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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000152071
提供館
(Library)
大阪府立中之島図書館 (2120002)管理番号
(Control number)
6001001280
事例作成日
(Creation date)
2013/05/11登録日時
(Registration date)
2014年04月12日 00時30分更新日時
(Last update)
2014年04月19日 13時39分
質問
(Question)
辞典「大阪府の地名」I.II 平凡社 住吉区 住吉村 719頁 下段に下記のように、
 明治12年(1879)頃の調査によれば、組段通680枚、織段通 12,500枚、帆木綿 850尋、差子織1350枚・・・
従事戸数 149。段通は堺段通の本場として産出されたといわれ、明治初年頃よりその製造が盛んになったという。幕末維新期にはかなりの商業活動が行われたものと思われる。(以上住吉村誌、東成郡誌) とあります。
 堺段通については、北崎豊二氏の論文など 資料がありますが、1.住吉村での具体的な生産状況が分かりません。また2.帆木綿についてはまったく分かりません。1と2 につき 詳しく教えてください。
回答
(Answer)
1.住吉での段通生産
●『住吉村誌』(※原本は昭和2年刊。今回の調査では昭和51年の再刊を用いました。)
住吉村での段通生産について、ある程度まとまった情報が掲載されています。
「就中緞通は本村の最も主要工産物にして、殆ど堺緞通の本場としてその産額は最も多かりき。
元来堺緞通と称するものの内二種あり、一を手編緞通と云ひ、他を摺込緞通となす。而して手編緞通は天保二年始めて堺に於て、肥前の鍋島緞通及び支那緞通に似せて作り出せるを以て始めとなし、爾来漸次隆盛に赴きたるものにして、摺込緞通は文久二年本村の星野宇兵衛、稲葉善兵衛の両人が、元西陣の職工にして大阪天満に住せし久七(姓不詳)なるものより、ビロード織法に倣ひて一種の緞通織法を習ひ、種々工夫を費やして其の成品を堺に持ち出せしに始まるものにして、之より堺緞通の名は益々其の名を知らるるに至れり。されば実に我住吉村は真に堺緞通の本場なりと称するも故なきにあらざるなり。
従って堺緞通の声価上がるに従ひ、本村内に於ける之が製造業は益々盛んに行はれ、遂に明治二十年の頃より一朝堺緞通の輸出を見る事となるや、欧米人の室内敷物として最も嗜好する所となり、一躍有数なる輸出貿易品となり、益々其の製造は隆盛に赴き、明治二十七八年の頃には遂に其極に達せり。
然るに粗製濫造の結果一度海外の信用を失墜するや、輸出に一頓挫を来たし、同二十九年より其の製造は殆ど三分の一に減じ、爾後遂に今日に至るまで昔日の隆盛を見る事能はず、然れども尚ほ依然として村内重要工産物の一たるを失はず。」(P233-234)
●「明治期における大阪の段通業」北崎豊二(『近代史研究 第9号』P8-18)
P10-11に「堺段通と住吉段通」の項があります。
「『堺市史』の記すところによれば、“(明治)二十年中の調査統計によると摂津に於ける段通の生産高六千三百畳に対し、和泉九万六千百二十畳”で、和泉の産額の大半は堺であり、摂津のそれは住吉であるから、これによって両者の景況をほぼ察することが出来るだろう。けれども、住吉村においては明治二十年頃、周辺の農家の婦女子をも吸収して『段通織場』で、さかんに段通を織っていた。『農事調査』でも述べているように、住吉郡では近代的紡績業の発達により手紡が衰退し、“婦女子ノ如キ従来糸紡キヲナシタルモノモ今ハ紡績場ノ雇ヒトナリ又ハ段通織場ニ雇ハレ”たのであった。」(P10)
また、明治28年5月29日付の『大阪朝日新聞』を引用し、次のように述べています。
「住吉段通組合は住吉、西成、東成の三郡の営業者によって組織したもので、“工場六百五十箇所、職工四千人、生産額大約十一万帖、原価拾万円”であった。従って、府下における段通業の最盛期においても、堺段通組合は住吉段通組合に比し、工場数では四倍強、職工数、産額では約六倍にもおよび、堺段通が、はるかに住吉段通を凌駕していた。」(P10)
