レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/11/12
- 登録日時
- 2014/11/13 00:30
- 更新日時
- 2017/03/06 12:20
- 管理番号
- 1000000803
- 質問
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解決
沖縄の双六について知りたい。
- 回答
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①
『沖縄大百科事典 上 ア~ク』(沖縄大百科事典刊行事務局 編、沖縄タイムス社、1983.5)
p540 「沖縄双六」の項目で、「上がりが聖人であることから<聖人上り>ともいう。王府時代からあり『大島筆記』(1762)に日本の職原双六と同じとある。紙に64の区画を描き、沖縄の種々の官職をはめこんだもの。さいころの目は忠孝徳仁悪盗、〈生〉を振出しに大屋子などの下級官僚から各奉行、表十五人の諸役、三司官、摂政と進み、徳を積み賢人をへて聖人にいたる。奉行までは悪・盗の目が出ると寺入、流刑から死罪にまで落ちる可能性もあるが、三司官以上はそれはなく、ただ忠孝徳仁をつむだけで、儒教にそった聖人君子の理念がみられる。」の記述がある。
②
『東恩納寛惇全集 10』(東恩納 寛惇 著、第一書房、1982.10)
p294-298 「琉球の双六」の項目で、p294 「俗に「聖人上り」と称してゐる、采の目を忠孝仁徳悪盗の六つに切つてあるのと、上りきるまでの道筋が極めて多種多様変化に富んでゐるのとが、普通の双六と異なつている。中に書いてあるのは、何れも旧琉球の官職名で中にも按司と云うのは大名、年頭親方と云うのは薩摩に行く年頭慶賀使、三司官は大臣、平等之側は裁判官である。」の記述がある。
③
『琉球の文化 第3号』(琉球文化社 編・刊、1973.3)
p201-203 「沖縄の双六「聖人上」 嘉手納宗徳」の項目で、p202にサイコロの絵と遊び方の記述がある。
p203 聖人上の盤面がある。
※③の資料と同様の記述がある資料
④『琉球史の再考察』(嘉手納 宗徳 著、沖縄あき書房、1987.11)p363~365
⑤『研究余滴[複製本] 第101号、第219号』(球陽研究会 編、沖縄県立図書館、2012.3)第184号
⑥
『琉球の文化 第4号』(琉球文化社 編・刊、1973.10)
p134-135 「「聖人上」の背景 遠藤欣一郎」の項目で、p134 「絵双六が普及した江戸時代に、その先駆の役割りを果たしたのは、仏法浄土双六ですが嘉手納宗徳先生の示された「聖人上」も、この種の双六の一つで「官位双六」に属するものです。」の記述がある。
⑦
『浮世真ん中』(上原 直彦 著、沖縄タイムス社、2004.9)
p170-173 「聖人上り=双六」の項目で、p171 「沖縄にも同様の遊び「聖人上り」があった。紙に枠64を描き、王府の官職名を書き込んである。使用するサイコロの目は数字ではなく、忠、孝、徳、仁、悪、盗の文字の六面。下級役職から始まり各奉行、表十五人、三司官、摂政の高級官僚に進んで、賢者を経て 〈聖人〉に辿り着いて上がりとした。奉行までは悪、盗の目が出ると寺入、流刑、死罪を科されて前には進めない。」の記述がある。
以下3つの資料は、実物の双六。
⑧
『官職昇進双六』
⑨
『官職昇進双六凡例 附録』
⑩
『聖人上』
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 芸術 (7 9版)
- 参考資料
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- 1 沖縄大百科事典 上 ア-ク 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/1 p540
- 2 東恩納寛惇全集 10 東恩納 寛惇∥著 琉球新報社∥編 第一書房 1982.10 K08/H55/10 p294-298
- 3 琉球の文化 第3号 琉球文化社 大城 精徳∥編 琉球文化社 1973.3 K05/R98/3 p201-203
- 4 琉球史の再考察 嘉手納 宗徳∥著 沖縄あき書房 1987.11 K200.4/KA13 p363~365
- 5 研究余滴[複製本] 第101-219号 球陽研究会∥編 沖縄県立図書館 2012.3 K200.5/KE45/101-219 第184号
- 6 琉球の文化 第4号 琉球文化社∥編 大城 精徳∥編 琉球文化社 1973.10 K05/R98/4 p134-135
- 7 浮世真ん中 上原 直彦∥著 沖縄タイムス社 2004.9 K29/U36 p170-173
- 8 官職昇進双六 H798/KA59
- 9 官職昇進双六凡例 附録 H798/KA59
- 10 聖人上 HK72/SE17
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000162122