このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000135514
提供館
(Library)
長野市立長野図書館 (2310222)管理番号
(Control number)
長野市立長野-13-007
事例作成日
(Creation date)
2013年08月19日登録日時
(Registration date)
2013年08月19日 17時59分更新日時
(Last update)
2017年04月08日 13時13分
質問
(Question)
『裾花川は昔高田の方へ流れていたものが江戸時代に松代藩によって流路が変えられ、現在の流れになったと聞いている。
以前の流れが分かる地図やそれに関する資料はあるか。
回答
(Answer)
旧流路は現在用水路となっているようです。
以下参考資料をご紹介しました。
地図は、
『千曲川の今昔』
『長野市の埋蔵文化財 第132集』
『長野市の埋蔵文化財 第135集』
に旧流路(現在の用水路)の地図がありましたのでご案内しました。
回答プロセス
(Answering process)
『長野県史 通史編 第4巻』(p535~538)
第四章 町人町と百姓の村
 第五節 村民と林野・用水
  二 用水慣行の形成
   河川灌漑地域と水利権
の項あり。
p536には、
「いっぽう、領主がわが中心となって開削した大規模な用水堰も多かった。北信の善光寺平南部では、慶長年間(一五九六~一六一五)、松代に入封した森忠政・松平忠輝の財政援助によって、水利開発がおこなわれた。そのひとつは、裙花川の河身変更にともなう鐘鋳堰・八幡堰などの開削であり(後略)」
などの記述があるが、以前の流れなどがわかるような記述は見つけられなかった。


『上水内郡誌』(P12)
「裾花川」の項あり。
「此川は慶長八年までは中御所区の西北字白岩より東流して千曲川に注ぎしが(中略)白岩より南へ新に河道を決通して犀川に注ぎたり。今の河流即是なり、(後略)」とあり。


『長野県土地改良史 第1巻』(P251~252)
「花井父子と川中島三堰」の項あり。
松代城代花井吉成の業績として、
「裾花川が東流して千曲川に流れこんでいたのを南流に変え、犀川に注がせた治水工事」という記載があった。

また、
「ちなみに長野市七瀬の地名は、そこで裾花川がいくつもに分流していたからであり、大豆島は裾花川と犀川のあいだにあったことからの名という。」
とも記載あり。
裾花川はいくつもの分流があったようだ。


『長野市誌 第8巻』(p97~104)
第1章 長野(長野町)
 第5節 産業と交通と災害
  一 用水
の項には、堰についての記載がある。
p99には前述の『長野県史 通史編 第4巻』の該当箇所の抜粋あり。
鐘鋳堰、八幡堰、山王堰などについて詳しく書かれており、山王堰には
「古川堰も裾花川の流れたあとらしく(後略)」とあった。
堰は裾花川の昔の流路だったのではないか。


『鐘鋳堰の話』
P39~43「花井吉成父子の業蹟について」の項あり。
上水内郡誌の文が紹介され、花井吉成父子による裾花川工事について触れられており、もとの裾花川の位置について著者の推測も述べられている。

p17~20「鐘鋳堰の概略とその名称の由来について」の項に
「この堰はかつての裾花川本流の痕跡である(岩崎長思前掲論文)といわれ台地の下をほぼ真直に妻科部落の東端まで達している。」
とあり。
前掲論文ということで調べると、
p13~14「戦前昭和七年一月から七年半ほど発刊された第一次信濃に連載された旧須坂中学(今須坂高校)校長であった岩崎長思先生の「鐘鋳堰の歴史地理的考察」という論文」だとわかる。

『信濃 第1次第1巻第1号~第12号』
該当論文は第1、2、5、7号に掲載されている。
1号p24~27「鐘鋳堰の歴史地理的考察 上」には、分水している堰について「裾花水路自然のまゝなりし時代の痕跡ではあるまいか。」などという記述がある。


