郎日記 近代日本史料選書 4』(城英一郎/著 山川出版社 1982.2)

この資料はp3「海軍少将城英一郎が侍従武官に在任中、昭和15年11月15日から同19年1月19日までの日記を編纂したもの」です。この資料には解題(p3-24)として、城英一郎の略歴紹介と、日記の解説の記載があります。
日記の解説(p11-24)においては、勅令や太政官達における侍従武官の変遷が書かれています。明治26年5月19日に制定された「戦時大本営条例」(勅令第52号)にともない裁可された明治27年6月5日の「戦時大本営編制」や、明治29年4月1日発布の「侍従武官官制」(勅令第113号)における侍従武官の任務の記載があります。
侍従武官の記載が見つけられませんでしたが、明治26年5月22日の官報に、勅令第52号が載っており、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。(2015/7/30現在)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2946230

また、p13に侍従武官官制発布のあと決定された「侍従武官勤務規定」の全文、明治41年12月28日発布の「侍従武官府官制」(勅令第319号)の全文の記載もあります。
明治41年12月29日の官報に、勅令第319号が載っており、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。(2015/7/30現在)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951003


●『近代日本軍制概説』(三浦裕史/著 信山社出版 2003.2)
p98-99に「侍従武官」について記載があります。p98「侍従武官は、参謀本部及び海軍軍令部から宮中への派遣職員であった。侍従武官は参謀とされたためである。」と記載があります。また、p98-99には、次のような記述があります。

・侍従武官の起源が、明治8年11月の「陸軍職制及事務章程」(太政官達無号)による侍中武官であること
・明治27年6月、戦時大本営編制により、大本営に侍従武官が置かれ、侍従武官は「天皇に常時奉仕し、報告等を奏上し、戦地では命令の伝達に任じた」こと
・明治29年4月、大本営解散に際し、侍従武官官制によって、侍従武官が平時常置となったこと。侍従武官は「天皇に常時奉仕し、軍事に関する奏上奉答と命令の伝達に任じた」こと。また、侍従武官は「観兵演習や儀式等に倍侍扈従し、演習等に差遺され、宮中では宮内省の規定を遵奉した」こと
・明治41年1月、「侍従武官の宮中詰所を侍従武官府と称した」こと
・明治41年12月、侍従武官府官制により、「侍従武官府」が制度上の名称となったこと


●『侍従武官長奈良武次日記・回顧録 第1巻 日記 大正9年~12年』(奈良武次/著 柏書房 2000.11)
●『侍従武官長奈良武次日記・回顧録 第2巻 日記 大正13年~昭和2年』(奈良武次/著 柏書房 2000.11)
●『侍従武官長奈良武次日記・回顧録 第3巻 日記 昭和3年~8年』(奈良武次/著 柏書房 2000.11)
●『侍従武官長奈良武次日記・回顧録 第4巻 奈良武次回顧録草案他』(奈良武次/著 柏書房 2000.11)

第一巻~第三巻は、奈良武次による「東宮武官長から侍従武官長に至る期間(大正九年から昭和八年)の日記」が収録されています。
第四巻解説p261に「奈良大将の経歴で特筆すべきは大正九(一九二〇)年七月より昭和八(一九三三)年四月まで、東宮武官長、続いて侍従武官長(摂政時期の大正十一年十一月より大正十五年十二月まで東宮武官長を兼任)として、皇太子時代を含めればほぼ十三年間、若き昭和天皇を補佐したことである」とあります。また、第四巻には「日記を補完する重要資料として「回顧録草案」」が収録されています。
奈良武次に関しては、『奈良武次とその時代:陸軍中枢・宮中を歩んだエリート軍人』(波多野勝/著 芙蓉書房出版 2015.1)という資料もございます。


●『大元帥昭和天皇』(山田朗/著 新日本出版社 1994.10)
p29「天皇の傍らには、武官長のほか少佐~少将クラスの陸軍四人・海軍三人の侍従武官が交代で勤務し、天皇の軍事問題に関する下問に対応するほか、陸海軍の要人、軍機関の責任者との連絡にあたった。(中略)また、侍従武官には、天皇の目となり耳となって各地に視察に行き、天皇の「聖旨」を伝達し、天皇が直接には赴けないような地方(戦地・植民地)の将兵の士気を鼓舞するという重要な任務もあった。昭和天皇につかえた侍従武官の人数は、皇太子時代の東宮侍従武官が陸軍八名、海軍八名、天皇になってからが陸軍二五名、海軍一八名にのぼる」とあります。
p30には、戦前期に昭和天皇につかえた内大臣・侍従長・侍従武官長の氏名と在任期間、前職が載っています。


