レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/9/10
- 登録日時
- 2013/12/31 20:12
- 更新日時
- 2014/05/27 21:37
- 管理番号
- OSPR13080022
- 質問
-
解決
観尊(かんそん)について調べてください。
岩波書店から出ている本に載っていた、坂本龍馬の本に載っていた、と人から聞いたことがあります。
観尊は「観尊和尚」ともいわれ、和歌山・九度山町出身のお坊さんらしいです。
インターネットで「観尊×九度山町」で検索すると、「大石順教尼記念館」関係のブログがひきあたりました。
九度山町役場のホームページによると、大石順教尼記念館は元は寺だったという旧萱野家で、江戸時代中期に高野山真蔵院の里坊(不動院)として建立され、明治時代まで続いた由緒ある建物だそうです。
- 回答
-
国立国会図書館サーチで「観尊」を検索した結果のうち、次の5点が該当するかと思われます。
1.『たち花の香 2巻』観尊編(1847 2冊 注記:見返に「紀氏年和歌集 弘化2年5月18日執行 会所和州豊山長谷寺本願院 催主南紀清堂観尊」とあり 清堂蔵版 国立国会図書館のみ所蔵)
2.『堂知花能香 上・下』観尊編(1847 注記:清堂蔵梓 弘化4年版 和装 和歌山県立図書館のみ所蔵)
3.「萱野観尊と出版事業」管宗次著(『鈴屋学会報』20 2004.1 p.39-49)
4.「『?玉集』と清堂観尊:版木の発見をめぐって」菅宗次著(『武庫川女子大学紀要.人文・社会科学編』50 2002 p.96-102)
5.『九度山町史 改訂:民俗文化財編』(九度山町史編纂委員会/編集 九度山町 2004.12)
まず、当館の蔵書で内容を確認できたものを以下にご紹介します。
4.「『?玉集』と清堂観尊:版木の発見をめぐって」菅宗次著(『武庫川女子大学紀要.人文・社会科学編』50 2002 p.96-102)当館請求記号【051/40N】貸出不可
引用します。
一、はじめに
紀州九度山不動院の第七世住職であった教伝房観尊は詳細年月日は不明ながら、紀州国学の中心であった本居内遠のもとに、入門誓詞を送り、その門人録に載せられもする国学への思いの深い文雅僧であった。
『本居全集』(本居清造編、本居全集首巻、昭和三年三月二十日刊、吉川弘文館)所収の「本居内遠門人録」の内、「本居内遠門人録追加 天保十四年より弘化四年まで」(九七頁)に
同(紀伊)九度山 不動院内真教 観尊 清堂
とあがる観尊だが、観尊の一生の内に、国学兼学の真言宗僧侶らしい著書を著し、その事業として、一石碑を建立した。永く、そのことは忘れられていたが、今度、その版本『?玉集』一冊の全揃いの版木が発見されるに及び、従前は楽器に知られていなかった観尊の家系や伝記もその詳細が明らかとなった。
観尊の生家は九度山の豪商泉屋で、現在も続く九度山の名家萱野家である。観尊は文政三年生、明治十七年没、享年六十五才。泉屋三代目の萱野忠右衛門の実弟であった。真言宗の僧侶となって九度山不動院の住職となるが、豊山長谷寺にあったり、金光院資を勤めたりしている。また南紀清堂と号したり、教伝房観尊と名乗ったり、沙門直孝とも称している。
その和歌は、自ら編纂に従事した『たちばなの香』に二首、『庵のうめ集』に一首と、類題和歌集流行の頃としては、その数は少ないが、今般発見の版木によって私家版という自己負担の大きな事業によって、真言宗僧が国学で得た学識と、その研究方法を、水アkらのを、自らの宗派遺跡の検証と顕彰に努めたことは、近世後期から幕末期の国学という学問の方向なり、浸透として興味深井ものがある。
また、一地方雅僧が自らの研究活動を公にするために、建碑と出版という事業を、おそらく実兄萱野忠右衛門(泉屋)の経済的支援によって成し得たことも推し量られるが、次にその出版書『?玉集』を取りあげることとしたい。(以下略)
これは、インターネット「武庫川女子大学リポジトリ学術成果コレクション」から全文を御覧いただけます。(下記のURLの「KJ00004532196.pdf」、もしくは「見る/開く」をクリックしていただくとpdfファイルが開きます。)
