レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/01/12
- 登録日時
- 2012/12/29 02:15
- 更新日時
- 2013/01/17 11:10
- 管理番号
- 6000002962
- 質問
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解決
かつて現在の阪急蛍池駅付近を所領とした麻田藩の教育はどのようなものであったか。藩校があったかどうか、またあったとすればどのような教育を行っていたかわかる資料はあるか。
- 回答
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『新修豊中市史 第10巻 学校教育』などに、麻田藩の藩校「直方堂」についての記載があり。
- 回答プロセス
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『新修豊中市史 第10巻 学校教育』(豊中市)p200「第2章 子どもの活動と学校 第1節 近代学校制度の成立と地域」に幕末期の教育についての記載があり。8歳から15歳の士族の子弟は毎日午前中に麻田藩の藩校「直方堂(じきほうどう)」で漢学・書数・礼儀・武術を学ぶことが一般的であったとの記載があり。なお庶民の教育は寺子屋を中心としたが、幕末には直方堂への士族以外の入学が許されることもあったとのこと。
『上方の研究 第2巻』(清文堂出版)p487「豊中の史的逍遥」に、「直方堂」の項があり。麻田藩主青木一貞が寛政年中に創立。大阪府内にある6つの藩校の1つであり、経費は藩費をもって当てたとの記載があり。
『三田市史 下巻』(三田市)p343「麻田藩の藩校」には、直方堂の名はないが、上記の内容についての言及があり。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『新修 豊中市史第十巻』豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
- 『上方の研究 第2巻』宮本 又次/編著(清文堂出版)
- 『三田市史 下巻』三田市史編纂委員会/編纂(三田市役所)
- キーワード
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- 藩校
- 麻田藩(アサダハン)
- 直方堂(ジキホウドウ)
- 教育
- 歴史
- 江戸時代
- 豊中(トヨナカ)
- 蛍池(ホタルガイケ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000117779