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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000106263
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼浦-2012-015
事例作成日
(Creation date)
2011年12月01日登録日時
(Registration date)
2012年05月21日 16時04分更新日時
(Last update)
2012年07月31日 17時19分
質問
(Question)
太田道灌(資長)の主な家臣について知りたい。
回答
(Answer)
下記の資料に、主な家臣であるか不明だが、家臣として名前が確認できた以下の人物を紹介した。
「斎藤加賀守」 「佐藤五郎兵衛」 「桂縫殿助」 「樋口兼信」 「日暮里玄蕃」
また、太田道真・道灌に仕えた以下の家臣の名があり。
「金子掃部助の子」「市川亀鶴丸」「三留兄弟」「満五郎」
また、太田道灌の客将として「木戸孝範」の記述あり。

家臣名の記載されている資料と主な記述は以下のとおり
斉藤加賀守
『日本思想史講座 2 中世の思想』
p94「さらに、斎藤加賀守に団(合戦の指揮権)を 預けたことに対する朝良とその側近の家臣たちの批判には、加賀守は太田道灌の家臣で匹夫(身分の賤しいこと)であるにもかかわらず(以下略)」とあり。

佐藤五郎兵衛、桂縫殿助
『房総における戦国武将の系譜』
p23「この戦いで太田資忠(道灌の弟)は戦死し、そのほかに太田家の家臣佐藤五郎兵衛、桂縫殿助(かつらぬいどのすけ)以下五十三人が討死したという。」とあり。

樋口兼信
『日本の武将 第26 太田道潅』
p129「道灌は古河城攻めの出陣にあたって、当社に参拝して神馬と太刀を奉納して戦勝を祈願し、家臣樋口兼信と連歌を行なった。」とあり。

日暮里玄蕃
『所沢市史 地誌』
p572「往古太田左衞門佐入道道灌文明八年讒者のために相州粕谷の館に亡され、家臣日暮里玄蕃當地に移住せしが(以下略)」とあり。

金子掃部助の子、市川亀鶴丸、三留兄弟、満五郎
『湯山学中世史論集 1 関東上杉氏の研究』
p182「道真・道灌と相模国」
「鶴岡八幡宮の相撲右長職を世襲した金子掃部助の子は道灌に仕え、その相撲給を押領されたと道灌に訴えている。」とあり。
「『太田家譜』は、「その最も秘する所は、足軽の軍法」であったとする。(中略)北深沢郷の作人市川亀鶴丸や金子掃部助の子、あるいは三留部兄弟、満五郎などは、道真・道灌に取り立てられ、足軽兵法の軍勢を形づくっていったのである。そうした太田氏の家臣団のなかで、(中略)曾我氏は、「武勇の者」として重用され、定正はその曾我兵庫を使って道灌を殺害し(以下略)」とあり。
p185-206「岩付太田氏家臣団覚書」
太田資正・梶原政景父子が岩付城を追放される以前につくられたという「きゃくいの次第・しゅいの次第」の記述はあるが、太田道灌の家臣の記述なし。

