レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/12/06
- 登録日時
- 2012/12/29 02:16
- 更新日時
- 2013/01/17 11:18
- 管理番号
- 6000010141
- 質問
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解決
吉野善三郎氏が開発したゼンザブロニカというカメラの開発にまつわる逸話を知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料と大阪市、堺市、箕面市各市立図書館および大阪大学図書館の資料を借用ないし紹介。資料の内容は備考欄に記載。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 写真器械.材料 (742 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『<現代日本>朝日人物事典』朝日新聞社/編(朝日新聞社) (p1755)
- 『銀塩カメラ辞典』赤城 耕一/著(平凡社) (p86-89)
- キーワード
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- 精密機器
- カメラ
- 写真
- 写真機
- 吉野善三郎(ヨシノゼンザブロウ)
- ブロニカカメラ
- ゼンザ・ブロニカ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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『現代日本朝日人物事典』(朝日新聞社)p1755
「吉野善三郎」の項に、「カラー時代を予測して画面の大きなスウェーデン製の超高級機ハッセルブラッドに範をとり,59年,国産初の6×6判一眼レフ『ゼンザ・ブロニカ』を完成させる。製品名は自らの名前をもじったもの。同年5月,米フィラデルフィアのカメラショーに出展,注目を浴びた。国内では同年暮れにゼンザブロニカDの名称で発売され大きな反響を呼んだ。先輩のハッセルブラッドは50数件の特許に護られていたので,開発に当たって,その壁を克服するため努力し,結果として独自の進んだ機構が盛り込まれたからであった。(門馬義夫)」
『クラシックカメラ専科』no57(朝日ソノラマ)
特集「ブロニカのカメラ」●吉野善三郎とゼンザブロニカp12-15●ブロニカカメラの流れ(萩谷剛)p16-19●ブロニカのカメラ(一正和)p20-37
p15「カメラの命名については、吉野善三郎の名前を引用して<ゼンサブローのブローニーフィルム使用のカメラ>の語呂から、『ゼンザブロニカ』となった」とある。
『写真工業』14(6)1959年6月号
●ゼンザ・ブロニカの全貌(吉野善三郎)●製品になるまで(吉野善三郎)●ゼンザ・ブロニカを手にして(北野邦雄)●ゼンザ・ブロニカを使って(秋元啓一)
『ブロニカ!』吉野信(光人社)p72
「ゼンザブロニカDと幻の試作機を見にゆく!」というタムロン本社の訪問取材記で『ゼンザブロニカのすべて』長谷川勇(朝日ソノラマ)中の文章を引用して開発当時のエピソードを紹介している。
『新・ゼンザブロニカのすべて』(朝日ソノラマ)
第1章ゼンザブロニカの歴史において吉野氏とカメラ開発について少し触れられている。当時の吉野氏近影(モノクロ)収載
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000117816