レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年05月15日
- 登録日時
- 2013/03/30 14:45
- 更新日時
- 2013/04/03 14:29
- 管理番号
- 10-3A-201303-06
- 質問
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解決
判官松(ほうがんまつ)跡について知りたい。
- 回答
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大和田住吉神社境内に、大和田青年団が昭和16(1941)年に建立した「判官松(ほうがんまつ)之跡」の石碑があります。
この碑文の大意は以下の通りです。
「元暦2(1185)年、源義経は平家追討の軍を率いて船出するが、暴風雨にあい漂流、大和田浦に着岸。そこで、当村の住吉大明神に海上安全を祈願し、松を記念樹として植えたので、里人はこれを判官松と呼んだ。以後700年、樹容壮麗となり北摂の名勝として知られるだけでなく、淀川尻の示標として舟人の親しむところとなったが、惜しいことに明治10(1877)年消失した。」
この松は義経の腰掛松とも呼ばれ、『摂津名所図会』には、「大和田にあり。九郎判官義経大物浦赴きたまふ時ここに憩いたまふとなん。大坂より尼崎へ往きかふ船より鮮やかに見ゆるなり」と記載されています。
また、『西成郡史』も「腰掛松」が明治10(1877)年ごろまであった事を記載しています。
別の伝承では、元暦1(1184)年、義経が陸路を西に向かう折、当地で庄屋治郎左衛門の歓待を受けましたが、治郎左円門は三宝に松苗をのせ、当地名産の鮒を昆布で巻いて差し出しました。義経は気に入り、治郎左衛門に鮒子多(ふじた)の姓を与え、松苗をそこに植えました。
さらに別の伝承では、鮒の形が崩れぬように松の小枝をさして出したのを、義経が食後突きさし、判官松に成育したとの説もあります。
なお、大野下水処理場の一角にも、大阪市が昭和63(1988)年に建立した石碑があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 参考資料
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- 『西淀川区史』大阪都市協会・編集 西淀川区制七十周年記念事業実行委員会 1996<当館書誌ID: 0000531056>
- 『摂津名所図会大成 其之2』暁 鐘成・著 松川 半山・画 柳原書店 1976 <当館書誌ID: 0000157048>
- 『西成郡史』西成郡役所・編 名著出版 1972 <当館書誌ID: 000024650>
- 『大阪伝承地誌集成』三善貞司・編著 清文堂出版 2008 ISBN 978-4-7924-0647-9<当館書誌ID: 0011661445>
- 大阪市西淀川区ホームページ「西淀川区の名所」http://www.city.osaka.lg.jp/nishiyodogawa/page/0000001002.html#4 (2010年11月1日確認)
- キーワード
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- 大阪府大阪市西淀川区
- 判官松
- ほうがんまつ
- 腰掛松
- 大和田住吉神社
- 源義経
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000129939