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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000159621
提供館
(Library)
栃木県立図書館 (2110002)管理番号
(Control number)
tr328
事例作成日
(Creation date)
2014年01月24日登録日時
(Registration date)
2014年09月11日 10時15分更新日時
(Last update)
2014年09月11日 10時15分
質問
(Question)
1742年(寛保2年)の8月から9月にかけて発生した洪水について、栃木県(下野国)に関する記述がある資料が知りたい。
回答
(Answer)
・『天、一切ヲ流ス 江戸期最大の寛保水害・西国大名による手伝い普請』
 (高崎哲郎/著 鹿島出版会 2001)
 お尋ねの洪水についての著作です。この中で、栃木県に関連する記述が確認できたのは以下の2か所でした。
①p.39「鬼怒川、小貝川、新利根川でも堤防決壊が相次ぎ」とあります。これらの川は、栃木県内を流れています。
②p.55-56「被災報告」に「井伊掃部(野州領内、安蘇郡内)四人」とあります。
 また、参考文献に『栃木県史』が挙げられています。

 上記記述を参考に、『栃木県史』や鬼怒川、小貝川等の流域の市町村史誌等をお調べしました。
記述が確認できたものは、以下の資料です。
なお、本文を精読しての調査はできませんので、通史編を中心に目次調査のみ行っています。

・『近代足利市史 3 史料編 原始・古代・中世・近世』(足利市史編さん委員会/編 足利市 1979)
 p.543-545に「寛保二年十一月 鵤木村水難につき困窮百姓御救金請取帳」という文書の翻刻が収録されており、本文に「当戌八月朔日夜出水ニ付 御公儀様より水難之百姓御改メ被遊候所、(略)」とあります。
なお、「川嶋与一郎家文書」とのことです。

・『藤岡町史 通史編 後編』(藤岡町史編さん委員会/編 藤岡町 2004)
 p.49-51に「寛保二年の洪水」について、只木(ただき)村の名主から古川藩奉行等へ損害を報告した文書の内容を紹介しています。続けて、p.51-53に、この洪水の際に行われた、西国大名の手伝普請について述べられています。

 以下の市町史には関連する記述はありますが、史料等の詳細な記録はありませんでした。
・『芳賀町史 通史編 近世』(芳賀町史編さん委員会/編 芳賀町 2003)
 p.513に「寛保二年(一七四二)七月末と八月はじめには関東諸国が大暴風雨となり、(略) 氾濫した河川には「絹川」(鬼怒川)の名もあり、下野方面も洪水に襲われた地域があったと思われる(『日本凶荒史考』)。本町域には大きな影響はなかったものかどうか、史料は残されていない。」とあります。

・『いまいち市史 通史編 2』(今市市史編さん委員会/編 今市市役所 1995)
 ※「今市(いまいち)市」は現・日光市東部です。
 p.297に「寛保二年(一七四二)の関東平野の大洪水は、その被害が甚大なこと、被災地域が広大なことで有名だが、日光今市地方ではあまり影響がなかったようである。」とあります。

・『二宮町史 通史編2 近世』(二宮町史編さん委員会/編 二宮町 2008)
  ※「二宮町」は現・真岡市南部です。
 p.177に「寛保二年(一七四二)五月二六日から六月一日まで大雨が続いて洪水となり」との記述があり、関連する文書が挙げられていますが、8月の洪水については記載が確認できませんでした。

 その他、関連する記述が確認できた資料は以下のとおりです。
・『御番所日記 第7巻』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1936)
 日光東照宮の番所日記です。p.360-361に、以下の記述があります。
「  八    朔 風雨    江端数馬
 (略)
   八月 二日  風雨    江端数馬相勤
          午剋〇風止
 一 御宮御平安
 一 晦日〇雨強大水ニ而所々橋落候由玉澤橋落〇
(略)
      十三日 晴     江端主膳
          酉ノ剋雨
 一 御宮御平均
 一 当朔日二日洪水ニ付奉行衆〇宿継御注進状中田町ニ而
   栗橋ヘ通路難成早速右之旨中田町問屋参上相達候所ニ
   (以下省略)」

・大谷貞夫/著「寛保洪水と大名手伝普請について―萩藩家臣吉川家の場合―」
(『栃木史学 第8号』(国学院大学栃木短期大学史学会/編、発行 1994)p.76-107所収)
 内容は、間々田村(現・埼玉県)に関するもののみです。冒頭で「前稿では、寛保洪水の実態について究明した(「寛保洪水と幕府の対応」『国学院大学大学院紀要―文学研究科―』二十三輯所収)」とありますが(p.76)、こちらの資料は当館に所蔵がなく、内容確認には至っていません。

・「寛保洪水記録」(『日本庶民生活史料集成 第7巻』(森嘉兵衛、谷川健一/編 三一書房 1980)p.215-232所収)
 冒頭の解題(p.213-214)に記述の範囲として挙げられているのが「上州」「武州」「江戸」のみで、その中で挙げられている地名にも、現在の栃木県に当たる地域はありませんでした。

・『巴波川 部屋河岸』(荒井邦/著 下野新聞社 2007)
 p.98に挙げられた、江戸期の主な洪水の中に寛保2年もありますが、各藩へ普請手伝を命じたとの記述のみです。

・『渡良瀬遊水地谷中メモリアル100 谷中村廃村100年 -これからの渡良瀬遊水地』
 (渡良瀬遊水地谷中メモリアル100実行委員会/編 藤岡町 2006)
 p.22の「洪水との闘い」に挙げられた、江戸期の谷中村の洪水の一つに挙げられているのみです。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
関東地方  (213)
気象学  (451)
参考資料
(Reference materials)
キーワード
(Keywords)
洪水
記録
下野国
栃木県
近世
江戸時代
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000159621解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決