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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000151564
提供館
(Library)
沖縄県立図書館 (2110045)管理番号
(Control number)
1000000799
事例作成日
(Creation date)
2014/03/29登録日時
(Registration date)
2014年03月30日 00時30分更新日時
(Last update)
2014年03月30日 11時10分
質問
(Question)
「チンスコウ」について調べたい。
 明治41年、琉球王朝最後の包丁人である新垣淑康が沖縄初の菓子店を創業した際、伝統的な琉球菓子をレンガ焼で食べやすい大きさに改良したのが現在のちんすこうになっている。当時のちんすこうを再現したいが、明治40年頃の原料とはどんなものであったか知りたい。
①その当時の小麦粉はどの様なものを使っていたのか?(薄力粉,強力粉や米粉など)
②砂糖はどの様な砂糖を使っていたのか?(精製された白糖や黒糖など)
③ラードはどの様な脂(どの豚の脂)を使っていたのか?
④ちんすこうは貴重なお菓子と言われているが、その理由を調べるため、明治40年頃の一般庶民の年棒と、砂糖や小麦粉の価格を知りたい。
回答
(Answer)
①~③の質問については、はっきりした事実は資料から確認できなかった。
 ただ次のような資料と記述がある。

1、『琉球新報』1971年7月8日夕刊「随想 琉球菓子」(新垣 淑哲)
「主原料は小麦の粉、砂糖、豚の脂からなっている焼き菓子である(略)沖縄特産黒豚のあぶら身をトロリトロリと煮つめて製した原料をつかった」(他の記述より江戸時代の製法と分かる)。

2、『青い海』 第5巻第2号・通巻第40号 1975年2月号 (青い海出版社編・刊、1975.1)p107-109「琉球菓子に賭けて60年」(新垣 淑扶)
「チンスコウは今、電気窯で焼いています。(略)もちろん、琉球菓子すべてがそうですが、防腐剤など一切使っていません。ただ着色料だけは、大正の初め頃から使っています。」(p108)
とあり、明治には着色料は使用していなかったと分かる。
「私は明治三十一年生まれ。二十歳に店を継いでから、やがて六○年を迎えます。(略)かつて黒糖しかなかった沖縄では、お菓子に使う白糖を支那から仕入れていた。今は沖縄内で白糖を生産するまでになり、いろんな意味で、菓子づくりの条件が良くなってきました」(p109)
とあり、菓子作りには昔も白糖の使用が基本であったようである。

3、『沖縄の食文化』(外間 守善、沖縄製粉、2010.3)
「私が子どもの頃には庶民にまで広く伝わり、ちょっと贅沢なおやつとして年に数回は味わったものである。(略)また、小麦粉が一般的になるまでは米の粉であったという。私の知るちんすこうは楕円の形をしていた。」(p85-86)
 著者は1924年生まれ。小麦粉がいつから一般的になったかは不明。

4、『那覇市史』資料編第2巻中の7(那覇市企画部市史編集室、那覇市役所、1979.1)
・p195に「さとう」の項目
「ぜいたく品としてみられ、庶民の家では明治、大正の頃まで普通の食事にはあまり使われず、行事料理や特別の時しか使われなかった。白糖ざらめ、黒糖などが売られていた」
・p196に「ラード(豚の脂)の項目。
・p323に「専門家のつくる菓子の項目」


 他に①~③の質問について以下の資料も調査した。

5、『琉球学集説』8・9の8-p55「琉球の菓子」(沖縄タイムス 1954年5月14日記事 新垣 叔扶)
 琉球菓子の項にチンスコウの記述があり、また御包丁人小盤新垣親雲上の経歴等の記述もある。

6、『沖粉ニュース』第43号(1969年6月)p5-7「琉球における菓子の変遷」(新垣 叔扶)

7、『家庭科教育とともに』(新垣博子先生定年退官記念事業会編・刊、1985.3)p191-203「明治期から大正初期にかけての沖縄における日常食の食品使用上の諸特徴」
 p200に「調理用油脂」についての記述がある。

