レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年04月23日
- 登録日時
- 2013/10/25 15:54
- 更新日時
- 2015/12/29 00:30
- 管理番号
- 10-3A-201310-02
- 質問
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解決
大阪市都島区網島町に富豪諸大名の邸宅があったというが、資料的な裏づけはあるのか。
- 回答
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『淀川両岸一覧 宇治川両岸一覧』(暁 晴翁/著 松川 半山/画 柳原書店,1978)p.29 に、「富家の別宅、雅人の閑居、風流の貸食家等ありて、頗る遊楽の雅地なり」と網島について記述あり。『淀川両岸一覧』は、江戸期に出版された旅行案内にあたるもの。
『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(角川書店,1983.10)p.96-97の網島の項目に、「大坂大商人の別邸、雅人の閑居、料理屋などが並んだ」と記述あり。
『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』(平凡社,2001.7)p.618-619の網島町の項目に、「当地は『浪華の賑ひ』に「前には・・・富家の別宅、雅人の閑居、風流の貨食家等ありて・・・」と記述あり。
『大阪府全志 巻之2』(清文堂,1985)p.986に、「古来富豪の別業等多かりし所にして、今も藤田男爵家の本邸あり」と記述あり。
雑誌『大阪春秋』2号p.59の藤田伝三郎の項目に、「伝三郎の別荘であった網島は・・・」、3号p.115の藤田伝三郎の項に、「網島は・・・この辺一帯は明治の中頃富豪藤田伝三郎が買い取って邸宅にするため手を入れたので・・・」と記述あり。6号p.58-59 に、旧淀川の左岸について「藤田美術館(戦災前は藤田本邸)・太閤閣(もとの藤田東邸)が連続し…」、34号p.78に「その跡地を富豪藤田伝三郎が買収して、宏壮な邸宅を構え網島御殿とも呼ばれた」、44号p.124に「藤田伝三郎の邸宅となり、その豪華な屋敷は網島御殿と称されたりした」と記述あり。
- 回答プロセス
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当館所蔵資料を調査
『都島区史』(大阪都市協会/編 都島区制五十周年記念事業実行委員会,1993.4)「網島町」の項目に邸宅についての記述なし。
『新修大阪市史 第3巻近世1』(新修大阪市史編纂委員会/編 大阪市,1989.3)「網島」の記述はあるが、邸宅についての記述はなし。
『大阪史蹟事典』(三善 貞司/編 清文堂出版,1986.7)「網島」の項目に邸宅の記述なし。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』 平凡社,2001.7 <当館書誌ID:0010176189>
- 『大阪府全志 巻之2』 井上 正雅/著 清文堂,1985<当館書誌ID:0000172307>
- 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店,1983.10<当館書誌ID:0000184865>
- 『淀川両岸一覧 宇治川両岸一覧』 暁 晴翁/著 松川 半山/画 柳原書店,1978 <当館書誌ID:0000242907>
- 『大阪春秋: 大阪の歴史と文化と産業と』(※通巻1〜6号の合綴6冊製本雑誌)大阪春秋社,1973.11-1975.4 <当館書誌ID:0080312288>
- 『大阪春秋:大阪の歴史と文化と産業と 第34号 特集:大阪城400年』大阪春秋社,1982 <当館書誌ID:0070031891>
- 『大阪春秋:大阪の歴史と文化と産業と 第44号 特集:八尾・平野・中河内』大阪春秋社,1985 <当館書誌ID:0090000395>
- キーワード
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- 大阪府大阪市都島区
- 網島町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000139522