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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000102699
提供館
(Library)
滋賀県立図書館 (2110049)管理番号
(Control number)
滋2011-0820
事例作成日
(Creation date)
2012/11/30登録日時
(Registration date)
2012年03月03日 02時02分更新日時
(Last update)
2013年03月11日 00時30分
質問
(Question)
近江にあった坂本(さかもと)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。
回答
(Answer)
『滋賀県百科事典』によりますと、所在地など城の歴史は「坂本城は、大津市下阪本の湖辺にあって東南寺河口の三角州に位置していた。1571年(元亀2)織田信長は、山門焼打ち後の比叡山延暦寺の監視と反信長勢力に処するために明智光秀に坂本城の築城を命じた。城の規模や構造の詳細は不明だが、当時の日記『兼見卿記(かねみきょうき)』から大天主、小天主で構成された城は琵琶湖に面し、城内に湖水をひきいれた水城であったことがうかがえる。宣教師のルイス・フロイスは、坂本城は豪荘華麗で信長の安土城に次ぐ第2の名城として天下に有名であったことを、その著『日本史』に記している。城主の光秀は、1582年(天正10)6月織田信長を奇襲したが、10日後に光秀は敗北。その直後坂本城は、豊臣軍の先鋒堀秀政によってかこまれ落城した。その後、豊臣秀吉によって再建されたが、1586年(天正14)城主浅野長吉のときに城は大津へうつされた。1979年(昭和54)小字「城」の地が大津教育委員会によって発掘調査が行われ、安土桃山時代の瓦、土師器、陶磁器などの断片が数多く出土、さらに礎石建物・掘立柱建物、石組の井戸、溜升、溝、石垣の基礎石なども確認された。これらの坂本城の各種遺構は、光秀と再建した秀吉のいわゆる2時期に構築されたものと推定された。(木村至宏)」とあります。なお、文中の「大津教育委員会」は「大津市教育委員会」の誤植です。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本の建築  (521 8版)
参考資料
(Reference materials)
1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.314

2 大津の城 大津市史編さん室∥編 大津市 1985年 S-5211- 85

3 近江の山城ベスト50を歩く 中井均∥編 サンライズ出版 2006年 S-2900- 06

4 滋賀県中世城郭分布調査報告 9 旧滋賀郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1992年 5B-5200-9

5 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ

6 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734

7 新修大津市史 第3巻 近世前期 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1980年 S-2111-3

8 滋賀の戦国期城郭跡 塚本晋∥著 駒沢大学大学院史学会 1997年 5-5211- 97

9 織豊期城郭の瓦 織豊期城郭研究会∥編集 織豊期城郭研究会 1994年 SB-5200- 94

10 戦国の大津 大津市歴史博物館∥編集 大津市歴史博物館 2007年 S-2411- 07
キーワード
(Keywords)
坂本城
城跡
明智光秀
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000102699解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決