8、『沖縄キリスト教短期大学紀要』第24号(沖縄キリスト教短期大学編・刊、1995.12)p181-203「王朝時代の琉球菓子の分類と解説」(安次富 順子)
 p197にきんそ糕(金楚糕)の説明で明治42年頃の話があるが具体的記述はない。

9、『沖縄キリスト教短期大学紀要』第26号(沖縄キリスト教短期大学編・刊、1997.12)p141-153「文献にあらわれた琉球菓子の資料整理」(安次富 順子)
 p148に金楚糕(ちんすこう)の説明がある。

10、『沖縄縣史』 第22巻 各論編10(民俗1) 復刻版(琉球政府、国書刊行会、1989.10)
 p197にチンスコウの記述がある。

11、『琉球料理』(新島 正子、新島料理学院、1971.4)
 p83-84に「琉球菓子」についての記述がある。

12、『私の琉球料理』(新島 正子、柴田書店、1983.3)
 p20-21に「琉球菓子」及びp35「琉球菓子解説」の記述がある。

13、『料理沖縄物語』(古波藏 保好、朝日新聞社、1990.1)
 「『金楚糕』はビスケットのよう」(p79)という記述がある。
 

 ④の質問の明治40年ごろの年報、砂糖と小麦の価格については以下の資料を紹介した。

14、『沖縄事始め・世相史事典』(山城 善三、佐久田 繁、日本図書センター、2013.4)
・p298「沖縄そばのルーツ」中に「沖縄では小麦が育ちにくいので、小麦は貴重品であり(略)」とある。
・p299「分蜜糖の製造開始」
・p316-317明治㊷年「このころの地価と家賃」「労働者の賃金」
・p317「東京の明治29年3月現在の平均賃金」

15、『沖縄県統計書(複製本)明治39,40年』(沖縄県知事官房、沖縄県、1911)
 「賃金及物価の部」(p337-351)に砂糖の記述もある。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
技術  (5)
参考資料
(Reference materials)
沖縄県立図書館. 琉球新報1971年7月8日夕刊2面. (マイクロ複製本)
青い海出版社∥[編]. 青い海 第5巻第2号・通巻第40号. 青い海出版社, 1975.1. p. p108-109
外間 守善. 沖縄の食文化. 沖縄製粉, 2010.3. p. p85-86
那覇市企画部市史編集室∥編. 那覇市史 資料篇 第2巻中の7. 那覇市役所, 1979.1. p. p195-196、p323
沖縄事始め・世相史事典. 沖縄事始め・世相史事典. 日本図書センター, 2013.4. p. p298、p299、p316-317
沖縄県知事官房∥[編]. 沖縄県統計書 明治39,40年. 沖縄県, 1911. p. p337-351
キーワード
(Keywords)
チンスコウ
琉球菓子
明治
物価
小麦粉
砂糖
ラード
アグー
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
参考:新垣菓子店に関する資料には次のようなものがある。
1、『地域の再生と観光文化』(比嘉 佑[ほか]編集、ゆい出版、2008.3)
 p172-173「有限会社新垣菓子店」の項で、歴史や繁多川の新垣菓子店についての記述がある。

2、『ものづくりの邦 地場産業力』(琉球新報社経済部、琉球新報社、2011.6)
 p312-315「琉球菓子に新たな装い 新垣菓子店」の項で、引き出物など販路開拓についての記述がある。

3、『琉球の資源と産業 一二〜一五(昭和五八年〜昭和六〇年) 』天野 鉄男作成「琉球菓子」(13-p22-23)
「沖縄独特の風味を持ち、長い歴史に支えられた伝統食品とあって、本土観光客からも好評」と「ちんすこう」が紹介され、新垣菓子店についての記述がある。
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
団体
登録番号
(Registration number)
1000151564解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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