『北信郷土叢書 巻5』(p470)
「煤鼻川」の項あり。
「又曰すゝ鼻川八九十年以前は妻科村の南の方ゟ善光寺新田町の内へ懸り下は長沼の方へ落候由今七瀬村(善光寺領にて越のよし)の裏の方。」とあり。


『千曲川の今昔』(P42)
「裾花川の瀬替え」の項あり。
「むかし裾花川はいまの県庁付近から東流し、新田町・七瀬・高田・風間・長池あたりを乱流して、屋島一帯で千曲川に流れ込んでいた。」とあり。
また、「裾花川の新旧流路」として、推定される裾花川の旧流路が図示されていた。
図によると、旧流路は、一本の川ではなく扇状に拡がったようになっている。


『安茂里史』(p172)
「裾花川の渡し」の項あり。
「裾花川は長野市北西部山地を侵食して、その土砂によって茂菅付近を扇頂として、東に開く大扇状地を形成した。裾花川は乱流となって東に西に流路を変えた。そのもっとも西の流路跡の凹地を利用して、裾花川の流路を変えて南に落とす改修を行ったのは近世初頭であるという。その指導者として花井吉成らの名が伝えられている。」とあり。


堰の水路の地図がないか探していたところ、
『長野市の埋蔵文化財 第132集』
p5に「その地形は、長野盆地北部域にあって裾花川により形成された扇状地にほぼ重なるもので、扇状地内の微低地を利用した用水路(堰)の発達が特徴的な景観となっている。用水路は、西から北東方向に向かって漆田川、宮川、計渇川、前堰、古川、南俣大堰、南八幡川、北八幡川と呼ばれ、裾花川が刻々と流路を変更した痕跡をしめすものと理解される。」とあり。
p6~7に「遺跡の立地と遺跡群」「遺跡周辺の地形と遺跡範囲」の地図があり、前掲の川の河川流路が示されている。


『長野市の埋蔵文化財 第135集』
p4にも「裾花川の旧流路は、後世になって用水として転用され、中沢川、北八幡川、南八幡川、古川、計渇川、宮川、漆田川などが整備された」とあり、「調査地周辺の地形」の地図には河川流路が示されていた。


「江戸時代初頭における煤鼻(裾花)川の開発形態」
宮下 秀樹 土木学会論文集D2(土木史) 69(1), 104-115, 2013
という論文もあった。
http://ci.nii.ac.jp/naid/130004962005/  <最終確認日:2017年4月8日>
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
中部地方  (215)
河海工学.河川工学  (517)
農業工学  (614)
参考資料
(Reference materials)
『長野県史 通史編 第4巻』長野県/編集 長野県史刊行会
『上水内郡誌』明治文献 1974 <N212カ>
『長野県土地改良史 第1巻』長野県土地改良史編集委員会/編集 長野市土地改良事業団体連合会 1999 <N612ナ1>
『長野市誌 第8巻』長野市誌編さん委員会/編集 長野市
『鐘鋳堰の話』霜田 巌/著 鐘鋳堰組合 1982 <N614シ>
『信濃 第1次第1巻第1号~第12号』信濃史学会 1980.01 <N205シ1>
『北信郷土叢書 巻5』北信郷土叢書刊行会/編纂 明治文献 1974 <N210ホ5>
『千曲川の今昔』国土交通省北陸地方整備局千曲川工事事務所 北陸建設弘済会 2001 <N517チ>
『安茂里史』安茂里史編纂委員会/編 安茂里史刊行会 1995.11 <N213ア>
『長野市の埋蔵文化財 第132集 裾花川扇状地遺跡群御所遺跡』長野市教育委員会/編集 文化財課埋蔵文化財センター 2013.03 <N202ナ135>
『長野市の埋蔵文化財 第135集 長野遺跡群 善光寺門前町跡 (3)』文化財課埋蔵文化財センター/編集 長野市教育委員会 2014.03 <N202ナ135>
キーワード
(Keywords)
裾花川
長野市
土地改良
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000135514解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
Twitter

このデータベースについて
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。詳細

活用法

刊行物・グッズ
新着データ
最近のアクセスランキング
レファ協PickUP!