レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年06月15日
- 登録日時
- 2013/06/12 14:10
- 更新日時
- 2016/07/22 16:50
- 管理番号
- 鎌中-201329
- 質問
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未解決
鎌倉の現在の小町通りは、なぜ「こまちどおり」という名前がついたのか。
- 回答
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戦後、小町にあった蛭子神社の氏子さんが現在の小町通り周辺に住んでいたので、「新小町」と呼ばれ始め、その後、この周辺一帯が「小町」という名称で統一されたのがきっかけと推定されます。鎌倉小町商店会は昭和二十七年ごろ誕生しています。
「その昔、現在の小町通りのあたりは、〈瀬戸耕地〉と呼ばれる農道だった。明治二十二年、横須賀線が開業し鎌倉駅が誕生後、少しずつ町が形成されてきた。
〈小町〉という地名は、当初〈蛭子神社〉辺りのことだったが、現在の小町通り周辺に氏子さんが住んでいたため、新小町と呼ばれるようになり、その後この周辺一帯を小町という名称で統一。
昭和二十七年ごろ誕生した〈鎌倉小町商店会〉も昭和四十年代ごろにはお店も増え始め、子どもたちの格好の遊び場であり、夜は大人たちの社交の場としてにぎわいを見せ始めた。」
(『鎌倉こまち今昔』p114)
「新しい方は、元来瀬戸小路と呼ばれていた道ですが、終戦後いつのまにか小町通というようになったのです。」
(『知られざる鎌倉』 沢寿郎 p166)
「横須賀線が明治二十二年に開通して駅前が次第に開け、田や原っぱだった瀬戸耕地と呼ばれたあたりが新小町になり、今の小町通りに変貌したわけだが」
(『だれも書かなかった鎌倉』 金子晋 p34)
- 回答プロセス
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①『鎌倉の地名由来辞典』『鎌倉事典』『鎌倉子ども風土記』『鎌倉市史』などを見るが、載っていない。
②近代以降の鎌倉について書かれた資料を見る。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 『鎌倉こまち今昔』 鎌倉こまち今昔編集委員会 銀の鈴社 2013 【K1 291.34】
- 『鎌倉の地名由来辞典』 三浦勝男 東京堂 2005 【K1 291.3】
- 『知られざる鎌倉』 沢寿郎 鎌倉朝日 1985年 【K1 291.3】
- 『だれも書かなかった鎌倉』 金子晋 講談社 1983年 【K1 291.3】
- キーワード
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- 鎌倉
- 小町通り
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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◆回答終了後発行された『鎌倉こまち今昔』に一番理由らしい記述があったので追加した。(2014.06.14)
◆本来「小町通り」と呼ばれていたのは、現在の辻説法通り(八幡宮前の三の鳥居前を右に折れて突きあたり、宝戒寺から南に走っている通り)だった。
『鎌倉地名由来辞典』の、「大町」の項
「現在の大町を中心として、材木座、由比ヶ浜に至る一帯…(中略)…この大町大路と小町大路が交差する地点一帯が、鎌倉時代における商業地域とされ、大町大路沿いに町屋が多く立ちならんでいたと推定される。『風土記稿』では、「鎌倉繁栄の頃は、此辺悉賈区」であり、小町大路の夷堂橋を境として、以北を小町、以南を大町と称したという。大町という呼称は、小町に比して町の規模が大きかったので大町と呼んだといわれる」
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000132401