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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000106158
提供館
(Library)
埼玉県立久喜図書館 (2110009)管理番号
(Control number)
埼熊-2012-044
事例作成日
(Creation date)
2012年02月21日登録日時
(Registration date)
2012年05月17日 14時09分更新日時
(Last update)
2013年08月21日 15時14分
質問
(Question)
1864年日本からエジプトギザのスフィンクスを訪れた「池田使節団」34人の詳しい資料があったら見たい。
回答
(Answer)
池田使節団は、文久3(1863)年12月29日から元治元(1864)年7月22日の間、横浜の鎖港談判のために遣わされた使節団。
関連記述のある以下の資料を紹介した。

『遣外使節日記纂輯 3 日本史籍協会叢書 98』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1987)
p339-480「航海日記」(岩松太郎著)収録あり。岩松太郎は、「横浜鎖港談判使節団」の一員として参加。
p344-347〈使節姓名〉の項に、一行(33名)の名簿(役職および氏名)あり。
p382(旧暦2月19日)ごろからエジプトやカイロの記述がみえる。
巻末p542-「解題」あり。

『益田孝 天人録 横浜で実学を修め三井物産の誕生へ』(松永秀夫著 新人物往来社 2005)
p1-25「横浜の勧誘と鎖港談判」の章に、使節団の動向に関する記述あり。益田孝は「横浜鎖港談判使節団」の一員として参加。
p16-19〈スフィンクスと侍〉の項あり。p17にはアントニオ・ベアトが撮影の「スフィンクスと侍」(横浜美術館蔵)の写真および人物の一部拡大写真あり。

『幕末遣外使節物語 夷狄の国へ(講談社学術文庫 907)』(尾佐竹猛〔著〕 講談社 1989)
p205-240「遣仏使節 池田筑後守一行(文久3年)」の章あり。
p208-210「一行34人」の一覧があるが、記載人数は35人。
p221-223 エジプトの記録あり。

『対外交渉史の研究 開国期の東西文化交流』(金井円著 有隣堂 1988)
p88-106「東西の出会い 遣仏使節池田長発の場合」あり。
参考文献として、池田長発の伝記的・歴史的研究書の紹介あり。以下はすべて県立未所蔵
「幕末外交使節池田筑後守」(小林玖磨雄 恒心社 1934)
「悲劇の大使-池田筑後守事績考」(高橋邦太郎 1968 「明治文化研究 第2集」所収 日本評論社)
「鶴遺老-池田筑後守長発伝」(岸加四郎 井原市教育委員会 1969)

『幕末維新外交史料集成 6 修好門』(維新史学会編 第一書房 1978)
外務省所蔵「続通信全覧類輯」より抜き出した史料。
p7「池田筑後守ヘ使節ノ辞令書」「河津伊豆守ヘ副使ノ辞令書」あり
p8「附属吏員ヘノ辞令書」あり。以下8人の名が見られる。「田中廉太郎、田邊太一、西吉十郎、塩田三郎、益田鷹之助、横山敬一、松浪権之丞、杉浦愛藏」
p13「人数別録 人数書」あり。
p14-15「使節目付連署ノ申稟」あり。内訳は、以下のとおり。
外国奉行2人・家来2人ずつ、御目付1人・家来2人、外国奉行支配組頭1人・家来1人、同支配調役1人・家来1人、同調役並1人、御徒目付1人・家来1人、外国奉行支配定役元〆1人、同定役2人、同同心2人、御小人目付2人、通詞4人、小遣之者5人、合32人。これ以外に、ブレッキマンが同行。

『自由民権運動の系譜:近代日本の言論の力』(稲田雅洋 吉川弘文館 2009)
p41-49 池田・河津・河田の3名の動きを中心として使節団について言及している。

『幕末外交談 2 東洋文庫』(田辺太一著 坂田精一訳・校注 平凡社 1978)
p103-133「横浜鎖港談判使節と、その帰朝」の章あり。

雑誌
犬塚孝明「海国ニッポンの明治維新(18)横浜鎖港談判使節団」(『歴史読本 55(11)』p262-267 新人物往来社 2010.11)
p264-265「総勢で三十四名、随員の中には、外国奉行支配組頭田辺太一、通弁御用塩田三郎、同益田孝、蕃所調所教授手伝原田吾一、外国方翻訳官矢野二郎など、明治期の外交官や実業家として活躍した者も少なくない。」として5人の名があげられている。

