レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/07/13
- 登録日時
- 2015/03/18 00:30
- 更新日時
- 2015/03/18 12:09
- 管理番号
- 0000001138
- 質問
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未解決
日本近代土木の父といわれるオランダ人雇技師ヨハネス・デレーケが、明治24年(1891)9月2日に富山県の常願寺川視察を終えて石川県へ入り、手取川を視察したといわれています。2週間後の9月17日には石川県議会で、中川参事官により「デレーケの指摘事項」が報告されていますが、実際デレーケは石川県内にいつからいつまで滞在したのか、どういう行動をしたのかが不明です。その当時の新聞に視察の様子が記録されていないでしょうか。
- 回答
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(1)明治24年当時の新聞で当館で所蔵しているのは「北陸新報」ですが、欠号がひどく、5月29日の次が9月19日、10月2日で、9月2日前後の新聞は所蔵しておりjません。念のため9月19日を確認してみましたが、該当記事は掲載されていませんでした。
(2)すでにご確認済とは思いますがが、『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』p273に「八月三日(明治24年)、東京をたったデ・レイケは六日、富山に着き、九月二日、石川県へ出発するまで県内の黒部川・・・を視察した。帰京後、そのときのメモをまとめ、十月、古市土木局長あてに和訳した「加賀・越中河川港湾視察報告書」を提出した。残念なことにこの和訳の報告書は発見されていない。」とあり、デレーケの足取りが一番わかる報告書が発見されていないことがわかります。
(3)井口昌平「百年前にデレーケが立山に登ったときの日記風の手紙」(『富山史壇』107号 1992)に8月14日~19日の立山登山の記録がありますが、その後の石川県入りについての記載はありません。
(4)このほか、当該年次の石川県の記録類がないか探してみましたが、所蔵がありません。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『手取川七ヶ用水誌』上巻p226~228
『石川県議会史』第一巻p959~962
- NDC
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- 建設工学.土木工学 (51 9版)
- 参考資料
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- 1 日本の川を甦らせた技師デ・レイケ 上林/好之?著 草思社 1999.12 289.3/10184
- 2 百年前にデレーケが立山に登ったときの日記風の手紙 井口昌平 [越中史壇会] 1992 15-26 (富山史壇 / 越中史壇会 [編] 通巻107号
- キーワード
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- デ・レイケ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000169209