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参考:世界大犯罪劇場(1997、著者代表コリン・ウィルソン、青土社)p86-89
人々が貧困にあえいでいたくらい大恐慌の時代、グレートプレーンス[カナダ・合衆国にまたがる大草原地帯〕には、車を使った犯罪を専門とする悪名高きギャングたちが跋扈していた。他のギャングと何ら変わるところのなかった彼らだが、貧しい家に生まれ、生活の苦しい一般市民には手を出さず、銀行から金を奪っていることから、現代のロビン・フッド[義賊]のイメージを持たれていた。何よりも、彼らの波瀾に富んだ数奇な人生の物語は、退屈な灰色の時代に華を添えるものだった。
その代表格と言えるのが、民衆のヒーローであり、多くの映画や小説のモデルになった若き恋人たち、ポニー・パーカーとクライド・バローである。現実の彼らは伝説の中よりも荒っぽいやり方で殺しを行っていた。一九〇九年三月二四日、テキサスの貧しい農家に生まれたクライド・バローはとりわけ極悪非道な性分の持ち主で、子供の頃から農場の動物を虐待しては喜んでいたと言われる。
彼の未来のパートナーである、二歳年下のボニー・パーカーは、敬虔なバプテスト派信者の家庭に生まれた。彼女が四歳の頃に父親が亡くなり、一家は陰鬱な名を持つテキサスの街セメント・シティ[共同墓地の意味]にやって来た。小柄なブロンド美人のボニーには大勢の男たちが群がり、わずか一六歳でロイ・ソーントンというダラス出身の札付き者と結婚することになった。ところがソーントンは間もなく殺人罪で投獄され、一九歳のボニーはハンサムで礼儀正しい好青年クライドに出会う。ボニーのやや親も感じのいいクライドを気に入っていたが、彼が強盗や車両の窃盗などの七つの罪で逮捕されるに及んで、その幻想は見事に打ち砕かれた。しかし娘の方はクライドに夢中で、刑務所にこっそり銃を持ち込み、脱獄の手助けをしてやった。数日後、今度は鉄道の切符売り場で銃をつきつけて金を奪い、再び逮捕された彼は、陰鬱なテキサスの刑務所での一四年間の刑を言い渡されてしまう。
今回はボニーもなす術がなかった。そこでクライドは知恵を絞り、他の受刑者に頼んで斧で爪先を切り落としてもらうという妙案を思いつく。不具者となった彼はすでに十分に苦しんだと見なされ、釈放された。クライドは足を引きずりながら、ボニーの許へ駆けつけた。彼は堅気の人間になろうとした。しかし、仕事は退屈な上、稼ぎも少なく、どちらにせよ最後に待ち受けているのは死だけだった。犯罪の道ならば、いつまでも失望してばかりということもないと思われた。ボニーと彼はウエスト・ダラスへ向かった。彼らは途中でクライドの友人レイ・ハミルトンを乗せ、他にも二人のギャングを仲間に引き入れ、街を後にした。
彼らは大金を手にする機会にはめったに恵まれず、奪った最高額は三五〇〇ドルに過ぎなかった。小規模な強盗をわずかばかりはたらいた後、クライドはテキサス州ヒルズボローの宝石商を銃で撃ち、初めての殺人を犯すことになる。彼らが奪った金額は総額でわずか四〇ドルだった。この時ボニーは車両の窃盗容疑で勾留中であり、三カ月後に彼女が釈放された頃には、仲間のギャングはテキサスのダンスホールの外で保安官とその助手を銃撃したことにより、自ら死を招いていた。
二人の殺人には、ふと思いついて殺すとか、むしゃくしゃするからというだけのものがある。ボニーがテキサスの肉屋の腹部に三発の銃弾を撃ち込んだり、盗もうとした車の持ち主の息子をわけもなく殺したのも、こうした性分のなせるわざとしか言いようがなかった。そんな彼らに警察の容赦ない捜査の手が及んでいた。一九三三年、彼らはミズーリの隠れ家にいき、それまで堅気だったクライドの兄バックとその神経症の妻ブランチの二人を仲間に引き入れた。こうして大所帯となった彼らは、ますます警察の目につき易くなっていた。とうとう警察に包囲された彼らだったが、それまでにかなりの武装を備えていたため、反撃を加えつつ、途中、二人の警官の命を奪いながら、なんとか逃げおおせることができた。
逃走中の彼らは日増しに神経を高ぶらせていった。死が避けられないものとなった今、彼らは二度と両親に会えなくなることを恐れた。行動にもどこか自暴自棄な様子がうかがわれるようになり、以前にもまして気まぐれに殺人を重ねた。激しい衝突事故を起こしても何とか持ちこたえ、警察の攻撃を再度かわした彼らは、またしてもミズーリに追い詰められた。今回はなんとか逃げることはできたものの、警察側が一矢を報いた形になった。バックは頭を打たれ、ブランチは傷のために失明した。ボニーは事故のあと、足が利かなくなっていた。クライドが水と食料を買うために車を止めると警察は攻撃をしかけてきた。蜂の巣にされたバックは六日後に病院で亡くなり、死んだ夫の許に留まったブランチは、懲役一〇年を言い渡された。
ボニーとクライドはその後の三か月間、警察の手から逃げ延びた。やがてかってのギャング仲間から情報を聞き出した警察は、買い物から帰ってくる二人を待ち伏せした一九三四年五月二三日、二人が乗っていたフォードのV8セダンには百発近くの銃弾が浴びせられた。彼らは若く美しい姿のまま即死した。ダラスで二人が埋葬された時には、国中から人々が押し寄せた。
「プリティ・ボーイ」・フロイドの名づけ親は、彼にご執心だったカンザス・シティの売春宿の女将だった。彼は本名をチャールズ・アーサーといい、背の高く筋肉質の男で、オクラホマの農場労働者として働いていた。ある日彼はシャベルを捨て、ギャングとして生きていこうと決心する。ボニーやクライドと同世代だったフロイドは、二人とまったく同じ領域で活躍し、銀行を襲い、逆らったものすべてに銃弾を浴びせた。やがて警察がつかんだ一件の殺人罪のためにプリティ・ボーイは逮捕され、一五年の刑を言い渡される。しかし刑務所へ向かう列車から飛び下りた彼は、再びギャングの活動に戻った。一九三四年、彼はついにオハイオでFBIによって銃弾を浴びることになった。