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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000171124
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼久-2015-023
事例作成日
(Creation date)
2014年12月3日登録日時
(Registration date)
2015年04月17日 10時34分更新日時
(Last update)
2015年06月30日 16時59分
質問
(Question)
承久の乱の後順徳上皇に従って佐渡に渡った、左兵衛佐範経という人物の出自や、佐渡から戻った後どうなったかなどを知りたい。『吾妻鏡』に名前が出ている。
回答
(Answer)
左兵衛佐範経は承久3年に寺泊で病死しているとの記述が見られた。出自に関する記述のある資料を含め、以下の資料を紹介した。

『国史大系 32 吾妻鏡 前篇』(黒板勝美編 国史大系編修会編 吉川弘文館 1964)
 p793-794 承久三年七月「廿日壬寅。陰。新院■[千にしんにょう]御佐渡國。花山院少将能氏朝臣。左兵衛佐範経。上北面左衛門大夫康光寺供奉」

『順徳天皇とその周辺』(芸林会編 臨川書店 1992)
 p227-233 山本修之助「佐渡の順徳院」
 p227「お供には、花山院少将能氏、左兵衛佐範経、上北面左衛門大夫康光、女房の左衛門佐とほか三名であった」
 p228「この寺泊では、御座船の用意と、秋から冬にかけての北海の荒波のため、翌年の春まで御滞在になったのではなかろうかというという説がある。(中略)ここでお供の一人左兵衛佐範経は、病気で亡くなった」とあり。

「特集 順徳天皇と佐渡」(『歴史研究 378』新人物往来社 1992)
 p17 所功著「順徳天皇に関する基礎知識」
 「さらに藤原能経は、越後まで供奉したが寺泊で病気に罹り歿している」とあり。能経は範経のことであると思われる。
 p35 境淳伍著「佐渡の順徳院」
 「越後国寺泊までたどりつき、乗船ということになると、甲斐兵衛佐教経[甲斐守藤原範仲の子の範経]は病いが篤くなり乗船できず留め置かれた(その後死亡)」とあり。
 p38 西沢芳子著「順徳天皇と越後豪族」
 「またもう一人の供奉の藤原左兵衛佐範経は老体に鞭打って寺泊まで来たが、そこで病の床に伏し回復することなく死出に旅立ってしまった」とあり。

『越佐史料 1』(高橋義彦編 1925)
 p709 承久3年7月20日条に範経が供奉したとの記事あり。
 p710-711「承久記」の記事に、範経が寺泊で歿した旨の記述あり。

『新日本古典文学大系 43 保元物語・平治物語・承久記』(佐竹昭広編集 岩波書店 1992)
p473 承久記人物一覧に「教経 正しくは範経」の略歴あり。

《国会図デジタルコレクション》( http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918479  国会図 2014/11/24最終確認)
「承久の乱に於ける順徳天皇と佐渡」(長藤蔵著 佐々木栄吉出版部 1934)図書館送信参加館内公開
 p68-69「十一.左兵衛佐藤原範経」に、「此の人の系統に付き所見を異にせる」として、2つの出自を引用している。

『訓注明月記 人名索引 下』(稲村榮一著 松江今井書店 2004)
 p242-244「範経」の項あり、範経の経歴の記述あり。

《Google Books》を〈左兵衛佐範経〉で検索
《明月記研究 7号(2002年12月): 記録と文学》( https://books.google.co.jp/books?id=0p9d1GpCjeIC&pg=PA279&dq=%E6%98%8E%E6%9C%88%E8%A8%98%E7%A0%94%E7%A9%B6&hl=ja&sa=X&ei=V2gwVaPoC5fe8AXk0YCIDA&ved=0CCEQ6AEwAQ#v=onepage&q=%E6%98%8E%E6%9C%88%E8%A8%98%E7%A0%94%E7%A9%B6&f=false  明月記研究会 2014/11/24最終確認)
 p267-273 山本修巳「順徳院断章」
 佐渡に向かう途中、寺泊で重い病気にかかった範経が亡くなったと書かれている。
回答プロセス
(Answering process)
調査済み資料
(1)利用者の質問より『吾妻鏡』関連資料を調査
『吾妻鏡人名総覧 注釈と考証』(安田元久編 吉川弘文館 1998)
『吾妻鏡総索引』(及川大渓著 日本学術振興会 1975)
『吾妻鏡人名索引』(御家人制研究会編 吉川弘文館 1992)
『吾妻鏡必携』(関幸彦、野口実編 吉川弘文館 2008)
『吾妻鏡事典』(佐藤和彦、谷口榮編 東京堂出版 2007)

(2)順徳天皇関連資料
『国史大辞典 7』(吉川弘文館 1986)
『順徳天皇佐渡の御遺跡』(山本修之助著 順徳天皇奉讃会 1959)
『順徳天皇佐渡聖蹟誌』(山本修之助著 佐渡聖蹟奉讃会 1942)
『天皇皇族実録 56 順徳天皇実録』(藤井讓治、吉岡眞之監修・解説 ゆまに書房 2008)
 「範経」の名が「皇代暦」「承久記」「六代勝事記」「真野山皇陵記」「百■[金編に柬]抄」などに散見される。

(3)「皇代暦」「承久記」「六代勝事記」「真野山皇陵記」「百■[金編に柬]抄」関連資料を調べる
『新日本古典文学大系 43 保元物語・平治物語・承久記』
『承久記 新撰日本古典文庫 1』(松林靖明校註 現代思潮社 1974)
『六代勝事記 中世の文学』(弓削繁校注 三弥井書店 2000)
『百錬抄人名総索引』(伊藤葉子編 政治経済史学会 1969)
『国史大系 普及版9 百錬抄』(黒板勝美、国史大系編修会編輯 吉川弘文館 1983)

(4)「承久の乱に於ける順徳天皇と佐渡」で引用されていた、新潟や佐渡の歴史に関する資料にあたる。
『佐渡国誌』(佐渡郡役所 1922)
『越佐史料 1』

(5)鎌倉時代の他の書物から調べる
『明月記人名索引』(今川文雄著 初音書房 1972)
『明月記 1-3』(藤原定家著 国書刊行会 1978)
『明月記の史料学』(五味文彦著 青史出版 2000)
『明月記研究提要』(明月記研究会編 八木書店 2006)
『増鏡総索引』(門屋和雄編 明治書院 1978)
『日本古代中世人名辞典』(平野邦雄、瀬野精一郎編 吉川弘文館 2006)
『鎌倉武家事典』(出雲隆編 青蛙房 1981)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本史  (210 9版)
日記.書簡.紀行  (915 9版)
系譜.家史.皇室  (288 9版)
参考資料
(Reference materials)
『順徳天皇とその周辺』(芸林会編 臨川書店 1992), ISBN 4-653-02516-9
『歴史研究 378』(新人物往来社 1992)
『国史大系 32 吾妻鏡 前篇』(黒板勝美編 国史大系編修会編 吉川弘文館 1964)
『越佐史料 1』(高橋義彦編 1925)
『新日本古典文学大系 43 保元物語・平治物語・承久記』(佐竹昭広編集 岩波書店 1992), ISBN 4-00-240043-3
『訓注明月記 人名索引 下』(稲村榮一著 松江今井書店 2004)
キーワード
(Keywords)
藤原 範経(フジワラ ノリツネ)
順徳天皇
吾妻鏡
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000171124解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決