レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/04/01
- 登録日時
- 2015/09/03 00:30
- 更新日時
- 2015/09/03 00:30
- 管理番号
- R1000051
- 質問
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解決
明治期の大垣久瀬川の人物 勝沼信之氏と勝沼氏が参加していた慈眼会について知りたい。
- 回答
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勝沼信之氏は、明治26年発行の明治24年濃尾大震災の記録誌である『濃尾震誌』の序文を記し、編者でもある。「濃尾震誌」や「西国観音縁起集」序文から、勝沼信之氏が慈眼会の会主であり、慈眼会が濃尾震災で死亡した人々の追善供養の会であることがわかる。勝沼信之氏ついては、人物誌などに未記載のため、詳細については不明であるが、久瀬川の勝沼家は、西久瀬川の勝沼分支配者であり、西久瀬川村に水神神社及び求浄庵(浄土宗)を創立した名士である。求浄庵内には、信之氏の碑文があり、その詳細を知ることができる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- B10026672 濃尾震誌 片山逸朗編 勝沼武一 1893 369.31
- B10009191 西國観音縁起集 勝沼 武一/編 勝沼 武一 1893 183
- B11132568 大垣市史 資料編近代 大垣市/編集 大垣市 2009.3 215.3
- B10025522 岐阜県史 岐阜県/編 岐阜県 1970 215.3
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 事項調査
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000179301