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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000127657
提供館
(Library)
横浜市中央図書館 (2210008)管理番号
(Control number)
横浜市中央2217
事例作成日
(Creation date)
2012/09/14登録日時
(Registration date)
2013年01月30日 02時00分更新日時
(Last update)
2013年01月30日 02時00分
質問
(Question)
横浜煉瓦会社の発起人をした「田中半兵衛」という人物について調べています。
『日本紳士録 東京横濱之部』(交詢社 明治22年)のp.249に「田中半兵衛」という人物が
掲載されており、住所が「横濱区相生町」となっていましたが、同一人物かどうかは不明です。

回答
(Answer)
結論から申し上げますと、田中半兵衛を確定することはできませんでした。
「横浜煉化製造会社」に関する情報は見つかりましたので、調査過程とあわせてご紹介します。
 ※下記に出てくる「横浜煉化製造会社」は、「煉瓦」ではなく「煉化」と表記されています。

1 横浜の人物に関する資料
  次の資料を確認しましたが、名前がありませんでした。また、「横浜煉瓦会社」という会社も
  見つかりませんでした。

 (1)『横濱成功名譽鑑 開港五十年紀念』 有隣堂 1980
 (2)『明治大正昭和横浜人名録』 日本図書センター 

2 横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」
  ( http://www.lib.city.yokohama.lg.jp/Archive/)

  「田中半兵衛」で検索したところ、次の資料がありました。

  『諸星千代吉商店40年史』諸星千代吉商店/編 諸星千代吉商店 1932
   この本には、「故 田中半兵衛」として写真が掲載されています。
   また、p.6に「日本橋の田中半兵衛商店に丁稚奉公」と書かれていましたが、
   この資料の田中半兵衛が、御探しの人物であるかどうかは、不明です。

3 煉瓦の歴史についての資料
  煉瓦関係の資料の中に、次の記載がありました。

 (1)『西洋館とフランス瓦 横浜生まれの近代産業』 
  横浜都市発展記念館/編 横浜都市発展記念館 2010

  p.17に、「横浜煉化製造会社」について書かれており、明治21(1888)年10月に「田中平八」
  が社長として会社が設立されていることがわかります。
  (『「時事新報」(10月16日)』の記事が掲載されています)。
  説明文には、

  「「田中平八」、「原善三郎」らを発起人として、1888(明治21)年に設立された横浜煉化
  製造会社ですが」

  と記載があります。
  会社の住所は、「相生町四丁目六十八番地」ととなっています。

 (2)『日本煉瓦史の研究』水野信太郎/著 法政大学出版局 1999
    3の(1)の参考文献です。
    p.140に、次の記載があります。
   「天下の糸平として知られた田中平八が煉瓦の製造、販売に乗り出していく。
   明治21年5月ごろ着工、同年9月22日には開業式*144に漕ぎつけた横浜煉化製造会社
   である。本社は横浜区和生町4丁目68番地、工場は橘樹郡川崎駅在戸手村、現在の
   川崎市幸区戸手町に構えた。(*住所の「和生町」は「相生町」の誤字と思われる)
   *144)「毎日新聞」第5333号附録、明治21年9月25日」

   とあります。

4 『横浜市史』

  『横浜市史 第3巻 下』(横浜市/編集 横浜市 1963年発行)のp.46とp.74に、
  田中平八と田中半兵衛の名前が両方掲載されています。
  p.46には明治11年の大区会の議員選出された六三名の名前が掲載されています。
  田中平八と田中半兵衛のほか、原善三郎も掲載されており、田中半兵衛は当時の有力者
  であったことがわかります。
  p.74には、明治12年に開催された町会議員選挙で当選した40名の姓名が掲載されています。
  p.46と同じく、田中平八と田中半兵衛のほか、原善三郎も掲載されています。
  田中平八と田中半兵衛は、別人であり、同時代の町会議員であったことがわかります。

5 新聞記事
  ヨミダス歴史館(読売新聞オンライン記事データベース)、聞蔵IIビジュアル(朝日新聞オンライン
  記事データベース)で、検索しました。

 (1)「絵具染料問屋」(「読売新聞」1886年11月10日)
   東京日本橋区鉄砲町にある、「絵具染料問屋」の広告です。   
   そこに、田中半兵衛の名前が掲載されています。それ以外の情報がないため、この田中半
   兵衛が、関係のある人物なのかどうかは不明です。

 (2)「亡父半兵衛の弔い」(「読売新聞」1885年年5月12日)
   田中半兵衛の葬儀の知らせです。
   この記事に書かれている住所は「横濱相生町四丁目」です。
   記事には、「田中半三郎」、親戚「田中菊次郎」、「田中平八」という3人の名前が掲載
   されています。
   「横浜煉化製造会社」の住所と同じであり、社長の「田中平八」の名前も書いてあります。
   しかし、「横浜煉化製造会社」の設立は、1888(明治21)年なので、この記事の田中半兵
   衛は、設立より前に死亡していることになります。

 (3)「横濱電燈会社改革のこと」(「朝日新聞」 1891年6月19日)
   この記事に「前重役の田中半兵衛」との記述があります。「前重役の田中半兵衛」所有の
   株についての話のため、この田中半兵衛はこの時点で存命であることがわかります。
   ただし、これまでに出てきた田中半兵衛と同一人物なのかは不明です。

 (4)「横浜煉瓦製造会社、事業不振と多額の損失で解散」(「読売新聞」 1893年1月8日)
   という記事があります。
   「事業不振で昨年末に解散することになった」と書かれています。
   ここには、田中平八も田中半兵衛も名前はありませんでした。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
個人伝記  (289 8版)
参考資料
(Reference materials)
キーワード
(Keywords)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000127657解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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