●『堺段通 中国緞通技術の受容と輸出地場産業の成立』
書名の通り、ほとんど堺の段通製造に特化しております。
しかし、『大阪府統計書』など各種の資料を引用しており、住吉村のデータも若干ながら掲載されています。
たとえば、P182~185には明治後期に住吉村にあった段通工場(4軒ほどですが)が紹介されています。(明治36年~明治40年にかけての『大阪府統計書』や『工場通覧』より引用。)
また、残念ながら住吉村の詳細な統計は見つかりませんでしたが、P236-239には明治30年から明治45年まで各年の東成郡の段通生産統計(職工数や生産量、価額など)が掲載されています。こちらも『大阪府統計書』掲載のデータをまとめたものです。
●『府下農村ニ於ケル副業的加工業ノ概況』大阪府内務部 1929 【812/1735/#】
「堺緞通」の項(P59-70)がありますが、住吉での緞通生産についての詳しい記述は見つかりませんでした。
ただし、緞通の工場数として、「大阪市住吉区住吉町 (工場数)1 (職工概数)2」とあります(P62)。調査年は記されていません。刊行年の昭和4年頃でしょうか。
●『東成郡誌 下巻』東成郡役所編 名著出版 1972 【328/1337/#】
大正六年末の東成郡全体の緞通の生産状況として、「(産額)1,500反 (金額)48,000円 (販路其他)内地朝鮮支那南方地方」とあります。(P1637)
●『大阪府工業調』大阪府内務部 1915 【709/3/#】
「緞通の製造に従事せるもの大正二年において二百九十二人にして堺市を中心として住吉村より南河内の南部に散在せり」(P18)
●『住江織物六十年史』住江織物株式会社社史編纂委員会編集 住江織物 1975 【544.4/1293/#】
明治16年に住吉で緞通業を始めた会社の社史ですが、残念ながら住吉村全体の生産状況には触れられておりません。
2.住吉での帆木綿の生産
●『商業的農業の展開』宮本又次編 大阪大学経済学部社会経済研究室 1955 【812/1141/#】
「住吉村は地味が豊饒でなかったから副業に従うものが多かったのである。これは天保二年頃堺氏の商人藤本庄左衛門が肥前鍋島の緞通を模して作り、堺の泉利兵衛なる者をして製織させ販売したのが伝わったという。一時は堺の本場をしのぎ、堺緞通の本拠たるの観があった。その外帆木綿が行われた。」(P38)とありますが、情報源は既出の『東成郡誌』と『府下農村ニ於ケル副業的加工業ノ概況』です。
あらためて両資料を確認いたしましたが、住吉での帆木綿の生産状況等についての記述は見つかりませんでした。
●『南北堀江誌』蒲田利郎∥編纂 南北堀江誌刊行会 1929 【378/223/#】
「船具」の項中、明治三十四五年の商品仕入地として、「帆木綿類は明石駒ヶ林、須磨、堺、住吉、天王寺等であったが当時は尾の道、明石、近江、及び大阪府下全部」とあります。(P138)
その他、木綿や船具なども含めて調査を行いましたが、残念ながら、質問事項にお書きいただきました明治12年頃の数値以上の詳しい状況を見つけることはできませんでした。参考のため、今回の調査に用いた資料を以下に挙げます。
(今回の調査資料)
・『大阪府統計書 明治19年』大阪府 【351.6/3N】
・『大阪府誌 第2編 工業.度量衡.特許.富力並生産力』大阪府編纂 思文閣 1970 【378/37/#】
・『近世大坂平野の村落』木村武夫編 ミネルヴァ書房 1970 【819/397/#】
・『[大阪工業之沿革及統計]』 [大阪府臨時勧業調査部写] [1---] 【700/2/#】
※目首に「明治廿六年以降発行商業資料ヨリ拔粹綴合セシ物ナリ…」とあり
・『発展過程よりみたる大阪工業とその構造』大阪府立商工経済研究所 1952 【709/255/#】
・『農村地域の工業化 変革期の地域変容』山中進著 大明堂 1991.11 【332.1/161N】
