レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2014/04/05 17:20
- 更新日時
- 2014/11/25 16:10
- 管理番号
- 市川20131101-01
- 質問
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解決
市川市出身の力士、「境川」と「若島」についての資料を探している。
- 回答
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「境川」(1841-1887)は『大相撲人物大事典』(ベースボール・マガジン社 2001)
p.252「境川浪右衛門」の項を見ると、本名は宇田川政吉、出身は市川市高谷2丁目、
明治9年第14代横綱となったとある。
『市川ひと事典 第3版』(エピック 1995)p.103によると、
農業と製塩業を営む宇田川平八の三男として生まれ、
横綱時代もたびたび高谷へ戻り、相撲興行を行い地元に奉仕していたという。
実家近くの大鷲神社の鳥居に4斗俵(約60キロ)の米俵を投げ上げ、
反対側へ走って受け止めたという逸話も紹介されている。
『幕末の市川』(市立市川歴史博物館 2003)には、
境川が下妙典村の名主「藤左衛門」に送った慶応2年の番付表や、
引退翌年(明治15年)の手形の写真などが掲載されている。
「若島」(1876-1943)は上記『大相撲人物大事典』p.296「若島大五郎」の項によると、
本名は高橋(のち加藤)権四郎、出身は市川市原木とある。
人気におぼれて土俵がおろそかになり脱走、大阪に籍を移してから頭角を現し、
第21代大阪横綱「若島権四郎」として活躍した。
大阪時代については、p.670「若島権四郎」の項を参照。
『千葉県と相撲』(小島貞二/著 京葉市民新聞社 1972)によると、
高橋という農家に生まれたのち、5歳で東京深川の加藤という八百屋へ養子に出されたという。
このため、長い間若島の出身地は東京とされていた。
その他『大相撲錦絵歴代横綱名鑑』(ベースボール・マガジン社 2013)、
『歴代横綱おもしろ史話』(小島貞二/著 毎日新聞社 1993)などを提供。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 相撲.拳闘.競馬 (788 8版)
- 参考資料
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「相撲」編集部 編 , 相撲編集部. 大相撲人物大事典. ベースボール・マガジン社, 2001.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002983859-00 , ISBN 458303640X -
市川ひと事典編集委員会 編. 市川ひと事典 : これ一冊で市川が読める なんでもいちかわ 第3版. Epic, 1995.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002498963-00
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「相撲」編集部 編 , 相撲編集部. 大相撲人物大事典. ベースボール・マガジン社, 2001.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000151906