レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2014/06/15 14:16
- 更新日時
- 2015/11/15 17:07
- 管理番号
- 2014-24
- 質問
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解決
「四万六千日」と「ほおずき」について調べたい。関連の本はあるか。
- 回答
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【四万六千日】
市内所蔵あり。
以下それぞれの資料より引用。
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『世界大百科事典12 改訂新版』(平凡社/2007)
「この日に参詣すると4万6000日参詣したのと同じ功徳があるという縁日のこと。(中略)東京浅草寺の7月10日(現在は8、9日)の縁日がとくに著名。この称は江戸時代になって浅草寺で用いられたもので、享保20年(1735)版の《続江戸砂子》にも見えている。それまでは浅草寺でも千日参りといわれていた。(中略)この日には浅草寺では寛政の頃まで茶筅(ちゃせん)、文政の頃までは附子(ぶす)の粉が売られた。そして文化の末ころから雷除けの玉蜀黍(とうもろこし)売が始まり、今はほおずき市が有名である。」
『観音経物語』(京戸慈光著/開山堂出版/2004)
「七月の十日は「四万六千日」という縁日です。(中略)特に浅草の観音さまは沢山の信者さんがお参りします。この「四万六千日」というのは、その日にお参りすると、四万六千日分お参りをしたのと同じ功徳があるという意味です。四万六千日を年になおしますと、約一二六年ほどになります。これは、人間の寿命の上限です。(中略)
はじめは愛宕神社で行われ、やがて元禄ごろから浅草寺でも「四万六千日詣」が行われて、にぎわったようです。(中略)
さて、四万六千日という数の出拠について詳しい事はわかりませんが、その考え方の根拠はやはり『観音経』にあります。
『観音経』の中に、
無尽意(菩薩)、もし人有りて、六十二億恒河沙の菩薩の名字を受持し、また形を尽すまで、飲食、衣服、臥具、医薬を供養せん。
汝が意に於ていかん。この善男子、善女人の功徳、多しや否や。
無尽意の言さく、はなはだ多し、世尊。
仏の言はく、
もしまた人ありて、観世音菩薩の名号を受持し、ないし一時も礼拝し供養せん。この二人の福、正等にして異なることなけん。
百千萬億劫に於いても窮尽すべからず。無尽意、観世音菩薩の名号を受持せば、かくの如き、無量無辺の福徳の利をえん。
という部分があります。
つまり、これは「一時でも観音さまを礼拝供養するものは、六十二億恒河沙(ガンジス川の砂ほど)という無数の菩薩を、寿命のつきるまで供養するに等しい」と説かれているのです。(中略)
ここに、四万六千日の功徳日の意味があるのです。」
『岩波仏教辞典』(中村元編/岩波書店/1989)
「観音(観世音菩薩)の縁日の7月10日あるいは月遅れの8月10日のこと。この日に参詣すれば四万六千日参詣したのと等しい功徳があるとされる。(中略)江戸時代中期から始まった風習で、それ以前から習俗としてあった千日参りの功徳に匹敵するものとして盛んになり、東京の浅草寺、京都の清水寺、大阪の四天王寺をはじめ各地の観音を祀る寺院で縁日が持たれるようになった。」
『仏教と仏事のすべて』(大久保良峻監修/主婦の友社/2011)
「7月10日の観世音菩薩の縁日のことですが、この日に参詣すると四万六千日参詣したのと同じ功徳がいただけるというので、この名があります。東京の浅草寺の縁日が特に有名で「お茶湯功徳日」ともいい、観音に供えたお茶を、参詣の人々にもふるまうので、にぎわっています。」
『仏事儀式全書』(昭和仏典刊行振興会編/文進堂/1972)
「四万六千日とは、「しまん」とも「よまん」とも呼ばれて、東京・浅草観音、芝愛宕神社、京都の清水観音では、この日に参詣すれば、一日詣って四万六千日参詣したと、同じ功徳があるとされて、江戸時代の中ごろから始められた。
浅草観音は毎年七月八・九日が、この日にあたり、昔は、茶筅を売る店が並んでいたが、のち雷除けの玉蜀黍・青酸漿を売るようになってきた。(中略)
愛宕神社では、御夢想の虫の薬と称して青酸漿を売っていた。京都の清水観音は八月十日に行われている。」
『「縁」を結ぶ日本の寺社参り』(渡辺憲司監修/青春出版社/2006)
