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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000141451
提供館
(Library)
石川県立図書館 (2110016)管理番号
(Control number)
0000000088
事例作成日
(Creation date)
2013/09/15登録日時
(Registration date)
2013年12月02日 00時30分更新日時
(Last update)
2013年12月04日 10時18分
質問
(Question)
明治初期~昭和前期にかけて第7連隊や第9師団が置かれ軍都であった金沢について研究している。
特に、当時の軍事施設の配置、鉄道計画、道路計画を含めた全体の都市計画、橋・道路等のインフラに着目している。

①金沢城内の三十軒長屋など師団配備前からある建物が兵営等軍事施設として再利用されていた例は、どの程度あるか。また、城郭周辺・内部の施設の新規着工、増築等が行われたのは、いつか。
②兼六園に海軍人事部とプロットされた地図を見たが、兼六園も軍事施設として利用されたのか。
③下引町・出羽町一帯の武家屋敷群が練兵場・兵器庫・師団長官舎等になっていたが、武家屋敷はすべて取り壊して全く新しい建物を建てたり、練兵場のように広く平らな土地に均し利用したのか。
④軍の凱旋パレードの様子(どのような道を通ったか。)

以上について資料を見たい。
回答
(Answer)
①金沢城内の三十軒長屋など師団配備前からある建物が兵営等軍事施設として再利用されていた例は、どの程度あるか。また城郭周辺・内部の施設の新規着工、増築等が行われたのは、いつか。

『金沢市史 資料編11』p570-575に「昭和20年金沢城と軍隊建造物(旧藩在来建造物一覧(昭和16年調))」(大蔵省北陸財務局所蔵「第九師団関係資料」)という資料が載っている。
その資料の「履歴」で、旧藩在来か新築か、いつどこを修理したか等がわかる。

なお、『石川県立歴史博物館(旧金沢陸軍兵器支廠兵器庫)保存工事報告書』p9に、第九師団施設等に関する基本的な史料が紹介されている。
○防衛技術研究所戦史部図書館蔵
・「陸軍省大日記」-『乙輯』、『参大日記』、『肆大日記』
○大蔵省北陸財務局蔵
・『建物臺帳』及び『建物臺帳付属圖面』
・金澤師団經理部『建造物履歴表』昭和16年

また、『稿本金沢市史 市街編第4』p1030-1034に、「退役陸軍歩兵少佐千田登文」による「金沢城を兵営に改造したる由来」の講演が載っており、「明治4年…城内旧殿閣の菊ノ間に於いて、営所の事務を取扱へり、菊ノ間は藩主前田氏の居室にして、結構美麗なる庭前には、小立野より引ける水噴出して、泉水築山の景致を悉せり。…明治6年…第一大隊は大隊長心得大尉林直矢にして、横山邸跡より旧城内の兵営に移れり、此兵営はもとの越後屋敷・作事所・割場・会所を取払ひて新築したるものなり、第二大隊は大隊長心得大尉田中正基にして、旧横山邸なる第一大隊の跡に入れり、同9年3月第三大隊新に編成せられ、大隊長は少佐古川氏なり、此時旧城内の松ノ間・竹ノ間・柳ノ間・膳所・台所を三個中隊の兵舎に改造し、五十間長屋を大隊本部と一個中隊の兵舎とに改造せり、此に於て始めて第七連隊の各大隊は備はれる」とある。

以下の資料も参考になるかと思われる。
・『重要文化財金沢城石川門・三十間長屋保存修理工事報告書』
・森栄松著『金沢城』(北国出版社)p36-39「明治以後の金沢城」
・『金沢市史 通史編3』p160-170「「軍都」金沢の形成」
・『よみがえる金沢城 1』「明治以後の金沢城」p144-145,148-149

②兼六園に海軍人事部とプロットされた地図を見た。兼六園も軍事施設として利用されたのか。

確認できず。
『兼六園全史』『特別名勝兼六園』『兼六園を読み解く』等を見たが、そのような記述はなかった。
兼六園付近の海軍に関する施設としては、現在「石川県社会福祉会館」のある場所に、「金沢地方海軍人事部付属の北陸海軍館」があった。

