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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000184851
提供館
(Library)
岡山県立図書館 (2110029)管理番号
(Control number)
M15022517070261
事例作成日
(Creation date)
2014/6/13登録日時
(Registration date)
2015年12月02日 00時30分更新日時
(Last update)
2018年12月05日 00時30分
質問
(Question)
「わたしゃ備前の岡山育ち 米のなる木はまだ知らぬ…」で始まる歌の歌詞と、歌の解説・由来等について書かれた資料がないか。
回答
(Answer)
(1)googleにて、「わたしゃ備前の岡山育ち」という言葉をキーワードにして検索すると、岡山シティミュージアムの「デジタルアーカイブ」のページ(資料①)がヒットする。

・歌の題名は「米のなる木」で、歌詞は、下記のとおり記載されている。
「わたしゃ備前の岡山育ち 米のなる木をまだ知らぬ(ア ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ ア 一息ふんばれ お次の宿場じゃ 十八女郎衆が 待っちょる 待っちょる)…(後略)」

・歌を音声で聴くことができる。

・歌については、下記のとおり解説されている。
「参勤交替の際、備前藩の荷担役が唄っていたといわれる道中唄。明和年間には成立していたと見られる「わたしゃ備前の岡山育ち・・・」の歌詞は、米どころ岡山の宣伝文句として全国的に有名です。大名行列の道中唄として用いられたため、街道沿いから各地に広まりましたが、曲節については、江戸後期の流行歌「よしこの」「二上り新内」等の影響を受けて岡山流の唄が定着したものといわれています。明治初期には、芝居、講談等で、御家騒動記「備前騒動・筆の命毛」が創作、上演され、牢獄場面で「米のなる木」を挿入歌としたため、多くの人々に知られるようになりました。」

(2)『岡山の歌謡』(資料②)の「米のなる木」の項目を確認する。
・「米のなる木」の歌詞に加え、楽譜が掲載されている。

・「米のなる木」について、「他県の人から生国をたずねられたとき、『岡山です』と答えると、『ああ、あの“米のなる木はまだ知らぬ”の岡山ですね』といわれたぐらい有名だった。」と記載がある。

・「この民謡には五十数通りの解釈があるが、それを系統的に大別すると、次の五種に分類される。」とし、解釈を紹介している。以下のとおり、引用する。
「《1》名君池田新太郎少将光政が備前藩の威勢を天下に示すため、参勤交代の江戸への道中に、当時の街道アナウンサーである雲助たちに『米のなる木』を歌わせた、という説。
《2》罪の母を親として、獄舎で生まれて育てられた少女が、使役の米つきをしながら口ずさんだ。その哀れさに獄吏も同情し、ついに藩主の耳にはいって釈放された、という仁政ぶりの宣伝歌、との説。これは最も知られている。
《3》三歳の女児が、母の乳房をかみ切り、そのために母を死亡させた罪で獄舎に捕らわれた。獄舎で育ったこの少女が麻なわをないながら歌う、そのふびんさに許された、という説。
《4》岡山京橋ぎわの分限者の愛嬢が、倉敷の大家に嫁入りする途中、庭瀬口にさしかかったとき、かごの中から『この草は何という草じゃ』と稲をさしてたずねたことから生まれた、という説。
《5》負けずぎらいな光政が大名たちの集まりのとき、郷土自慢の歌として作ったのが天下に普及した、という説。」

・上記《1》~《5》についての解釈に対する考察も記載されている。

(3)『伝説よもやま話 岡山奇聞』(資料③)では、「米のなる木」について、岡長平氏は「あれだけ有名で、文献資料はなに一つない…。これは断言できると思う。五十年じかく、この問題を手がけて来て、かつて、それらしいものに出会ったことがないからだ。」と述べている。
 資料②で挙げた5つの説に加えて、さらに「船頭唄」説「熊沢蕃山」説なども挙られており、個々の説について詳細な記述がある。

(4)岡長平氏の「米のなる木」についての記述は、資料③以外にも『岡山の味風土記』(資料④)、『岡長平著作集 第4巻 岡山風土記』(資料⑤)、『岡山県の盆踊と民謡』(資料⑥)でも、掲載がある。

 特に資料⑥では、「米のなる木」の本歌として、資料①の歌詞の続き(「待っちょる」のあと)を掲載している。以下のとおり、引用する。
「米のなる木を、知らねば見しよう、八畳たゝみの、裏ごろうじ。
備前岡山、住みよいところ、白い御飯にとと(魚)添えて。
岡山街々、夜更けて通りゃ、太鼓つづみに、三味の音。
備前出てから、片上泊まり、明日は播州の、有年泊り。
備前の殿様、姫路が泊り、そこで姫路が、繁盛する。
備前さんなら、今いうて今じゃ、有馬さん 久留米の殿様 なら、先づ思案。
備前の殿様、蝶々の御絞、来てはちらちら、迷わせる。」
 なお、歌の中の「久留米の殿様」という文言は、前後の文字列と違う表記をしている。「有馬さん」の注記の可能性があるが、資料では明確に表示されていない。

(5)他にも、『日本民謡大観〔5〕中国篇』(資料⑦)を見ると、
「この唄は、参覲交代の人足達が謡っていたものといわれているが、それなら当然『雲助唄』であるべきだが、曲は似ても似つかぬもので、しかもこの種の唄は東京の内藤新宿の廓や、埼玉県深谷市の廓へ通った近郷の人達が、その往来に謡った『投げ節』として採集できているだけに、本県の場合も、元は岡山市中の遊廓へ遊びに通う若者達の間で流行った「ひやかし節」を、参覲交代の人足達が口ずさんだのではないかと思われる。」と記載がある。

(6)「きび野」第7号(資料⑧)と第17号(資料⑨)の巻頭コラム「岡山の民謡」にも「わたしゃ備前の…」で始まる歌詞と解説が掲載されているが、資料⑨のほうは「米のなる木」ではなく、「備前轆轤(ろくろ)唄(備前市)」として紹介されている。

(7)歌は、カセットテープ『岡山の民謡』(資料⑩)に収録されている。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
伝説.民話[昔話]  (388 9版)
参考資料
(Reference materials)
①岡山シティミュージアムデジタルアーカイブ「米のなる木」(2015年3月19日確認)
http://www.city.okayama.jp/museum/minyou/komenonaruki.html
②英玲二『岡山の歌謡』岡山 日本文教出版,1970,183p. 参照はp.62-67.
③岡長平『伝説よもやま話 岡山奇聞』岡山 日本文教出版,1961,302p. 参照はp.5-40.
④岡長平『岡山の味風土記』岡山 日本文教出版,1986,173p. 参照はp.161-168.
⑤岡長平『岡長平著作集 第4巻 岡山風土記』岡山 岡山日日新聞社,1977,517p. 参照はp.34-36.
⑥岡長平『岡山県の盆踊と民謡』岡山 岡山県教育委員会社会教育課,1,952,54p. 参照はp.25-26.
⑦日本放送協会『日本民謡大観 〔5〕 中国篇』 日本放送出版協会,1969,650p. 参照はp.338-339.
⑧「岡山の民謡 米のなる木(岡山市)」『きび野
岡山県郷土文化財団会報』第7号,1982年9月,p.1.
⑨「岡山の民謡 備前轆轤(ろくろ)唄 (備前市)」『きび野
岡山県郷土文化財団会報』第17号,1985年3月,p.1.
⑩中村美香〔ほか〕『岡山の民謡』日本コロムビア,1999.
キーワード
(Keywords)
米のなる木
歌謡
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
M2015022517080870261
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
全年齢
登録番号
(Registration number)
1000184851解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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