「七月九日か十日に浅草寺へお参りすると四万六千日分お参りしたのと同じ功徳があるといわれている。(中略)
観音様の功徳日のなかでも一番効果があるのが、七月十日の四万六千日。四万六千日の功徳とは一生分に余るほどの日数。この日数の由来は、一升枡に入る米粒が四万六千粒で、一升と一生をかけて長寿を祈ったものだ。」
【ホオズキ・ほおづき、またはほおづき市】
市内所蔵あり。
以下それぞれの資料より引用。
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『世界大百科事典26 改訂新版』(平凡社/2007)
「人家に栽培されるナス科の多年草。(中略)基本変種のヨウシュホオズキはヨーロッパから中央アジアにかけて分布。
[園芸]
日本で観賞用に栽培されるホオズキ類は、ホオズキが最も多く、これの小型品種をサンズンホオズキ、早生大果品種をタンバホオズキという。ショクヨウホオズキ等は北アメリカ原産で、熟した果実は甘みがあり、生食や煮食される。このほか、熱帯アメリカ原産の一年生種で萼が赤く着色しないセンナリホオズキが帰化している。
[民俗]
ホオズキには異称が多くアカカガチ、カガチ、カガミコ、ヌカヅキ、ホオズキなどがあった。古く記紀には八岐大蛇の目の形容として赤酸漿(アカカガチ)の語が見え、平安時代になるとヌカズキやホオズキの語も現れた。(中略)
ホオズキの語源には、子どもの紅顔に例えたという説や、実を鳴らす時の顔の様子から出たとする頬突説のほか、《大和本草》には蝥(ホウ)という虫がつくから蝥付だという説もある。(中略)
江戸時代には、ホオズキは手遊びや薬用として非常に愛用され、一時は江戸の町のホオズキ売りが規制されたほどであった。(中略)
ホオズキは鬼灯とも書き、七夕や盆には庭先や仏壇に飾られ、盆の精霊迎えにホオズキちょうちんを使用する。さらに魂ホオズキがなまって丹波ホオズキと呼ばれたりすることなどから、ホオズキは精霊の依代だったと考えられる。(中略)
現在、浅草の浅草寺の境内では四万六千日の縁日にホオズキ市が開かれているが、以前は雷よけとして赤トウモロコシが売られていた。ホオズキの青い実を陰干しにして鎮静剤とする風は平安時代に見られたが、その他の薬用として、煎じて飲んだり根を子宮に入れて堕胎剤とされたり、逆に安産の妙薬、利尿剤、小児の解熱、頭痛、腹痛、のどの薬など用途が広く、とくに江戸時代には多用された。」
『原色花卉図鑑(上)』(塚本洋太郎/保育社/1979)
「ふうせんかずら」
「(前略)種名のハリカカブムは「ホオズキ」のことである。本種は北米南部から南米に分布する。つる性植物で、7~8月に小さい白い花をつけ、8~11月に緑色の風船のような果実がつく。垣にからませるとよい一年草で、4月に種子をまく。」
『露店市・縁日市』(秦孝治郎著/中央公論社/1993)
「浅草の観音、正しくは金竜山浅草寺は、坂東霊場巡礼第十三番目に当たり、江戸三十三ヵ所の札所の一つである。(中略)
七月九日、十日の四万六千日には、江戸時代めったに外泊などできなかった商店の番頭さんたちが、観音さまのご利益にかこつけて、おおっぴらに外泊ができた。
そこに縁日の景物として優にやさしいほおずき市が立った。(中略)その出商人の出品は、おもにとうもろこしと青ほおずきである。なかんずく誰が言い出したものかとうもろこしは雷除けになると言うので、その野趣味豊かな美味とともに相当の売れ行きがあった。」
『「縁」を結ぶ日本の寺社参り』(渡辺憲司監修/青春出版社/2006)
「七月十日に市がでるようになったのは、江戸中期。最初は赤トウモロコシが売られていた。というのも千住でトウモロコシを作ったが、なぜか赤いトウモロコシができてしまって困ってしまった。そこで、たまたまこの年は雷が多かったので、「雷除け」と名づけて販売したところ大ヒット。(中略)
しかし現在、浅草寺の四万六千日では、赤トウモロコシ市ではなく、ほおづき市が有名である。(中略)
実は、ほおずき市のそもそものはじまりは芝の愛宕神社だった。芝の武家屋敷に奉公していた仲間(ちゅうげん)が、庭を掃除中に千成りほおずきを発見したしたのをきっかけに、「青いほおずきを飲むと大人なら腹の立つ原因をなくすことができ、子どもは癇癪を抑えられる」と効能をうたって六月二十四日の地蔵様の縁日で売り出したところおおいに受けた。当時、青いほおづきは軒下に吊るしておくと害虫避けになるともいわれ、江戸庶民にとっての薬の役目を果たしていたのである。
明治期になって、赤トウモロコシの不作の年があった。浅草寺は雷除けの護符を出したが、このときから浅草寺でも青いほおずきが売られるようになって、いつしか愛宕神社をしのいで浅草寺のほおずき市が有名になったのであった。」
