このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000188463
提供館
(Library)
山形県立図書館 (2110039)管理番号
(Control number)
2014-0028
事例作成日
(Creation date)
2015/3/23登録日時
(Registration date)
2016年02月23日 16時40分更新日時
(Last update)
2016年04月08日 16時14分
質問
(Question)
1 山形城三の丸の「飯塚口」とされている地点(山形市春日町8)と現在の地名「山形市飯塚口」とは距離的にかなり離れているように思われますが、両者の関係についてご教示下さい。
2 「大野目」をダイノメと読むことを知りました。「大野目」の近くに「中野目」という地名があり、こちらはナカノメと読むようです。両者の関係と地名の由来についてご教示下さい。
回答
(Answer)
1 「山形市飯塚口」については、資料2『角川日本地名大辞典 6 山形県』P99に「飯塚口」〈山形市〉で掲載があり、「昭和49年~現在の山形市の町名。もとは肴町・諏訪町・宮町・大字上椹沢の各一部。土地改良事業により成立。地名は肴町その他の小字名にちなむ」とありました。
 資料1に「昭和49年~」、「土地改良事業により成立」とありましたので、この時期の飯塚地区の土地改良事業が記述されている資料3『山形中部土地改良区史』をお調べしましたが「飯塚口」成立に関する記述を確認することはできませんでした。
 山形城三の丸の「飯塚口」について、資料4『最上時代山形城下絵図』P76に、一般的に三の丸の十一口の出入門は次の名で呼ばれていたとあり、そのなかに「飯塚口」もあります。
 同資料4のP44には「奥平時代の城郭図によれば、飯塚口が『本鍛冶町口』と記されている。(略) この付近に鍛冶師が多く集住していたという。兼頼以来民家の櫛比していた所で、義光の町割によって城下の拡張にともない馬見ケ崎川の北に移された。その当時は民家が飯塚村までほとんど接続していたといわれ、武田本には『元鍛冶町』として説明されている」との記述がありました。
 なお、参考まで、資料5『研究資料集 第4号』所収の「山形城三の丸趾を尋ねて」P27~29に、「飯塚口」付近の商店の話として、この前の通りは昔、飯塚衆が稼ぎ帰りに通った道で、店に立寄り一休みしていった旨記載されています。
 以上、「山形市飯塚口」および山形城三の丸「飯塚口」についてお調べしましたが、両者の関係に関する記述は確認できませんでした。

2 「大野目」の地名の由来については、資料2『角川日本地名大辞典 6 山形県』のP454に、
 「大野目〈山形市〉 村山地方;山形盆地東南端に位置する。地名は一説には陸奥按察使大野東人に由来するという」との記述があります。
 また、資料6『鈴川郷土研究会会報 総輯編 2 第28号・第34号~第53号』P105に掲載の同会報第46号には、「大野目の起源と地名の由来」と題する記事があり、これには、「後藤克己氏所蔵の『皇国地誌』によると、奈良時代の後期、天平十年(738)大野左近昌則(おおのさこんまさのり)の開びゃくと書かれている。一方、ある地名辞典に陸奥按察使大野朝臣東人(むつあぜちおおのあずまんど)も関わったことが記されている。このことは非常に興味深い。「東人」は言うまでもなく、天平九年、印鑰神明宮の創建者として有名である。二人は官位の高い(朝臣、左近)大野一族であったと考えて間違いがないだろう。このように、村の開びゃくにきちんと官位を持った人名が示されていることもごく稀であり、定説として残したい。 (略)
 さて、肝心の「大野目」の「目」については、地形状から見ても1つの中心的存在を示す「見張り、関所」を表し、この時代の国府の官職の「目=さかえ」「大目=おおさかえ」である。色々な説があるが、「大野」に「目」をつけて初期は「おおのめ」と読んだが、いつの間にか、「だいのめ」と言うようなったとすることが最も妥当と言えます」との記述があります。

 「中野目」の地名の由来については、資料7『ふるさと明治―山形市明治地区の歴史―』P202に、「中野目のおこり」として、
 「言い伝えによれば、昔、この地に中野目開・甚夫婦の農夫があった。彼等の間に、七男一女の子があった。子供等はよく父母に従い原野を開墾し田畑数町歩に達した。その後も、一家は倦まずたゆまず農耕に精を出したので、近村に稀なる富豪家となった。
 元和の頃に至り、子供等に土地財宝を分配し、家屋を建て夫々かまどを別にさせたという。これを八手前の百姓といった。(略)この地の開拓は中野目開・甚の力によることが大であったので、この村の地名を彼の姓、中野目をとりて村名にしたと」との記述があります。
 また、資料8『山形県の地名-その語源をたずねて-』P111には、
 「語尾に目のつく地名の語源については、①戸(へ)、部(へ)の訛ったもの。②狭い場所をさす。③穴。④アイヌ語 men(沼、湖、池、湿地)などの意がある。中野目という地名は平野部の湿地帯にあるようで、中野目の「野」は「野原」の意味ではなく、助詞「の」の当て字で、多分湿地帯の中に穴のように見える小沼の意であろう」とあります。
 「大野目」および「中野目」の地名の由来に関する記述は以上のとおりでしたが、これら記述からは両者の関係性を確認することはできませんでした。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
城下町やまがた探検地図 城下町やまがた探検隊/企画・製作 城下町やまがた探検隊
NDC 
参考資料
(Reference materials)
1.城下町やまがた探検地図/城下町やまがた探検隊企画・製作/城下町やまがた探検隊/(K290.9/ジョ)
2.角川日本地名大辞典6/角川日本地名大辞典編纂委員会編/角川書店/(K290.3/カド)
3.山形中部土地改良区史/山形中部土地改良区史編纂委員会編/(K614.3/ヤマ)
4.最上時代山形城下絵図/高橋信敬著/詩趣会/(YK264.1/タカ)
5.研究資料集第4号/山形郷土史研究協議会編/(K204/ヤマ/4)
6.鈴川郷土研究会会報総輯編2/鈴川郷土研究会編/鈴川地区連合町内会/(K264.1/スズ/2)
7.ふるさと明治/明治地区郷土史編集委員会編/(K264.1/メイ)
8.山形県の地名/安彦好重著/高陽堂書店(YK290.34/アビ)
※( )は自館の請求記号です。
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000188463解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
Twitter

このデータベースについて
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。詳細

活用法

刊行物・グッズ
新着データ
最近のアクセスランキング
レファ協PickUP!