レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20120530
- 登録日時
- 2012/11/25 02:00
- 更新日時
- 2012/12/27 15:32
- 管理番号
- 30001214
- 質問
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未解決
藩政時代に田中新三郎が「伊勢山田あたりで見つけた、背丈が高く、大きい稲をつけた酒米」について。
- 回答
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田中新三郎が、伊勢山田あたりで、背丈が高く、大きい稲をつけた酒米を見つけたことに関する資料がなく、この酒米がどういうものであるか不明です。
三重県には「伊勢錦」という酒米があります。『酒米ハンドブック』のp.11によると伊勢錦は、”三重県の岡山友清氏が1849年に在来品種大和から選抜、1860年から普及を開始した古い酒米。伊勢参りの参宮街道頒布所で無料配布され広がったという。明治期には各地で栽培されたが、大正期には三重県以外でほとんど見られなくなった。”とあります。欄外のコメントには、”今に残る最古の酒米”とあります。
また、『三重県農業試験場史』のp.33によると、”本種(伊勢錦)の発見者、岡山友清氏は多気郡五ヶ所村の人である。文化11年帰郷して農業に従事したのを機会に稲の撰種法、作付法等を書いて不二孝心講と称する講を組織して利益を広げようとした。一時は幕吏の嫌疑をうけ江戸に召集されたこともあったが、勧業上有益な事業であることが判ったので却って賞詞を受けた事もあった。その後、追々選種に選種を重ね遂に優良種を得たので「伊勢錦」と名付けてこれを松阪付近で参宮道者に分与したこともある。”と書かれていました。
参宮街道頒布所で配られていたことから、山田穂と伊勢錦に、関連がある可能性があります。
しかし、『酒米ハンドブック』のp.72によると山田穂は、山田錦の母親。来歴不明。①兵庫県美嚢郡吉川町(現三木市)の田中新三郎氏が伊勢参りの際に伊勢山田で見つけた穂を持ち帰った。②兵庫県八部郡山田町(現神戸市)の東田勘兵衛氏が雌垣村(現茨木市)で入手した種子が大粒の酒米となり山田穂と呼ばれた。③兵庫県多可郡中町(現多可町)の山田勢三郎氏が明治初期に自分の田圃に優良な株をみつけて選抜、山田の姓をとり名付けた。”の3説があるようです。欄外のコメントには、”山田勢三郎説が有力。山田錦を生み出した後、幻の米となっていたが、近年いくつかの場所で復活している”とあります。山田穂には、3つの説があることから、伊勢錦と関連していない可能性もあります。"
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 酒米ハンドブック 副島 顕子/著 文一総合出版 2011.7
- 三重県農業試験場史 三重県農業技術センター 1994.3
- 伊勢を歩く 極上の時間を旅する 赤福iseプランニング 2002.9
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000114807