レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/01/22
- 登録日時
- 2015/06/28 00:30
- 更新日時
- 2015/07/05 13:01
- 管理番号
- 奈県図情15-001
- 質問
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解決
奈良県出身の外交官「堀内干城(ほりうちたてき)」が、県内のどこの出身であるのか知りたい。また、亡くなった日付と墓所がどこなのか知りたい。
- 回答
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堀内干城。新聞の訃報記事によると、奈良県郡山町(現大和郡山市)出身。引退後は家族と東京(大田区調布)に居住。1951年5月17日横須賀共済病院で死去。享年62歳。23日に上野寛永寺の春性院で告別式が行われ、寛永寺に葬られた。
なお、亡くなった日について『郡山町史』では5月18日、『日本人名大辞典』や『国史大辞典』では5月28日としている。
- 回答プロセス
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①当館資料検索機(OPAC)のキーワード検索にて「堀内干城」を検索したが、該当する資料なし。人物事典やオンラインデータベース『ジャパンナレッジ』等で調べたところ、奈良県出身であること、没年は1951(昭和26)年5月28日であることは書かれていたが、奈良県のどこで生まれたのかまでは分からなかった。
①調査資料
『講談社日本人名大辞典』1696ページ
『国史大辞典 第十二巻』776ページ~
オンラインデータベース『ジャパンナレッジ』
②『奈良県年鑑』(1951年版~1953年版)を確認するが「堀内干城」は載っていなかった。
③新聞データベースにて、「堀内干城」で検索したところ、『朝日新聞』と『毎日新聞』の1951年5月19日に訃報記事が出ていた。これらには東京の自宅住所と、5月17日に死去し、23日に告別式が上野寛永寺の春性院で行われるとの記述あり。同日前後の『大和タイムス』(『奈良新聞』の前誌名。今回はマイクロフィルム版を調査)も確認したところ、同月20日に訃報記事が出ており、『朝日新聞』などと同様の記述に加え、堀内干城の詳しい経歴が書かれていた。これにより堀内干城が郡山町出身であることがわかった。そこで奈良県大和郡山の市町村史を確認したところ、『郡山町史』P896に堀内干城について記述があった。そこにも大和郡山の出身であること、寛永寺に葬られているとの記述があった。ただし、『郡山町史』の記述では「5月18日病を得て殪れ」とあり、5月18日に亡くなったとしている。
③調査資料
朝日新聞データベース『聞蔵Ⅱ』1951年5月19日朝刊3ページ
毎日新聞データベース『毎索』1951年5月19日 朝刊 2ページ
『大和タイムス』1951年5月20日朝刊2ページ
『郡山町史』896ページ
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 9版)
- 参考資料
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郡山町史編纂委員會 編 , 郡山町 (奈良県). 郡山町史. 奈良縣郡山町, 1953.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010547233-00 -
朝日新聞社. 聞蔵IIビジュアル. 朝日新聞社.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000003-I000044560-00 -
毎日新聞社. 毎索. 毎日新聞社.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000003-I000044880-00 -
大和タイムス. 国立国会図書館.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000056032-00 -
上田 正昭/[ほか]監修 , 上田‖正昭. 講談社日本人名大辞典. 講談社, 2001.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000328597-00 , ISBN 4062108496 -
国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 12. 吉川弘文館, 1991-06.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000047511-00 , ISBN 4642005129
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郡山町史編纂委員會 編 , 郡山町 (奈良県). 郡山町史. 奈良縣郡山町, 1953.
- キーワード
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- 堀内干城
- 奈良県
- 外交官
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000176499