木戸孝範
『埼玉県の歴史』
p105「この木戸孝範は堀越公方政知の一族で、政知とともに関東にくだって道灌の民政顧問をつとめた人とつたえられる。」とあり。
『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで 角川叢書 40』
「第三章 武蔵野の城館と歌人-太田道灌と国人領主」
p155「木戸孝範、道灌の客将となる」
「道灌はその頃多くの有為の人材を擁していたらしい。その筆頭が(略)木戸孝範である(略)」とあり。
p156
他にも道灌と行動を共にした武将として、吉良成高、千葉自胤、三浦義同(導寸)、大森氏頼の名前あり。
「(略)いずれも道灌より門地は高く」とあり。
回答プロセス
(Answering process)
その他の調査済み資料。該当の記述がなかったもの。
『戦国大名系譜人名事典 東国編』(新人物往来社 1985)
p370-384「太田氏」(湯浅学著)
「太田氏の系譜と事歴」、「太田氏当主および主要人名事典」があるが該当の記述なし。
『戦国人名事典』(新人物往来社 1987)
『国史大辞典 2 う-お』(吉川弘文館 1980)
p626-627「太田氏」
p630-631「太田道灌」
『戦国合戦大事典 第2巻』(新人物往来社 1989)
p142「越生の戦い」、p268「石神井城の戦い」など太田道灌の戦について記述はあるが家臣についての記述なし。
『戦国大名家臣団事典 東国編』(新人物往来社 1981)
『埼玉叢書 4』(稲村坦元/編 国書刊行会 1971)
p288-306「太田家譜」、p307-324「太田道灌状」があるが、該当の記述なし。
『太田道灌 日本の武将 26』(勝守すみ著 人物往来社 1966)
『太田氏の研究 関東武士研究叢書 第3巻』(前島康彦編著 名著出版 1975)
『太田道灌 静勝軒太田道灌公の御霊前に捧ぐ』(大田道灌公墓前祭実行委員会記念誌編纂会 1996)
『太田道灌』(前島康彦著 太田道灌公事蹟顕彰会 1956)
『太田氏系図・年表』(〔埼玉県東部地方史解明調査会〕1974)
『太田道真と道灌』(小泉功著 幹書房 2007)
『太田道灌とその一族を探究して』(岩井茂著 埼玉東部地方史解明調査会 1971)
『太田道潅公古文書』(成瀬村立成瀬小学校編 成瀬村(神奈川県) 1936)
『新名将言行録 室町時代』(榊山潤〔著〕 講談社 1984)
『長尾景春 シリーズ・中世関東武士の研究1』(黒田基樹編 戎光祥出版 2010)
『江戸幕府政治史研究』(辻達也著 続群書類従完成会 1996)
熊沢良泰という代官の祖が太田道灌に仕えたという記述があるが具体的な人名は不明。
「戦国大名県別国盗り物語 我が故郷の武将にもチャンスがあった!? PHP新書 384」(八幡和郎著 PHP研究所 2006)
井上恵一「岩付城主太田氏房の家臣団について 上」(『埼玉史談 29-3』p5-11 埼玉県郷土文化会 1982)
井上恵一「岩付城主太田氏房の家臣団について 下」(『埼玉史談 29-4』p17-24 埼玉県郷土文化会 1983)
岩付太田氏の家臣団の記述はあるが、道灌の家臣の記述なし。
福島正義「太田三楽斎資正」(『歴史研究 第124号』p2-7 新人物往来社 1971)
『歴史研究 2007年7月 特集 太田道灌と江戸城』(新人物往来社 2007)
「忠勇録」(忠勇録編纂会編)国立国会図書館近代デジタルライブラリーで公開している。
p121-122 太田道灌あり。家臣の記述なし。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/757773  国立国会図書館 2011/12/01最終確認)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
系譜.家史.皇室  (288 9版)
貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション  (090 9版)
参考資料
(Reference materials)
『日本思想史講座 2 中世の思想』(古川哲史ほか編 雄山閣出版 1976)
『房総における戦国武将の系譜』(千野原靖方著 崙書房 1976)
『日本の武将 第26 太田道潅』(人物往来社 1966)
『所沢市史 地誌』(所沢市 1980)
『湯山学中世史論集 1 関東上杉氏の研究』(湯山学著 岩田書院 2009)
『埼玉県の歴史』(小野文雄著 山川出版社 1979)
『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで 角川叢書 40』(小川剛生著 角川学芸出版 2008)
キーワード
(Keywords)
太田 道灌(オオタ ドウカン)
斉藤 加賀守(サイトウ カガノカミ)
桂 縫殿助(カツラ ヌイドノスケ)
家臣-太田道灌
戦国時代-埼玉県
埼玉県-郷土資料
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000106263解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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