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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000108466
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2012-075
事例作成日
(Creation date)
2012年05月03日登録日時
(Registration date)
2012年07月12日 16時07分更新日時
(Last update)
2012年10月02日 14時28分
質問
(Question)
藤堂高虎が出家した際につけた戒名を知りたい。
その由来や経緯も知りたい。
回答
(Answer)
戒名(法名)は、「高山院寒松道賢」と「日雲」という2つの説がある。
「高山院寒松道賢」は、複数の資料で確認することができるが、由来や経緯は明確にはならなかった。
「日雲」については由来、経緯などを所蔵資料では確認することができなかった。
回答プロセス
(Answering process)
「戒名」は、「法名」「法号」とも呼ばれる。(『広辞苑 第5版』(新村出 岩波書店 1998))等より。
藤堂高虎の出家について 
文禄4年、豊臣秀俊(本によっては秀保)の死により出家したとされる。
それ以外に出家の記録は見つからなかった。
元和2年4月、徳川家康の死に際し、家康と同宗派になるために日蓮宗から天台宗に宗派替えしている。その際に「寒松院」という法名を天海僧正から授けられたという記載は複数の資料にあった。死後に付されたと読み取れる資料もあった。伝記小説に、死後天海僧正が法号を諡った際のいきさつはあるが、その典拠は不明。

戒名(法名・法号・法)について
『戒名・法名・神号洗礼名大事典』(鎌倉新書 1981)
p444〈藤堂高虎〉の項あり。
「高山院寒松道賢(こうざんいんかんしょうどうけん)」という法名と「寒の松は道に賢く高い山に(あり)」という説明あり。経歴の記述はあるが、出家に関しては「主家が滅びると高野山に入る」という記述のみ。

戒名については、下記の事典類で「寒松院道賢高山(権大僧都)」とされている。
ただし、これは法名「道賢(どうけん)」道号「高山(こうざん)」院号「寒松院」を組み合わせたもののため、事典によってこの3種の記述の順序が異なるものもあり。
『国史大辞典 10』(吉川弘文館 1989)
『世界大百科事典 2005年改訂版 20』(平凡社 2005)
『日本人名大事典 4』(平凡社 1986)
『日本史大事典 5』(平凡社 1993)
『平凡社大百科事典 10』(平凡社 1985)
『日本近世人名辞典』(竹内誠、深井雅海編 吉川弘文館 2005)  

他の事典とは異なる法号を記載している資料
『新版世界人名辞典 日本編 増補版』(佐藤直助、平田耿二編 東京堂出版 1990)
p449-450〈藤堂高虎〉の項あり。 「法号は日雲」と記載あり。
いずれの資料についても、戒名が英俊の死に伴って出家したときに付されたものか天海僧正に授けられたものかについては記載されていない。

経緯について
以下の事典類での記述は、高虎が主君の死去に伴って一時高野山に出家し、後に還俗した事実については触れているが、上記の戒名がその時につけられていたかについては言及していない。
『国史大辞典 10』(吉川弘文館 1989)(前出)  
『日本人名大事典 4』(平凡社 1986)(前出) 
『日本史大事典 5』(平凡社 1993)(前出)
『平凡社大百科事典 10』(平凡社 1985)(前出)  
『日本重要人物辞典 新訂』(教育社 1988)
『新潮日本人名辞典』(尾崎秀樹〔ほか〕編集 新潮社 1991)など  

『江戸時代の設計者 異能の武将・藤堂高虎』(藤田達生著 講談社 2006)
p59-62 高野山への出家に関する記述あり。
「主家が断絶した時点で、高虎は武士をやめようとする。主君の死を悼み、高野山に登って出家しようと、山内の高室院に入寺したといわれている。しかし秀吉から説得され、豊臣大名として自立することになる。」
「秀吉は、高虎と親しかった生駒親正を使って高野山に行かせて説得させ、還俗のうえで大名として奉公することを納得させた。」
『高山公実録 藤堂高虎伝 上(清文堂史料叢書)』(上野市古文献刊行会編 清文堂出版 1998) 
出家の記述のみ。 
『高山公実録 藤堂高虎伝 下(清文堂史料叢書)』(上野市古文献刊行会編 清文堂出版 1998)
p768-770 家康の死の前に天台宗になったことの記述あり。
p871-881 寛永7年10月5日に逝去したことや葬儀の様子、公の逝去後のこと等がわかる。
p872上段 〔忠勤録〕葬礼の道師が慈眼大師であったことや、法諱が「寒松院前伊州羽林道賢高山権大僧都」であること、慈眼大師の筆により石塔の文字が書かれたこと等がわかる。
p873下段 〔国師日記〕戒名については、寛永7年10月の「同十七日伊勢津吉田貞右衛門より七月十六日之状来ル和泉殿之法名書写来 寒松院羽林高山泉公大 寒松院道賢高山権少僧都神儀十月五日高山泉公大弾定ト山門ノ牌立ル 〔謹按〕少の字大に作るへし」とある。
p962-963 年譜の文禄4年の記述に「高野山に隠遁」とある。
p984 年譜の寛永7年に「法名道賢、道号高山、院号寒松、贈権大僧都。」とある。

伝記小説『藤堂高虎』(横山高治著 創元社 1987)
p151 秀俊の死後高野山に行く話あり。
p277-278 家康の病にあたり、天台宗に改宗する話あり。
p301 (上野の)寛永寺の子院として寒松院を建設する話あり。
p303 死後「天海は涙をためつつ、「毅然として寒風に立ち向かう松の大木」と讃え、「寒松院殿前伊州羽林道賢高山権大僧都」の法号を諡った。」とあり。
「あとがき」に参考文献があり、所蔵する資料を調査したが小説記述の根拠になる記述は確認できなかった。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
個人伝記  (289 9版)
仏会  (186 9版)
参考資料
(Reference materials)
『戒名・法名・神号洗礼名大事典』(鎌倉新書 1981)
『国史大辞典 10』(吉川弘文館 1989)
『世界大百科事典 2005年改訂版 20』(平凡社 2005)
『日本人名大事典 4』(平凡社 1986)
『日本史大事典 5』(平凡社 1993)
『平凡社大百科事典 10』(平凡社 1985)
『日本近世人名辞典』(竹内誠、深井雅海編 吉川弘文館 2005) 
『新版世界人名辞典 日本編 増補版』(佐藤直助、平田耿二編 東京堂出版 1990)
『日本重要人物辞典 新訂』(教育社 1988)
『新潮日本人名辞典』(尾崎秀樹〔ほか〕編集 新潮社 1991)など 
『江戸時代の設計者 異能の武将・藤堂高虎』(藤田達生著 講談社 2006)
『高山公実録 藤堂高虎伝 上・下(清文堂史料叢書)』(上野市古文献刊行会編 清文堂出版 1998)
『藤堂高虎』(横山高治著 創元社 1987)
キーワード
(Keywords)
藤堂 高虎(トウドウ タカトラ)
寒松院
戒名
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
人物
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000108466解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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