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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000115038
提供館
(Library)
神戸市立中央図書館 (2210004)管理番号
(Control number)
神戸図-427
事例作成日
(Creation date)
登録日時
(Registration date)
2012年11月28日 16時30分更新日時
(Last update)
2013年03月13日 17時16分
質問
(Question)
神戸近郊の、明治初期のいちご栽培についての資料はないか。正岡子規が神戸で入院(明治28年5月)した頃に、農家のいちごを食べたとある。これを裏付ける資料はないか。
回答
(Answer)
神戸の明治期のいちご栽培に関する資料は見つからず。
なお、正岡子規が神戸で入院していた時にいちごを食べた事に関する資料によると、諏訪山にいちご畑があったようである。また、市中でいちごが売られていたようである。以下の資料を参照。

・『子規について 子規五十年忌雑記』高浜虚子著、創元社、1953年、S、9102=395=
p.59に、諏訪山の苺畑で摘んで見舞った記述あり
「大分子規がよくなってからであった。苺を食べたいと言ひ出し、諏訪山に行くと苺畑があるとのことで、朝早くそこに行って苺を摘んで帰ることにした。…碧梧桐と二人で行ったこともあるし、又代わり合って行ったこともあった。」

・『子規と四季のくだもの』戸石重利著、文芸社、2002年、R、91136=N2=
p.125-127(133)、第1章子規とくだもの、9.苺、(1)苺畑より
「果物好きの子規は、碧、虚の二人に果物を喰いたいとせがむ。子規の入院した神戸衛戍病院は現在のJR花隈駅近くで「モダン寺」の辺りにあった。…子規の希望通り市中の果物屋で苺を買い求めてきた。(明治二十八年、神戸ではすでに果物屋に苺があった。)」  注:碧は河東碧梧桐、虚は高浜虚子のこと
「…神戸山の手に外国人専用の苺を栽培している農家を探し出し、…」
「特に神戸では山の手北野辺りに外国人住宅が多い。これらの人が母国から持ってきた苺苗で栽培したものと思われる。神戸は傾斜地が多く、苺栽培にとって、水はけも、日当たりもよく、適地である。子規の随筆『くだもの』「覆盆子を食ひし事」に当時珍しい西洋苺がのっている。「つま先上りの苺畑」という。山の手諏訪山あたりであろう。西日本最初の苺栽培地であった。今は住宅地と化したが、この当時は農地であった。」
「明治二十八年(一八九五)五月三十日から七月二十日まで虚子と碧梧桐二人による子規の病床日誌に苺のことが詳しく記されている。」

・『兵庫県大百科事典』上巻 p.227「イチゴ」より、子規、虚子らの証言で、イチゴ畑があった事実がわかる。
「兵庫県下発祥の地は諏訪山(神戸市)とも伝えられ、日清戦争(明治27~28年)当時、すでにうねを作って立派に栽培されたイチゴ畑があった事実が、俳人子規、虚子らの証言で明らかになっている。」
RR、0012=210=1

・『子規居士と余』 高濱清著、日月社、1915年、SQ、Q210=2=233、P.66-65より、碧梧桐と虚子が、”山手の苺畑"に毎朝交代で摘みに行って子規の病床に持参した、記述あり
「病牀の一番の慰めは食物であった。碧梧桐君と余とが毎朝代わり合って山手の苺畑に苺を摘みに行って其を病牀に齎らすことなども缺くべからざる日課の一つであった。」

・『正岡子規集』所収「くだもの」 S、9108=1052=53、p.116、明治文學全集53、正岡子規著、筑摩書房、1975年
”覆盆子を食ひし事"の末文近くに、虚子と碧梧桐がいちご畑で苺を取ってきた記述あり。
「明治廿八年の五月の末から余は神戸病院に入院して居った。…そこで醫者の許しを得て、少しばかりのいちごを食ふ事を許されて、毎朝こればかりは闕かした事がなかった。それも町に賣ってをるいちごは古くていかぬといふので、虚子と碧梧桐が毎朝一日がはりにいちご畑へ行って取て來てくれるのであった。余は病牀で其を待ちながら二人が爪上りのいちご畑でいちごを摘んでゐる光景などを…」
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
『子規について 子規五十年忌雑記』 高浜虚子著、創元社、1953年、S、9102=395=
『子規と四季のくだもの』 戸石重利著、文芸社、2002年、R、91136=N2=
『兵庫県大百科事典』上巻 RR、0012=210=1
『子規居士と余』  高濱清著、日月社、1915年、SQ、Q210=2=233
「覆盆子を食ひし事」 『正岡子規集』所収「くだもの」より(明治文學全集53、正岡子規著、筑摩書房、1975年、S、9108=1052=53)
キーワード
(Keywords)
イチゴ
正岡子規
高浜虚子
河東碧梧桐
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
参考までに、兵庫県でのいちご栽培、鳴尾苺について
・『兵庫の野菜園芸』兵庫県農林水産部食品流通課監修、兵庫の野菜園芸編集委員会、1985年、L、0006=200=
p.151「V加工用栽培 1いちご (1)来歴」より
「本県産いちごの栽培の歴史は古く、鳴尾いちご(現西宮市鳴尾町)は明治35年頃から集団的に栽培され、重要産業として発展した」
p.299「兵庫県野菜の沿革」(年表)より
「1899 明治32年頃 武庫郡鳴尾村(現西宮市鳴尾町)の鎌倉作蔵氏がいちごの苗を大阪の玉造から持ち帰り、いちご栽培を始めた。」

・『農業事物起源集成』大野史朗著、丸山舎書店、1935年、S、6103=6=、(青史社刊の復刻版もあり、S8、6103=L2=)
p.22「鳴尾苺」
「…明治三十七年に至り同村鎌倉作蔵氏が当時和蘭陀苺と称せられた苺の苗少量を求め試験的に之が栽培を行った。之即ち鳴尾苺栽培の先導者と云うべきである…。〔参考文献〕罐詰時報第十四巻第一号―星野直太郎述「鳴尾苺」に就いて」」

日本での栽培史などについて
・『イチゴの増収技術』二宮敬治著、富民社、1959年、S、624=38=

以下の図書には、いちごについて載っていないが、神戸オリーブ園について記述あり
・『日本農業発達史』第3巻 農業発達史調査会、中央公論社、1953、S、6102=60=3
p.202に、「神戸阿利襪(オリーブ)園」

・『福羽逸人回顧録』福羽逸人著、国民公園協会新宿御苑、2006年、R、Pフク=1,2
[本編]p.63-75「第一編第三章 神戸阿利襪園ト其事業」(原書の翻刻)
解説編p.48-58(同上部分の原文を常用漢字等に直したもの)
調査種別
(Type of search)
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
登録番号
(Registration number)
1000115038解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
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