レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年09月13日
- 登録日時
- 2013/02/24 15:30
- 更新日時
- 2014/05/22 13:52
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2012-017
- 質問
-
解決
愛知外国語学校について知りたい。
- 回答
-
(1)愛知外国語学校は明治7年3月に名古屋七間町片端に設置され、同年12月には愛知英語学校と改称された学校です。
その歴史は明治3年6月「名古屋藩立洋学校」から始まり、明治4年7月「名古屋県立洋学校」、明治5年4月「愛知県立洋学校」、明治6年12月「愛知県立成美学校」、明治7年3月「愛知外国語学校」、明治7年12月「愛知英語学校」、明治10年2月「愛知県中学校」という変遷をたどりました。
(2)『名古屋市史 [第5]』p.251-、『新修名古屋市史 第5巻』p.98-、『鯱光百年史』p.8-、『愛知一中会会員名簿 1972年版』p.4-、『愛知県教育史 第3巻』p.61-、『愛知県教育史 資料編近代1』p.683-、『名古屋本町通り物語』p.18-20にそれぞれ記述があります。
(3)また、「名古屋藩学校と愛知英語学校-附坪内博士のことども」という論文が『尾三文化史談 第5輯』p.85-95に収録されています。
- 回答プロセス
-
(1)明治時代にあったとのことでしたので、『名古屋市史 [第10]』の索引を見ると、『名古屋市史 [第5]』に書かれていることがわかりました。p.251に“文部省は愛知外国語学校を七間町に建設し・・・県立第一中学校の前身なり”とありました。
(2)また『新修名古屋市史 第10巻』の索引を見ると、『新修名古屋市史 第5巻』のp.98-101に“明治七年(1864)三月、名古屋に官立の愛知外国語学校が設置された”とあるのがわかりました。また、同年の12月に愛知英語学校と改称されたことや名古屋七間町片端にあったこと、その後愛知県中学校に継承されたことなどがわかりました。また、愛知英語学校の写真も載っていました。
(3)愛知県中学校の学校史である『鯱光百年史』p.8-『愛知一中会会員名簿 1972年版』p.4-からそれぞれ記述があり、明治3年に設立された名古屋藩立の洋学校が始めだったことがわかりました。
(4)『愛知県教育史 第3巻』p.61-にも記述があります。『愛知県教育史 資料編近代1』にはp.683-687「成美学校規則」、p.687-699「愛知英語学校年報」、p.699-726「愛知英語学校一覧」が載っています。
(5)愛知英語学校に関する論文「名古屋藩学校と愛知英語学校-附坪内博士のことども」が『尾三文化史談 第5輯』p.85-95に収録されています。
(6)『名古屋本町通り物語』p.18-20にも少し記述があります。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 教育史.事情 (372 9版)
- 参考資料
-
- 『名古屋市史 [第10]』 名古屋市/編 愛知県郷土資料刊行会 1980年
- 『名古屋市史 [第5]』 名古屋市/編 愛知県郷土資料刊行会 1979年 p.251
- 『新修名古屋市史 第10巻』 新修名古屋市史編集委員会/編集 名古屋市 2001年
- 『新修名古屋市史 第5巻』 新修名古屋市史編集委員会/編集 名古屋市 2000年 p.98-101
- 『鯱光百年史』 愛知一中会/編 愛知一中(旭丘高校)創立百年祭実行委員会 1978年 p.8-
- 『愛知一中会会員名簿 1972年版 創学藩立洋学校102年・県立96年』 愛知一中会/編 愛知一中会名簿改訂委員会 1972年 p.4-
- 『愛知県教育史 第3巻』 愛知県教育委員会/編 第一法規出版 1982年 p.61-
- 『愛知県教育史 資料編近代1』 愛知県教育委員会/編 愛知県教育委員会 1989年 p.683-726
- 『尾三文化史談 上巻』 愛知県教育会/編 愛知県郷土資料刊行会 1970年 p.85-95
- 『名古屋本町通り物語』 堀川文化を伝える会 2006年 p.18-20
- キーワード
-
- 愛知外国語学校
- 学校―名古屋市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000128415