福井延幸著「文久・元治期における幕府外交官僚の外交姿勢 横浜鎖港談判から」(『目白大学短期大学部研究紀要 第40号』p165-179 目白大学短期大学部 2003.12)池田使節団については詳しい記述はあるが、ピラミッド探訪については記述なし。
回答プロセス
(Answering process)
回答で紹介したもの以外に、池田使節団について記述のあった資料
『日本史総合年表』(加藤友康〔ほか〕編 吉川弘文館 2005)
p492 1863(文久3)年12月29日の記載に「横浜鎖港談判使節池田長発、河津祐邦ら、フランス軍艦で欧州へ出発(維新史料網要)」とあり。
1864(元治元)年5月17日の記載に「横浜鎖港談判使節池田長発ら、パリ約定(下関海峡通航・輸入税率引下げなど)に調印、鎖港は断念(維新史料網要)」とあり。
『維新史料綱要 巻5 文久3年11月-元治元年12月』(東京大学出版会 1983)
p67-68 文久3年12月27日付で使節団が江戸をたった記載あり。
p271 元治元年5月17日付で、使節団の調印および帰国の途についた記載あり。
『近世日本国民史 52 文久・元治の時局』(徳富猪一郎著 近世日本国民史刊行会 1969)
p224「既に鎖港談判に欧州各国へ使節として出港したる池田・河津・河田の三名は、(文久三年)正月八日上海に著している。」という一文のみ。
『幕末外交史余話:エピソードが照らす史実の側面 』(具島兼三郎著 評論社 1974)
外国との価値観の違いから生まれたエピソードを集めたもの。p166-172に池田使節団に関するエピソードあり。

未所蔵資料
「幕末外国奉行田辺太一」(尾辻紀子著 新人物往来社 2006)「3章 幕末外交使節(横浜鎖港談判使節)」の章あり。

その他調査済み資料は以下のとおり。
『幕末・明治期の日仏交流 中国地方・四国地方篇 1(松江)』(田中隆二著 渓水社 1999)
『幕末維新論集 7 幕末維新と外交』(田中彰〔ほか〕編 吉川弘文館 2001)
『幕末期対外関係の研究』(上白石実著 吉川弘文館 2011)
『幕末維新使節団のイギリス往還記 ヴィクトリアン・インパクト』(松村昌家著 柏書房 2008)
『F.ベアト写真集 1.2』(F.ベアト〔著〕 横浜開港資料館編 明石書店 2006)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本史  (210 9版)
参考資料
(Reference materials)
『遣外使節日記纂輯 3 日本史籍協会叢書 98』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1987
『益田孝 天人録 横浜で実学を修め三井物産の誕生へ』(松永秀夫著 新人物往来社 2005)
『幕末遣外使節物語:夷狄の国へ(講談社学術文庫 907)』(尾佐竹猛〔著〕 講談社 1989)
『対外交渉史の研究 開国期の東西文化交流』(金井円著 有隣堂 1988)
『幕末維新外交史料集成 6 修好門』(維新史学会編 第一書房 1978)
『自由民権運動の系譜 近代日本の言論の力』(稲田雅洋 吉川弘文館 2009)
『歴史読本 55(11)』(新人物往来社 2010.11)
『目白大学短期大学部研究紀要 第40号』(目白大学短期大学部 2003.12)
キーワード
(Keywords)
日本-外国関係-歴史-江戸末期-史料
池田使節団
横浜鎖港談判使節団
遣外使節
池田 長発(イケダ チョウハツ)
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
追記(2013/08/21)
キーワードの池田長発(イケダ チョウハツ)の読みは国立国会図書館に準拠した。
『人物レファレンス事典 明治・大正・昭和(戦前2)』には〈いけだ ながおき〉別名〈いけだ ちょうはつ〉とあり。
個人の情報提供により以下の関係資料があることが判明した。
「池田筑後守長発とパリ」(岸四郎著 岡山ユネスコ協会 1975)(国会図・岡山県立図蔵)
「文久航海記」(三浦義彰著 冬至社 1942)(国会図ほか蔵)
「文久航海記」(三浦義彰著 篠原出版 1988 複製)(県内公共図蔵)
古城孝治著「池田長発評伝」(「高梁川 48号」高梁川 流域連盟 1990)(国会図・岡山県立図蔵)
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
質問者区分
(Category of questioner)
個人
登録番号
(Registration number)
1000106158解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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