レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/11/10
- 登録日時
- 2014/01/06 00:30
- 更新日時
- 2014/01/30 13:12
- 管理番号
- 6000013741
- 質問
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解決
信楽焼のタヌキの由来について外国人の友人に説明したいが、このことについて書いてある本はあるか。説明は日本語でかまわない。
- 回答
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『右手をあげる招き猫 幸運をよぶ動物オモシロ由来学』『キツネとタヌキの大研究』などに、信楽焼のタヌキの由来についての記載があり。
- 回答プロセス
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751(陶芸)380(民俗学)387(民間信仰)291(地理)などの書架を探し、また所蔵資料を件名「タヌキ」で検索して資料を取り寄せ内容を確認する。
『角川日本陶芸大辞典』(角川書店)p622「信楽焼」には、狸の置物は明治期に考案され、昭和26(1951)年の昭和天皇行幸によって全国に存在が広く知られたとあり。
『滋賀県の歴史散歩 上 大津・湖南・甲賀』(山川出版社)p209には、現在のような信楽焼のタヌキが生産されるようになったのは昭和に入ってからとあり。
『右手をあげる招き猫 幸運をよぶ動物オモシロ由来学』(PHP研究所)p27-31「信楽焼の狸の置物」に、信楽焼の狸は明治30年代に「たぬきや総本家 狸庵」の初代である藤原銕造が清水焼の陶工見習いをしていたときに作り始めたとの記載があり。地元ではこの狸を「酒買狸(さけかいたぬき)」と呼び、笠は悪事や災難を避ける、大きな目は物事を正しく見つめる、徳利は徳が身に備わるなどの「八相縁起(はっそうえんぎ)」という風貌であるとのこと。
児童向けの『キツネとタヌキの大研究』(PHP研究所)でもp108-112で焼きもののたぬきについて記載しており、1904~1905年頃に作られ始めたとの記載があり。信楽町にある藤原銕造像や銕造が作ったたぬき型火鉢の写真があり、「たぬきの八つのすぐれたおしえ」も図解されている。
『狸の話』(有峰書店)p221-225「酒買小僧」では、狸が笠をかぶり徳利と通帳を持って買い物に行く姿を持ち物などから分析しているほか、信楽焼のタヌキの八相縁起について「信楽狸八相縁喜」より引用している。
『勝手に関西世界遺産』(朝日新聞社)p143-145「信楽焼のタヌキ」には、民俗学者の柳田国男が1917(大正6)年に京都の清水での流行ぶりを書きとめているとの記載があり。1951(昭和26)年の天皇巡幸を信楽では国旗を持たせたタヌキに迎えさせたとのこと。
『狸とその世界』(朝日新聞社)第三章「信楽焼定型タヌキのルーツ」に信楽焼のタヌキの成立の経過の分析があり。藤原銕造の姪弥衛子の談話があるほか、愛知県の常滑焼・広島県の備前焼または京都の伏見人形などと比較などして、信楽焼の狸については藤原銕造が作り始めたのではないかとしている。
『新 日本のやきもの 3 京都・信楽・伊賀』(読売新聞社)p61-62「信楽名物は狸と火鉢」には、藤原銕造が修業時代に京都で見た腹鼓狸の姿をもとに、明治10年頃から狸の置物が作られ始めたとの記載があり。昭和天皇が信楽焼の狸を気に入って詠んだという「をさなどき あつめしからになつかしも しがらきやきのたぬきをみれば」の歌も紹介されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 民間信仰.迷信[俗信] (387 9版)
- 参考資料
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- 『右手をあげる招き猫』三橋 健/著(PHP研究所)
- 『キツネとタヌキの大研究』木暮 正夫/文(PHP研究所)
- 『狸の話』宮沢 光顕/著(有峰書店)
- 『勝手に関西世界遺産』石毛 直道/著(朝日新聞社)
- 『狸とその世界』中村 禎里/著(朝日新聞社)
- 『<新>日本のやきもの 3』読売新聞社/編(読売新聞社)
- キーワード
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- 信楽焼(シガラキヤキ)
- 陶芸
- 酒買狸(サケカイタヌキ)
- 八相縁起(ハッソウエンギ)
- 民間信仰
- 縁起物
- タヌキ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000143004