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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000165188
提供館
(Library)
石川県立図書館 (2110016)管理番号
(Control number)
0000001058
事例作成日
(Creation date)
2014/02/15登録日時
(Registration date)
2014年12月22日 00時30分更新日時
(Last update)
2014年12月24日 09時59分
質問
(Question)
大聖寺の後藤與次兵衛・與之家について調べている。また、後藤與次兵衛の娘の婚家である瀬川長三郎家についても調べている。
回答
(Answer)
Ⅰ 後藤與之家について判明することは以下のとおりになります。

(1)国立公文書館に

「石川県士族後藤与之ヘ銀盃下賜ノ件」(請求番号 本館-2A-013-00・纂00309100 )
明治27年09月05日
資料内容:「別紙農商務大臣申牒石川県士族後藤与之賞与の件審査候処左の如し資性実直夙に志を殖産に励まし力を製茶に致し艱苦経営荒蕪を墾し茶圃を拓き宇治製法を攻究し爾来産額増加すと雖とも世上粗製濫造の弊甚しく其害を被る尠なからさるを憂ひ東奔西馳之れか挽回を期し弘輸社を創設し製法を改善し稍海商の信用を博するも価格低落中道折閲するに至る然とも毫も屈撓せす有志を糾合して同盟規約を結ひ百方勧誘社業を振興し県庁に請ふて籃製器械を江能両郡に排置し教師を聘し伝習所を設け生徒を養成する等斯業に励精すること20余年一日の如し其他済貧恤窮の挙も少なからす洵に奇特とす依て明治16年第1号布告及第17号達金銀木杯金円賜与手続に拠り第13号銀盃1箇下賜相成可然と認定候条此段上申す」

とあり、 明治27年の時点で後藤与之が「石川県士族」であったことは確実です。

(2)大聖寺藩の侍帳は、当館で確認できるのは、以下の3種類です。
①「御家中分限帳」(天保15年)(『大聖寺藩の武家文書 1』p131~)
②「大聖寺藩官禄帳」(天保頃)(『加賀江沼人物事典』p300~)
③『石川県史 第2編』p1206~(藩政末期頃の侍帳)

この中で、後藤の名前で見つかるのは以下だけです。
①本国摂津、百二十石、御馬廻、後藤助左衛門
②大入土蔵奉行、百弐拾石、本国摂津生国加賀、後藤彦右衛門 酉三十九、良勝(よしかつ)、父助進
③・弐百石、後藤助太夫、耳聞山
 ・百弐拾石、後藤助太夫、耳聞山
ここに見える後藤家の由緒帳は、
『加賀市史料 3』p205~209に後藤松吉郎の由緒帳として収録されています。

(3)以上より、大聖寺藩の直臣の士分であった後藤家は、上記後藤家(助左衛門・彦右衛門・松吉郎)のみと考えられ、後藤與之は、陪臣(大聖寺藩士の家来)であったか、もしくは卒族から1872年(明治5)に士族に繰り込まれた人であったと考えられます。

(4)また、「木呂場に居を構えた」とのことで、「大聖寺町割之図」(嘉永7年写、原本年代不明)によりますと、「木呂場」は「町屋」に区分され「足」と記入されている区画もあります。

なお、以下はご参考までです。
①『角川日本姓氏歴史人物大辞典 17』では、後藤与元を後藤彦右衛門の末裔としています。
②後藤与之のまとまった伝記が書かれたのは、『石川県江沼郡誌』(大正14年)が最初のようです。
ここで「後藤與元」とされていますが『石川教育』通巻309号(昭和7年)p20が「後藤與之」に
直されていることから、「與元」が誤植であった可能性も考えられます。

Ⅱ 瀬川長三郎家については、すでに御確認と思われる「瀬川長三郎由緒帳」(『加賀市史料 3』p290~291)が一番詳しい資料と考えられます。
回答プロセス
(Answering process)
石川県士族とされている人にどういう人がいたのかを、松村 敏「武士の近代--1890年代を中心とした金沢士族」(『商経論叢』45 2010)( http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/9388/1/45(4)-7.pdf  2014-02-15確認)
事前調査事項
(Preliminary research)
(1)後藤與次兵衛は、大聖寺江沼神社に顕彰碑が有ります。
碑には、加賀江沼の人、大聖寺藩侯に仕えと記されており、書家として
玉友堂文栄の号を持っていました。明治3年65才で亡くなりました。

(2)次の代は、後藤與之と言い、江沼郡誌に後藤與元の名で茶の殖産で記載
されています。(住んでいた場所(木呂場)、生年月日、死亡月日が同じな
ので同一人物と考えています)
江沼郡誌には、大聖寺藩士であると記されています。曽祖父が木呂場に居
を構えたと思います。明治27年63才で亡くなりました。

(3)大聖寺藩士由緒帳(加賀市立図書館)、石川県関係人物文献検索、自治体史
・歴史資料検索システム、戸籍謄本、寺の過去帳を調べたのですが分りません。
ただ、由緒帳に瀬川家三代瀬川長三郎 後藤與次兵衛女 妻との記載が有りました。
NDC
伝記  (28 9版)
参考資料
(Reference materials)
1 大聖寺藩の武家文書 1 山口/隆治?編 北陸印刷 2008.3 K227/1004/1

2 加賀江沼人物事典 加賀江沼人物事典編集委員会∥企画・編集 江沼地方史研究会 1989.4 K280/124

3 石川県史 第2編 石川県∥編 石川県図書館協会 1974 K209/24/2

4 石川県江沼郡誌 石川県江沼郡役所∥編 加賀市教育委員会 1971 K227/1

5 石川教育 通巻309号 石川県教育会

6 加賀市史料 3 牧野 隆信∥編 加賀市立図書館 1983 K228/17/3

7 角川日本姓氏歴史人物大辞典 17 角川書店 1998.12 K288/1001

8 大聖寺町割之図 森田柿園写 1860 K290.3/144

9 加賀市史料 3 牧野 隆信∥編 加賀市立図書館 1983 K228/17/3
キーワード
(Keywords)
後藤與次兵衛
後藤與之
瀬川長三郎
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000165188解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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