このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000170013
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2014-111
事例作成日
(Creation date)
2014年06月01日登録日時
(Registration date)
2015年03月28日 14時22分更新日時
(Last update)
2015年05月01日 16時02分
質問
(Question)
明智光秀は死んだとされた後も、生き延びて何かを行ったという伝説的な話をよく聞くが、その時に死んだとされる根拠があったのか知りたい。
回答
(Answer)
以下の資料を紹介した。
 
『大日本史料 第11編之1 正親町天皇』(東京大学史料編纂所編纂 東京大学出版会 1988)
 p427 天正13(1585)年6月13日条に「神戸信孝、羽柴秀吉等、惟任光秀ト山城山崎ニ戦ヒ、大ニ之ヲ破ル、光秀走リテ、勝龍寺城ニ入リ、是夜、逃レ出テ、途ニ土民ニ殺サル、」とあり、「公卿補任」等の古文書が引用されている。
 
『戦国史料叢書 第1期1 太閤史料集』(人物往来社 1965)
 p[147]-224「太閤さま軍記のうち」所収
 p178-179「明智光秀の滅亡」の項
 「醍醐・山科辺の百姓ども、(光秀と斎藤内蔵助を)落人と見および、棒打ちに討ちとめ候ひき。十二日めに、むげにあひ果て、(中略)明智日向が首をつがせ、両人一しよに、粟田口に、はりつけにかけをかせられ、(後略)」とあり。
 p225-272「川角太閤記 巻1」所収
 p264-265「明智光秀の首をさらすこと」の項
 「物とりの者ども馬上の光秀を鑓にて突き落とし、三人の頸を取り申し候事。」
 
『太閤記』(小瀬甫庵著 桑田忠親校訂 新人物往来社 1971)
 p82-84「巻第3 惟任坂本を心ざし勝竜寺より落行事」
 p83「光秀は勝兵衛が手を取て引よせ、(中略)首を打て知恩院へ持参し灰になし候へ。筒(どう)は田の中へふみ入かくし候へとて、首を請しなり。勝兵衛奉(うけたまわ)り、かひなき事を仰候物かな。(中略)首をうちおとしつゝ(後略)」とあり。
回答プロセス
(Answering process)
以前に調査した類似の事例から、資料を再確認した。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
個人伝記  (289 9版)
参考資料
(Reference materials)
『大日本史料 第11編之1 正親町天皇』(東京大学史料編纂所編纂 東京大学出版会 1988), ISBN 4-13-090501-5
『戦国史料叢書 第1期1 太閤史料集』(人物往来社 1965)
『太閤記』(小瀬甫庵著 桑田忠親校訂 新人物往来社 1971)
キーワード
(Keywords)
明智 光秀(アケチ ミツヒデ)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000170013解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
Twitter

このデータベースについて
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。詳細

活用法

刊行物・グッズ
新着データ
最近のアクセスランキング
レファ協PickUP!