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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000105413
提供館
(Library)
豊中市立図書館 (2310050)管理番号
(Control number)
6000000424
事例作成日
(Creation date)
2009/05/02登録日時
(Registration date)
2012年04月29日 02時00分更新日時
(Last update)
2012年08月30日 16時49分
質問
(Question)
万葉集にも登場するという、豊中市北部にある島熊山(しまくまやま)の位置と高さはわかるか。
回答
(Answer)
現在の島熊山の三角点の位置は、北緯34度48分30秒東経135度29分6秒、豊中市立千里少年文化館付近。標高は115.7m。万葉集巻12に収録された「玉かつま島熊山の夕暮れにひとりか君が山路越ゆらむ」の歌に詠まれた当時の島熊山がこの位置であったかは不明。『新修豊中市史 第3巻 自然』では、中国縦貫道から大阪府立豊島高校にいたる緑地帯を島熊山丘陵としている。
回答プロセス
(Answering process)
『角川日本地名大辞典27 大阪府』では、島熊山を「豊中市の北東部、新千里西町2丁目の標高115.8m一帯にあったとされる山」とし、また異説として、『日本地誌』では山の範囲をもう少し広く考え、島熊山の三角点から北東方向の、市境上に位置する三角点(標高133.8m)を島熊山の標高とすると紹介している。
『日本地誌 15 大阪府・和歌山県』をみると、p22の千里丘陵と周辺台地の説明文中に、「この丘陵は北西部の島熊山(133m)付近で高く」とあり。またp234の豊中市の都市基盤の説明文中に、「千里丘陵は大阪層群のおおう、主として海成の粘土と砂礫の累層よりなる洪積台地で、島熊山付近の133mを頂点にして、南へゆるやかに傾斜する丘陵」とあり。

また『三省堂日本山名事典』では島熊山の標高は116メートルとなっている。さらに岡町図書館参考室所蔵の図歴地形図を確認すると、昭和25年発行分には112.3mと北東部の133.8mの二箇所の三角点の表記があるが、昭和44年発行分には後者のみで、112.3mの記載がない。

国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」 http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/ で、島熊山の四等三角点のデータが確認できる。標高115.7m、緯度経度もあり。豊中市街図と照合すると、豊中市新千里西町2丁目と緑丘2丁目の境界付近に該当。豊中市立千里少年文化館の近くである。

このほか、「広報とよなか」2000年8月の"お答えしますあなたの質問"に、「市内で一番高い所は島熊山だと聞いた。島熊山の場所を教えてほしい」との質問があり、当時の豊中市史編さん係からの回答として、「かつての島熊山の山頂は緑丘2丁目の中国縦貫道の北側にあったが、現在では山の姿をとどめていない」とあり。なおこの記事によると、豊中市域でもっとも標高が高いのは、箕面市との境界にあたる新千里北町2丁目付近。これを「基準点成果等閲覧サービス」で検索すると、阪急バス新船場南橋バス停付近にある芝の三等三角点(133.8m)に該当する。

『豊中島熊山の自然』(島熊山の雑木林を守る会、1991)p7「島熊山の歴史」によると、1964年以降、千里ニュータウンの開発に伴い、道路を作るために山は削られていったとのこと。『見てふれて感じて とよなか島熊山の自然』(島熊山の雑木林を守る会、2001)p34「島熊山いまむかし」では、1953年・1972年・1990年の島熊山周辺の図を見比べることができ、里山が削られていった様子がわかる。なおこれらの図には、112.3mの島熊山の三角点のほか、標高131.7mの地点や120.5mの三角点を認めることができる。現在の島熊山の三角点は、1972年時点で120.5mの三角点があった地点付近にあり。
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC 
参考資料
(Reference materials)
『角川日本地名大辞典』27 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編(角川書店)
『日本地誌』第15巻 日本地誌研究所/編(二宮書店)
『三省堂日本山名事典』徳久 球雄/編集委員(三省堂)
『豊中 島熊山の自然』島熊山の雑木林を守る会/[編](島熊山の雑木林を守る会)
『とよなか島熊山の自然』島熊山の雑木林を守る会 10周年記念誌制作実行委員会/[編](島熊山の雑木林を守る会)
『新修豊中市史』第三巻 豊中市史編さん委員会/編集(豊中市)
『豊中の碑』鹿島 友治/著(鹿島 友治)
『豊中 ありし日の景観』鹿島 友治/編(鹿島 友治)
キーワード
(Keywords)
島熊山(シマクマヤマ)
豊中市
地理
千里丘陵
万葉集
歌碑
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
『新修豊中市史 第3巻 自然』p12に、「開発される以前の千里丘陵の原地形は、北東部の高度133.79mをピークにし、島熊山(112.3m)、仏念寺山(90.2m)、待兼山(77.3m)などの小高い丘が連なっていた。」とあり。同書p.33の地形区分図中に島熊山(112.3m)が示されており、またその北東の箕面市との境界部分に133.8mの地点が記されている。
またp52の「第7節 歴史に名を残す山」の中に、「開発で姿を変えた島熊山」として記事があり、島熊山付近の開発によってかつての千里丘陵の山容が失われたことや、現在の島熊山付近の様子を見ることができる。なおこの節の「和歌に詠まれた山」では、島熊山が詠まれた万葉歌「玉かつま島熊山の夕暮れにひとりか君が山路越ゆらむ」も紹介されている。またこの歌の歌碑が豊中不動寺にあるとの記載があったため、『豊中の碑』を調べると、「1歌碑・句碑」の1に、豊中市緑丘2-14-8の豊中不動寺境内にある歌碑の記事があった。副碑に「住宅地開発によって豊中不動寺の東にあった島熊山の所在がわからなくなったことを惜しんで建てた」とあり。昭和41年建立。

このほか、『豊中 ありし日の景観』(鹿島友治)p69に「千里山」の項があり、桜井谷郷土誌等からの引用として、桜井谷村と熊野田村の境にあった山を千里山または(3つの峰があったことから)三蓋峰とも呼んだとあり。南の峰(112.3m)を島熊山、北の峰(131.7m)を番小屋山または大小屋と言い、中の峰には名がなかったため、やがて中の峰を三蓋峰と呼ぶようになったとのこと。昭和40年代には島熊山部分は開発が始まっていたが、番小屋山部分はふもとの造成のみにとどまっていたため、番小屋山を島熊山と誤る人もあったと地元出身の著者は記している。
調査種別
(Type of search)
文献紹介
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
一般
登録番号
(Registration number)
1000105413解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決