「市内本多町通りにあった、金沢地方海軍人事部の建物を貸り受けることができた…海軍舞鶴鎮守府司令官から貰った書類には、現在の石川県社会福祉会館一帯の土地建物一切を『永久無償貸与する』というものであり…」(『現代美術』1974年刊p11)
「金沢地方海軍人事部付属の北陸海軍館の貸与を受け、美術館として改装」(『現代美術』1984年刊p79)

③下引町・出羽町一帯の武家屋敷群が練兵場・兵器庫・師団長官舎等になっていたが、武家屋敷はすべて取り壊して全く新しい建物を建てたり、練兵場のように広く平らな土地に均し利用したのか。

「下石引、出羽町一帯の本多家上屋敷や篠原出羽守屋敷などの武家屋敷群は、出羽町練兵場、九師団兵器庫、師団長官舎に(現在の県立歴史博物館、県立美術館、石川護国神社、厚生年金会館など)、奥村宗家の上屋敷は、陸軍衛戍病院(現国立金沢病院)に取って代わられた。すなわち、明治19年には出羽町の五万余坪の篠原邸地を練兵場として獲得、31年には、練兵場に隣接する本多邸の跡地に兵器支廠を建設する。37年には同じく出羽町に陸軍病院分院を設置し、これがのちの衛戍病院となるのである。なお小立野台地の旧武士地は、上野練兵場(現、金沢大学工学部)に転用された。」(『軍都の慰霊空間』p58-60)

④軍の凱旋パレードの様子(どのような道を通ったか。)

「北國新聞」昭和7年6月7日2面の記事に、6日金沢駅に凱旋した歩兵第七連隊第二中隊が、「隊列をつくつて武蔵ヶ辻から尾張町、中町を経て大手門より原隊に還」った、とある。

『砲塵 上海事変山砲兵第九連隊戦記』(山砲兵第九連隊戦記編纂部 1932)には、「凱旋状況」と題する4枚組みの写真があり、うち右上の1枚は金沢駅前と思われる。
『戦塵』(歩兵第七連隊 1939)には、「市中行進」と題する、路面電車の軌道のある道を行進する写真がある。

『近代日本の地方都市』p316-319「鉄道・道路の建設と「軍都」」に、「[金沢駅]停車場の正面に五〇間四方の空地を設けることになっていたという。これは、…軍隊の要請にしたがったものであった。」「野町-広小路の交差点をわたる幹線道路もそうした拡張の結果である。1905(明治38)年までは、犀川大橋を渡ると現在の蛤坂を寺町-鶴来方面にのぼる小道が幹線であった。これが軍の行軍や戦車の通行には余りに手狭であったという。そこで、片町から犀川大橋を渡り、広小路交差点を経て延びる現在の国道157線と、これと交差して寺町方面に延びる主要地方道が。1906年に拡張されて開通した。これよりさき、寺町の山手、野村に歩兵第三十五連隊が置かれている。同連隊の便に供したのである」等の記述がある。
回答プロセス
(Answering process)
②兼六園に海軍人事部とプロットされた地図を見た。兼六園も軍事施設として利用されたのか。

「海軍人事部」のキーワードで「北國新聞DB」を検索すると、第一回「現代美術展」が「「金沢市本多町の旧海軍人事部の会場」で行われたという記事(1993年04月08日朝刊25面)がヒットした。
石川県美術文化協会に関する資料を見ると、「市内本多町通りにあった、金沢地方海軍人事部の建物を貸り受けることができた…海軍舞鶴鎮守府司令官から貰った書類には、現在の石川県社会福祉会館一帯の土地建物一切を『永久無償貸与する』というものであり…」(『現代美術』1974年刊p11)、「金沢地方海軍人事部付属の北陸海軍館の貸与を受け、美術館として改装」(『現代美術』1984年刊p79)とある。
『実録石川県史』p413「石川県美術文化協会が設立を認可され、旧金沢地方海軍付属海軍会館の無償貸与をうけて石川県美術館とし、「第一回現代美術展」を30日まで開催する」(「北陸毎日新聞」昭和20年10月12日)
「1950年12月に数月前まで石川軍政隊の一部に使われていた下本多町の旧海軍館に移転」(『薫苑 金沢アメリカ文化センター創立七周年記念集』p85「金沢アメリカ文化センターの沿革」)
これらの資料から、位置は現在の石川県社会福祉会館だと推測できる。