・『明治維新の基礎構造』中村哲著 未来社 1968 【210/N46/1】
・『近世日本農業の展開』古島敏雄著 東京大学出版会 1971 【819/275/#】
・『近代日本における企業家の諸系譜』竹内常善[ほか]編 大阪大学出版会 1996.7 【335.2/323N】
・『近世商人風土記』宮本又次著 日本評論社 1971 【672.1/48N】
・『農事調査 第1~5分冊 大阪府之部』大阪府 【819/245/#】
・『明治期農村織物業の展開』神立春樹著 東京大学出版会 1974 【786.9/75/#】
・『商業的農業の展開 近畿農村の特殊構造』宮本又次編 大阪大学経済学部社会経済研究室 1955 【812/1141/#】
・『大阪木綿業誌』大阪織物同業組合二部同志会 1936 【541.3/73/#】
・『日本産業史大系 6 近畿地方篇』地方史研究協議会編 東京大学出版会 1971 【802/315/#】
・『帆布の今昔』魚谷勝著 関西重布会 1977 【586.2/5】
3.『大阪府の地名』記載の明治12年頃の調査数値について
『大阪府の地名』では『東成郡誌』を引用して明治12年頃の生産数を挙げておりますが、その『東成郡誌』を見ましても、その明治12年頃の調査の典拠は記載されておりませんでした。
明治12年頃の調査数値の出所が特定できれば他の年代における情報も見つけられるかもしれないと思い調査を行ったのですが、残念ながら典拠となった資料を特定することができませんでした。
なお、所蔵がないために内容の確認ができませんでしたが、時期的に考えると『大阪府農商工統計年報』が参考になるかもしれません。
国立国会図書館に所蔵がありましたので、ご紹介いたします。
<国立国会図書館所蔵資料>
●『大阪府農工商統計年報』第9,10,12-23回(明治19,20,22-33年).
請求記号 14.2ロー13
原本代替記号 YDM41689 (マイクロフィッシュ)
-] 【700/2/#】
※目首に「明治廿六年以降発行商業資料ヨリ拔粹綴合セシ物ナリ…」とあり
・『発展過程よりみたる大阪工業とその構造』大阪府立商工経済研究所 1952 【709/255/#】
・『農村地域の工業化 変革期の地域変容』山中進著 大明堂 1991.11 【332.1/161N】
・『明治維新の基礎構造』中村哲著 未来社 1968 【210/N46/1】
・『近世日本農業の展開』古島敏雄著 東京大学出版会 1971 【819/275/#】
・『近代日本における企業家の諸系譜』竹内常善[ほか]編 大阪大学出版会 1996.7 【335.2/323N】
・『近世商人風土記』宮本又次著 日本評論社 1971 【672.1/48N】
・『農事調査 第1~5分冊 大阪府之部』大阪府 【819/245/#】
・『明治期農村織物業の展開』神立春樹著 東京大学出版会 1974 【786.9/75/#】
・『商業的農業の展開 近畿農村の特殊構造』宮本又次編 大阪大学経済学部社会経済研究室 1955 【812/1141/#】
・『大阪木綿業誌』大阪織物同業組合二部同志会 1936 【541.3/73/#】
・『日本産業史大系 6 近畿地方篇』地方史研究協議会編 東京大学出版会 1971 【802/315/#】
・『帆布の今昔』魚谷勝著 関西重布会 1977 【586.2/5】
[事例作成日:平成26年2月28日]
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
住吉村誌 住吉村常盤会∥編纂 住吉村常盤会 (233-234)
近代史研究 大阪歴史学会近代史部会  8-12 (10-11)
堺緞通 角山/幸洋∥著 関西大学出版部
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
その他
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000152071解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
未解決