レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/05/02
- 登録日時
- 2012/12/29 02:16
- 更新日時
- 2013/02/02 14:51
- 管理番号
- 6000000436
- 質問
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解決
豊中市の阪急曽根駅付近にあったという北大路魯山人ゆかりの「大阪星岡茶寮」についてわかる資料はあるか。特にいつからいつまであったのかを知りたい。
- 回答
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大阪星岡茶寮(おおさかほしがおかさりょう)は阪急曽根駅東側の現在のロータリー付近に大正のはじめに建てられた邸宅「衆楽園」を改装して、昭和10年から営業した料亭。昭和20年に空襲により焼失したが、復興後昭和40年代半ばまで営業を続けたとの記載がある資料もあり。『新修豊中市史第6巻 美術』等に大阪星岡茶寮についての記載があり。
- 回答プロセス
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郷土資料の書架を探す。
『新修豊中市史 第6巻 美術』(豊中市)第5章「近現代の美術」第1節「豊中の近現代」のp355-356に、昭和10(1935)年に曽根の衆楽園(しゅうらくえん)に開設された「大阪星岡茶寮」と魯山人についての記載があり。昭和20(1945)年6月15日に空襲で焼失したとのこと。このときには軍の関係者が多用したため爆撃の標的にされたとの風評もあった。p536-545に「衆楽園(後の大阪星岡茶寮)資料(志方家所蔵『先考十三回忌記念』〈昭和八年〉より抜粋)」があり、同書のはしがきと序、建築家平尾敏也氏による建物の説明文、見取り図と建物の写真を見ることができる。
また『新修豊中市史第9巻 集落・都市』p271「別荘と長屋建築」には星岡茶寮についての言及があり。現在は往時をしのぶものは残っていないとのこと。「星岡」第77号からの外観写真があり。『新修豊中市史第7巻 民俗』p428には製氷業に関する逸話のひとつとして、星岡茶寮でどのように氷を使用していたかの記載があり。『新修豊中市史第8巻 社会経済』p360には、中豊島村の地主として、後に星岡茶寮となった志方勢七氏所有の宅地と田畑・山林についての言及があり。昭和16年の阪急曽根駅の写真もあり。
『豊中空襲の記録 若い世代からの追求』(大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班)p228「曽根(岡山)地区の空襲被害状況図」には曽根駅付近の手書きの地図があり、星ヶ岡茶寮も書きこまれている。
『魯山人の世界』(新潮社)「第四部 魯山人の生涯」p108には、昭和10年10月10日に大阪星岡茶寮が開設されたとの記載と、大阪星岡茶寮の正門の写真があり。
なお、『とよなか歴史・文化財ガイドブック』(豊中市教育委員会)p48「星岡茶寮」には、大阪星岡茶寮が空襲を受けた際の状況は軍に使用されていたため明らかではないが、復興後昭和23年には財界茶人の奥座敷として愛用され、後にはダンス教室を開くなどして昭和40年代中ごろまで営業を続けたとの記載があり。
このほか、豊中市の広報「広報とよなか」2003年11月号に「魯山人ゆかりの大阪星岡茶寮」の記事(PDF)http://www.city.toyonaka.osaka.jp/h_file/kohotoyo/200311/52.pdf があり、曽根駅東側の現在のロータリー付近にあったことがわかる。また2007年1月号「心の風景 邸宅とのどかな風景」(PDF)http://www.city.toyonaka.osaka.jp/h_file/kohotoyo/200701/40.pdf には、豊中市曽根東町にある西琳寺の住職中村明宣氏による当時の逸話があり。
このほか朝日新聞2008年1月21日地方面「週刊まちぶら 第140号 曽根駅かいわい」に、曽根駅付近の紹介記事があり、星岡茶寮についても記載されている。
大阪府立中央図書館には、魯山人が星岡茶寮の会員に頒布した個人誌「星岡」創刊号~第80号の復刻である『北大路魯山人の星岡』第1巻~第4巻(禁帯出)の所蔵があり。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『新修 豊中市史第六巻』豊中市史編さん委員会/編(豊中市)
- 『新修 豊中市史第九巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『新修 豊中市史第七巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『新修 豊中市史第八巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『豊中空襲の記録[第1集]』大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班/編(大阪教育大学教育学部附属池田中学校郷土研究部歴史班)
- 『魯山人の世界』梶川 芳友/[ほか]著(新潮社)
- 『魯山人と星岡茶寮の料理』柴田書店/著(柴田書店)
- 『とよなか歴史・文化財ハンドブック』豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課/編集(豊中市教育委員会生涯学習推進室地域教育振興課)
- キーワード
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- 星岡茶寮(ホシガオカサリョウ)
- 北大路魯山人(キタオオジ ロサンジン)
- 星ヶ岡茶寮(ホシガオカサリョウ)
- 豊中(トヨナカ)
- 曽根(ソネ)
- 歴史
- 料亭
- 星ヶ丘茶寮(ホシガオカサリョウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 後日、『魯山人と星岡茶寮の料理』(柴田書店)が出版され、p56-57「大阪星岡茶寮」に、提供された料理や室内の写真の絵葉書の写真が載っていることが判明。大阪市天王寺区のケンショク「食」資料室http://www.ken-syoku.co.jp/kensyoku/data.html 所蔵の資料とのこと(同資料室は、2012年12月現在公開休止中)またp109には『先考十三回忌記念』収録の衆楽園の平面図があり。なお同書p56では大阪星岡茶寮の住所が「大阪市阪急電鉄曽根崎駅前」となっている。しかし『100年のあゆみ 通史』(阪急阪神ホールディングス株式会社)p252-255「阪急電鉄 路線の変遷」には、1920年・28年・43年の路線図があるが、いずれにも曽根崎駅の名はないため、これは豊中市・曽根駅前の誤りと思われる。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000117823