『観音経物語』(京戸慈光著/開山堂出版/2004)
「江戸の明和年間(一七六四~一七七二)になりますと、多くの人たちが集まるので、そこに市がたち、浅草寺境内に「酸漿市」が立ちならびました。
ほおずきは七月の花です。文月(陰暦七月)に咲くので「ふうづき」から「ほおづき」となったのです。(中略)
また、ほおずきは熱さまし、咳止め、利尿の薬として用いられていました。」
- 回答プロセス
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インターネットで「四万六千日」を検索すると、浅草寺のHPにて「四万六千日(ほおずき市)」に関するページがございましたのでまずそちらをご紹介しました。しかし利用者様はインターネットに掲載されている程度の情報はすでに調査済みであったので、所蔵資料による調査に移りました。
自館業務端末による書名検索「四万六千日」では今回のレファレンスの関連資料はヒットしませんでした。よって『世界大百科事典12 改訂新版』で調査しましたが、インターネット上にある情報の他には寛政の頃から現在に至るまでの四万六千日当日の市の変遷が簡潔に記載されているのみで、あまり詳細な内容はございませんでした。
次に自館の業務端末で、全項目検索により「四万六千日」を調査したところ『「縁」を結ぶ日本の寺社参り』(渡辺憲司監修/青春出版社/2006)がヒットしました。
上記の資料を参考に、縁日に関する本『露店市・縁日市』(秦孝治郎著/中央公論社/1993)も調査しました。
調査していくと、その過程で「四万六千日」が観世音菩薩の縁日であることが分かり「縁日」や「観音」「観世音」「仏教」のキーワードも加えて調査し、下記の資料群にたどり着きました。
『観音経物語』(京戸慈光著/開山堂出版/2004)
『岩波仏教辞典』(中村元編/岩波書店/1989)
『仏教と仏事のすべて』(大久保良峻監修/主婦の友社/2011)
『仏事儀式全書』(昭和仏典刊行振興会編/文進堂/1972)
「四万六千日」を調査していく中で、「ほおずき市」に関する記載が多数ございました。
質問をお聞きした時には各々別のレファレンスかと思いましたが、調査していく中で「四万六千日」と「ほおずき」には関連性があることが分かりました。
『「縁」を結ぶ日本の寺社参り』(渡辺憲司監修/青春出版社/2006)
『観音経物語』(京戸慈光著/開山堂出版/2004)
『露店市・縁日市』(秦孝治郎著/中央公論社/1993)
ほおずきに関する資料は、所蔵検索や植物学や園芸等の分類の書棚をブラウジングして調査しましたが、情報が乏しかったので上記の3冊とあわせて以下の図鑑をご紹介しました。
『世界大百科事典26 改訂新版』(平凡社/2007)
『原色花卉図鑑(上)』(塚本洋太郎/保育社/1979)
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 「世界大百科事典12 改訂新版」(平凡社/2007) (p569)
- 「世界大百科事典26 改訂新版」(平凡社/2007) (p200)
- 「観音経物語」(京戸慈光著/開山堂出版/2004) , ISBN 4-906331-12-2 (p31~35)
- 「岩波仏教辞典」(中村元編/岩波書店/1989) , ISBN 4-00-080072-8 (p374)
- 「仏教と仏事のすべて」(大久保良峻監修/主婦の友社/2011) , ISBN 978-4-07-277428-1 (p260)
- 「露店市・縁日市」(秦孝治郎著/中央公論社/1993) , ISBN 4-12-202024-7 (p100,p224)
- 「仏事儀式全書」(昭和仏典刊行振興会編/文進堂/1972) (p166)
- 「「縁」を結ぶ日本の寺社参り」(渡辺憲司監修/青春出版社/2006) , ISBN 4-413-04136-4 (p69~72)
- 「原色花卉図鑑(上)」(塚本洋太郎/保育社/1979) (p9)
- キーワード
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- 四万六千日
- ほおづき
- ほおずき
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- 観音
- 観世音菩薩
- 仏教
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000154310