レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/03/08
- 登録日時
- 2013/06/26 17:15
- 更新日時
- 2013/07/04 15:13
- 管理番号
- 2013.06-01
- 質問
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解決
芥川龍之介の『杜子春』冒頭2行目が、“唐の都長安”と表記されている本と、“唐の都洛陽”と表記されている本がある。初出にはどう書かれているのか。
- 回答
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『赤い鳥 第5巻第1号』大正9年7月の復刻(鈴木三重吉/主幹 日本近代文学館 1981年)
「唐の都長安の西の門の下に、・・・」 初出には長安と表記されている。
- 回答プロセス
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『芥川竜之介大事典』(志村有弘/編 勉誠出版 2002年)
p604 『杜子春』 童話【初出】『赤い鳥』大正9年7月とあり。復刻版『赤い鳥』にて確認。
参考までに、なぜ、長安から洛陽に変えたのかについては、成瀬哲生の説が徳島大学機関リポジトリで、全文閲覧できる。
成瀬哲生 著 芥川龍之介の「杜子春」-鉄冠子七絶考- 徳島大学機関リポジトリ 徳島大学国語国文学 1989 2巻
http://www.lib.tokushima-u.ac.jp/repository/Detail.e?id=9616020120413112254
それによると、中国唐の都は長安である。芥川龍之介が単行本に収めるにあたって、歴史事実に反して洛陽と改めているのは、日本語においては洛陽のほうが馴染まれ、かつ都と密接に結び付く地名なのである。芥川龍之介は、単なる歴史事実よりも語感に内在されるフィクションの力に鋭敏であったのである。あえて、洛陽と改めたところに、たとえ童話とはいえ、芥川龍之介の反リアリズム作家の真骨頂をむしろ窺うべきであろうと書かれている。
また、大正10年(1921年)3月に刊行された第五短編集『夜来の花』(新潮社)では、洛陽と改められ、以後これが通行の底本となっているとあり。
上記の説は、邱雅芬 著. 芥川龍之介の中国 : 神話と現実. 花書院, 2010. p84 にも引用されている。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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志村有弘 編. 芥川龍之介大事典. 勉誠出版, 2002.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003664905-00 , ISBN 4585060367 (p604) - 鈴木三重吉. 赤い鳥 第5巻第1号 大正9年7月号の復刻. 日本近代文学館, 1981. (p18)
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志村有弘 編. 芥川龍之介大事典. 勉誠出版, 2002.
- キーワード
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- 芥川龍之介
- 杜子春
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000133037