このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000129627
提供館
(Library)
大阪府立中之島図書館 (2120002)管理番号
(Control number)
OSPR12120061
事例作成日
(Creation date)
2012年12月14日登録日時
(Registration date)
2013年03月24日 00時30分更新日時
(Last update)
2013年03月27日 18時53分
質問
(Question)
下記の災害について記録している資料(府史など)を探しています。
(火もと、風向き、延焼状況、被災数など)

1.天文元年12月14日~15日・泉州堺浦の大火
2.嘉永5年12月5日~6日・大坂「上町焼け」
3.寛文6年12月7日~8日・大坂「雑魚場火事」
回答
(Answer)

近世大坂の3つの大火について、以下の資料に掲載が確認できました。


1.天文元年12月14日~15日・泉州堺浦の大火

・『堺市史 第二巻』
P80に以下の記載があります。
年代:天文元年十二月十四日(二水記二十五六日の事かとあり大火数日に亙ったか)
焼失箇所:堺北荘及び南荘
被害:約四千戸(二水記に北荘大概焼亡、南荘三分一焼くと見ゆ)焼死数百人
記録:二水記十二月二十二日條 厳助往年記十一月十四日條

2.嘉永5年12月5日~6日・大坂「上町焼け」
・『大阪建設史夜話』
P127「嘉永五年十二月五日 上町焼
夜四ツ時、つまり晩十時に久宝寺橋東詰北の辺りから出火、西の強風で谷町を越えて法円寺坂まで焼け、翌六日の暮六ツ午後六時に沈下して、二十時間燃え続けた。家数二千四百八十軒・土蔵十八・明家百六十二軒であって、この年の四度の大火は初めより段々に大きくなって、これが最大のものになった。」

・『大阪編年史 第廿二巻』
P112-113には、上町焼けについて書かれたいくつかの史料が引用されています。
たとえば、P112には「夜四ツ半時比ヨリ、久宝寺町橋北詰材木屋ヨリ出火、・・・」(『鍾奇齊日々雑記』より)といった記述があります。

3.寛文6年12月7日~8日・大坂「雑魚場火事」
・『大阪建設史夜話』
P116「寛文六年(一六六六)十二月七日 雑喉場焼け 寛文六年(一六六六)十二月八日 新町焼け
この月七日、雑喉場から出火して、一旦鎮火したが、翌八日戌の刻新町遊廓より出火、猛火となって翌日巳の刻に及び、百四十二町・八千五百二十七軒を焼き、この時の全市のほぼ四分の一を焼土と化したという。(中略)丸十四時間で、当時の大坂の四分の一を焼いたと言うのであるから、新町からどちらの方向へ、どこまで燃えたのかわからないが、余程の大風でも吹いていのたか。これではずいぶん火脚が速くて消火のすべもなかったのであろう。」

・『大阪編年史 第六巻』
P74に、『徳川実記』と『年代著聞集』に掲載された雑喉場の火事についての記述が引用されています。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本史  (210 8版)
参考資料
(Reference materials)
『堺市史 第2巻 本編第2』 清文堂出版 1977.4 (ページ:80)
『大阪建設史夜話』 玉置豊次郎/著 大阪都市協会 1980 (ページ:116,127)
『大阪編年史 第22巻 自嘉永五年正月至安政三年五月』 大阪市立中央図書館 1976 (ページ:112-113)
『大阪編年史 第6巻 自寛文元年正月至元禄十六年十二月』 大阪市立中央図書館 1969 (ページ:74)
キーワード
(Keywords)
人災 火災
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
大阪 郷土 地名
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000129627解決/未解決
(Resolved / Unresolved)