レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/05/08
- 登録日時
- 2016/01/22 09:49
- 更新日時
- 2016/03/15 11:36
- 管理番号
- 埼熊-2015-115
- 質問
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解決
明治16年7月2日付に伊藤博文から岩倉具視に宛てた書状の全文を知りたい。
- 回答
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以下の資料に質問に該当すると思われる文書が掲載されており、これを紹介した。
『伊藤博文伝 中 明治百年史叢書』(春畝公追頌会編 原書房 1970)
p207-208(七月一日の記述の後で)「翌日公は、更に岩倉に左の書を寄せ、最早大隈と事を共にする能はず、この上は退職の外なしとの意を洩らした。」として「御手簡竝憲法取調書類御下附奉落手候。(後略)」から最後まで七月二日付けの文書が掲載されている。
『伊藤博文秘録 正』(平塚篤編著 春秋社 1929)
p218-220に、上記と同じ書き出しで、最後まで七月二日付けの文書が掲載されている。
- 回答プロセス
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1 質問館調査済み資料の確認
『伊藤博文の情報戦略』(佐々木隆著 中央公論新社 1999)
p96 書簡の一部分が掲載されている。「(七月一日付三条宛書翰について)さて、伊藤はこの書状の後段で「ただいまの形勢なれば甚だ恐縮の至りに御座候えども、博文は当官御放免願い奉り候ほか御座なく候」と三条に辞意を表明し、翌二日には岩倉に「大隈この節の建白熟読仕り候ところ、実に意外の急進論にて、とても魯鈍の博文輩驥尾に随従候事はでき申さず」と参議辞任を表明した。」とあり。
巻末の参考文献から調査する。
「秘書類纂」
《国会図デジタルコレクション》(http://dl.ndl.go.jp/ 国会図 2015/05/08最終確認)で閲覧可能。
《国会図サーチ》(http://iss.ndl.go.jp/ 国会図 2015/05/08最終確認)を〈秘書類纂 & 雑纂 & 岩倉〉で検索するが該当なし。
『伊藤博文秘録』(後述)
2 調査指定資料の確認
以下関係する記述、書簡の掲載なし。
『伊藤博文関係文書 3』(伊藤博文関係文書研究会編 塙書房 1975)
『伊藤博文関係文書 9』(伊藤博文関係文書研究会編 1981)
『伊藤博文伝 上・中・下』(春畝公追頌会編 原書房 1970)
『伊藤公全集 1 書簡、詩歌、文集、筆跡』(伊藤博文著 昭和出版社 1928)
3 それ以外の資料の確認
以下関係する記述、書簡の掲載なし。
『岩倉具視関係史料 上・下』(佐々木克編 思文閣出版 2012)
『岩倉具視関係文書 1-8』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1983)
第7巻 p161-178 「明治16年」の欄に伊藤博文からの書簡なし。
『伊藤公実録』(中原邦平著 啓文社 1910)
4 《Googleブックス》(http://books.google.com/ Google 2015/05/08最終確認)を〈伊藤博文秘録 & 参議辞任〉で検索する。
「交詢社百年史」(交詢社 1983)の内容に「(前略)参議辞任を申出ているほどである。当官御放免を奉願候外、幾回熟考仕候ても手段無御座候」(七月二日付、『伊藤博文秘録』第二一九べージ)という書簡」とあり。
5 『伊藤博文秘録』の確認
『伊藤博文秘録 正』(回答資料)
6 《Googleブックス》の確認
『伊藤博文の情報戦略』への引用箇所で検索したところ、『議会政治 100年 生命をかけた政治家達』がヒットする。
『議会政治100年 生命をかけた政治家達』(政党政治研究会著 徳間書店 1988)
内容確認したが該当の文書の出典等の記述なし。
8 政治史関係資料の調査
『自由党史 中 岩波文庫』(宇田友猪〔編〕 岩波書店 1958)
p40に大隈重信の建議(明治14年3月)が掲載されている。一連の流れがp78あたりに掲載されている。
この部分の出典が『伊藤博文伝 中』となっている。
9 上記を受けて『伊藤博文伝 中』を再確認
『伊藤博文伝 中 明治百年史叢書』(回答資料)
- 事前調査事項
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質問館調査済資料:『伊藤博文の情報戦略』(佐々木隆著 中央公論新社 1999)のp96に一部分の紹介あり。
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 『伊藤博文伝 中 明治百年史叢書』(春畝公追頌会編 原書房 1970)
- 『伊藤博文秘録 正』(平塚篤編著 春秋社 1929)
- キーワード
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- 伊藤 博文(イトウ ヒロブミ)
- 大倉 具視(オオクラ トモミ)
- 日本-歴史-明治時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000187443