④軍の凱旋パレードの様子(どのような道を通ったか。)

まず、郷土書庫のK39*の棚を見て、写真集を探した。『砲塵』と『戦塵』の中にパレードの写真があった。写真だけでは弱いと思い、この2冊の出版年から、『実録石川県史』を見て、それぞれ昭和7年6月の「七連隊の凱旋」(p322)と、昭和14年6月の「第七連隊の帰還」(p369)だろうと当りをつけた。凱旋の記事があるらしい「北國新聞」昭和7年6月のマイクロを見て、凱旋の道筋がわかる記事を探した。
事前調査事項
(Preliminary research)
金沢城・兼六園管理事務所、金沢陸上自衛隊駐屯地、金沢城研究所には問い合わせ済みです。
NDC
日本史  (21 9版)
参考資料
(Reference materials)
1 金沢市史 資料編11 金沢市史編さん委員会?編集 金沢市 1999.3 K222/125/2-11 p569-575 「明治14年1月10日金沢城の焼失」「昭和20年金沢城と軍隊建造物」
2 石川県立歴史博物館(旧金沢陸軍兵器支廠兵器庫)保存工事報告書 石川県立歴史博物館∥編 石川県土木部営繕課∥編 石川県 1990.6 K526/21 p9,297 p9に第九師団施設等の基本的な史料の紹介、p297「史料図13旧城内配置図(昭和16年頃)」
3 稿本金沢市史 市街編第4 金沢市∥編 名著出版 1973 K222/37/4 p1029-1035 「廃藩後の城地」
4 重要文化財金沢城石川門・三十間長屋保存修理工事報告書 文化庁∥編 文化庁 1969.3 K526/5 例言、p2-3 例言のページに金沢大学時代の建物配置図あり
5 金沢城 森 栄松∥著 北国出版社 1970.8 K222/30 p36-39 「明治以後の金沢城」
6 金沢市史 通史編3 金沢市史編さん委員会∥編集 金沢市 2006.3 K222/125/3-3 p160-170 「「軍都」金沢の形成」
7 よみがえる金沢城 1 石川県教育委員会事務局文化財課金沢城研究調査室?編 石川県教育委員会 2006.3 K391/1026/1 p144-145,148-149 「明治以後の金沢城」
8 現代美術 石川県美術文化協会∥編 石川県美術文化協会 1974.11 K706/4 p11
9 現代美術 石川県美術文化協会∥編 石川県美術文化協会 1984.12 K706/4/84 p79
10 軍都の慰霊空間 本康/宏史?著 吉川弘文館 2002.3 K209.7/1001 p26図2「金沢城内の軍施設配置図」、p60-61「軍隊の金沢城入城」、p62-70「「軍都」の戦争遺産」
11 砲塵 上海事変山砲兵第九連隊戦記 井上 辰三∥編 服部 勇∥編 山砲兵第九連隊戦記編纂部 1932.2 K396/22 最後から2枚目 「凱旋状況」と題する4枚組みの写真。うち右上の1枚は金沢駅前と思われる
12 戦塵 島村 喜久二∥編 歩兵第七連隊 1939.10 K396/35 最後から2ページ目 「市中行進」と題する、路面電車の軌道のある道を行進する写真
13 近代日本の地方都市 橋本/哲哉?編 日本経済評論社 2006.5 K222/1032 p305-348 本康宏史「「軍都」金沢と地域社会」
キーワード
(Keywords)
第七連隊
第九師団
軍都
金沢市
金沢城
兼六園
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
学生
登録番号
(Registration number)
1000141451解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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