5.『九度山町史 改訂:民俗文化財編』(九度山町史編纂委員会/編集 九度山町 2004.12)【216.6/40N】府内図書館のみ貸出可
第九章 民間信仰
一 旧不動院(萱野家)
1 旧不動院の歴史
2 観尊の文化活動
3ページにわたって記載されていますので、適宜引用します。
観尊は、号を清堂といい、国学者で歌人の本居内遠(もとおりうちとお)の弟子で、和歌をよくした。(略)弘化四(1847)年には『?玉集(くんぎょくしゅう)』と『堂知花能香(たちばなのかおり)』の二冊を出版している。後者は、弘化二(1845)年紀貫之の九百回忌に当り、長谷寺の本願院で同寺に関係ある1200余人から一首ずつ手向和歌を奉じたのを清堂観尊が編集している」と書かれています。最後に「町史編纂に伴い、両書の板木が発見され、同院の文化財に加えることができた。
これは、国立国会図書館サーチ4「『?玉集』と清堂観尊 : 版木の発見をめぐって」、同2『堂知花能香 上・下』のことと思われます。
その他、当館での調査事項も紹介します。
『国書人名辞典1』(市古貞次/[ほか]編 岩波書店 1993.11)【281/170N/1560】貸出不可・個人貸出不可
以下の通り記述されています。
観尊:僧侶(真言)・歌人
〔生没〕生没年未詳。弘化・嘉永(1844-54)頃の人。
〔名号〕号、清堂。
〔経歴〕高野山不動院真教房の僧。本居内遠の門人。和歌を能くした。
〔著作〕たち花の香(編)
〔参考〕『国学者伝記集成』『名家伝記資料集成』
この参考文献の記載は以下のとおりです。
『国学者伝記集成2』(大川茂雄/ほか編 名著刊行会 1978)【281/98】貸出不可・個人貸出不可
「内遠翁門人録」に出てきます。
(紀)九度山 不動院 内真教 観尊 清堂
『名家伝記資料集成2』(森繁夫/編 思文閣出版 1984.2)【281/189】貸出不可
「観尊」の項目に以下の記述があります。
清堂 紀伊伊都郡九度村不動院住、高野山金光院資、真教房住、内遠門、嘉永頃
このほか、観尊の坂本家との係わりが次の資料に書かれています。
『坂本竜馬とその一族』(土居晴夫/著 新人物往来社 1985.12)【353/767/#】貸出可
「竜馬の家族」と題する箇所に下記の記述があります。
弘化二年(1845)五月十八日、紀州の観尊という僧が大和の長谷寺本願院で歌会を催した。歌題は「橘」で全国から一人一首、1200余人がこれに寄せた。これを『土佐日記』ゆかりの紀貫之の御影に手向け、同四年に『多知花能香』上下二巻の歌集として出版した。これに土佐から国学者及び歌人など33人が一首ずつ投稿した。その上巻に、八平(天保14年に改名)や八平の養母久、八平の長男権平の歌が収録されている。
これは、国立国会図書館サーチ1『たち花の香 2巻』のことと思われ、また同5『九度山町史』の記述とも関連しているようです。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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- 『九度山町史 改訂:民俗文化財編』(九度山町史編纂委員会/編集 九度山町 2004.12) (463-465)
- 『国書人名辞典1』(市古貞次/[ほか]編 岩波書店 1993.11) (560)
- 『国学者伝記集成2』(大川茂雄/ほか編 名著刊行会 1978) (1327)
- 『名家伝記資料集成2』(森繁夫/編 思文閣出版 1984.2) (116)
- 『坂本竜馬とその一族』(土居晴夫/著 新人物往来社 1985.12) (93-94)
- 国立国会図書館サーチ(2013/9/10現在) (http://iss.ndl.go.jp/)
- 武庫川女子大学学術成果コレクション「『捃玉集』と清堂観尊:版木の発見をめぐって」菅宗次/著(2013/9/10現在) (http://libir.mukogawa-u.ac.jp/dspace/handle/10471/223)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000142941