●『昭和陸軍の研究 下』(保阪正康/著 朝日新聞社 1999.11)
p659-675「侍従武官の日記が語る敗戦前後」という項目があり、昭和19年12月21日から侍従武官となった吉橋戒三の日記についてなどの記載があります。次のような記述がありました。
・p660「侍従武官は、常時天皇の周囲にあって、軍事上の政務を補弼するのが職務であった。陸海軍の責任者が上奏にきたときに天皇に取り次いだり、あるいは統帥権をもつ天皇の、その疑問を直接に陸海軍の責任者に尋ねたり、といった職務である。慣例として、陸軍では陸大卒の軍刀組、そして軍人として汚点なき経歴をもち、人格、家庭環境などすべてを憲兵隊に調査されて、そのうえでそのポストにつくのであった。むろん陸軍内部のエリート軍人ということができた。」
・p661「侍従武官は日ごろは宮中の侍従武官室に詰めている。(中略)吉橋は、毎朝必ず参謀本部作戦部に寄り、そこで前日の日本軍の戦闘を記している極秘資料「戦闘詳報」に目をとおしてから、宮中に出勤していた。天皇からの質問にたちどころに答えなければならないからであった。」 
・p661-664 吉橋へのインタビューにおける著者の取材メモの「吉橋の日常職務、それに敗戦前後の宮中の様子、昭和陸軍との関係についてふれた部分」の抜粋が載っています。
・p666 昭和19年12月27日の日記の記述に関して「参謀本部第二十班(旧・戦争指導班)が起案した「帝国ノ採ルヘキ戦争指導ニ関スル考察」を読むとの一節があるが、こういう案など省部の幕僚といえども読むことはできない。それほどの情報にも侍従武官は接することができたのだ。」と書かれています。
・p669 昭和20年7月3日の日記の記述に関して「これは、侍従武官たちが天皇から独自に「このようなことを知りたい」「この方面はどうなっているか」といった質問を受け、それを克明に調べて天皇の決裁をもらうという役割が与えられていたとの意味である。この点では、私的な情報機関の役割も果たしていたのである。」と書かれています。


●『侍従長の昭和史』(岸田英夫/著 朝日新聞社 1982.5)
p104-108に「侍従武官・阿南惟幾」についての記載があります。


●『ドキュメント昭和天皇 第1巻 侵略』(田中伸尚/著 緑風出版 1984.7) 
p104「侍従武官長は、宮中四大官職の中ではかなり特異なポストである。制度として侍従武官府が創設されたのは一八九六(明二九)年だが、それ以前から軍と天皇をつなぐ意味での侍従武官は存在していた。侍従武官が他の宮中職と際立って異なるのは、他の三職がいずれも宮内省令でその組織や任務が定められているのに対して、勅令によっていたことである。そして武官長、武官は宮中官職であると同時に現役の軍人であるという二足のわらじをはき、しかも圧倒的に「軍の足」が重かった。端的にいえば、陸海軍を統帥する天皇に対する補佐役でありながら天皇を軍事面でリードしていく役割を担っていた。たとえば、侍従武官長は陸海軍の現役大将、中将であり、武官は陸海軍の現役将校(武官は八人で陸軍五人、海軍三人)と規定(勅令第三一九号)されていたのは、侍従武官(長)の置かれていた特異性を示す例である。」とあります。
また、p104「侍従武官長は陸軍から送り込まれた天皇の筆頭軍事顧問で、その最大の役目は天皇を陸軍の方針に合わせるように補佐していくことであった。」とあります。

[事例作成日:2015年10月10日]
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
国防政策.行政.法令  (393 8版)
参考資料
(Reference materials)
国史大辞典 6 国史大辞典編集委員会∥編 吉川弘文館 1985.11 (772)
侍従武官 城英一郎日記 城/英一郎∥著 山川出版社 1982.2 (3-24)
近代日本軍制概説 三浦/裕史∥著 信山社出版 2003.2 (98-99)
侍従武官長奈良武次日記・回顧録 第1巻 奈良/武次∥著 柏書房 2000.11
侍従武官長奈良武次日記・回顧録 第2巻 奈良/武次∥著 柏書房 2000.11
侍従武官長奈良武次日記・回顧録 第3巻 奈良/武次∥著 柏書房 2000.11
侍従武官長奈良武次日記・回顧録 第4巻 奈良/武次∥著 柏書房 2000.11 (261)
奈良武次とその時代 波多野/勝‖著 芙蓉書房出版 2015.1
大元帥昭和天皇 山田/朗∥著 新日本出版社 1994.10 (29-30)
昭和陸軍の研究 下 保阪/正康∥著 朝日新聞社 1999.11 (659-675)
侍従長の昭和史 岸田/英夫∥著 朝日新聞社 1982.5 (104-108)
ドキュメント昭和天皇 第1巻 田中/伸尚∥著 緑風出版 1984.7 (104)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2947103  (明治29年の勅令第113号(官報(明治29年4月1日))(2015/7/30現在))
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2946230  (明治26年の勅令第52号(官報(明治26年5月22日))(2015/7/30現在))
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951003  (明治41年の勅令第319号(官報(明治41年12月29日))(2015/7/30現在))
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
その他
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000188829解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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