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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000102006
提供館
(Library)
愛媛県立図書館 (2110043)管理番号
(Control number)
97-B-10
事例作成日
(Creation date)
2012年02月21日登録日時
(Registration date)
2012年02月21日 11時59分更新日時
(Last update)
2012年08月30日 13時16分
質問
(Question)
第一次西条藩主一柳直興改易の理由が知りたい。(裏面史があればそれも)
回答
(Answer)
【資料1】【資料2】【資料3】【資料4】を照合検討する。
改易の罪状について、評定所申渡書(【資料3】-徳川実記-を引用)
一、一柳監物儀、不屈の子細これあるについて、上意の趣去月廿九日評定所に於て申渡候覚
一、禁中御作治始並に御移徒(移転のこと)前、両度上京致すべきの旨、御暇の前、仰せつけらるるの処、御移徒相済以後罷上候事
一、今度参勤の砌、煩ついて遅参の段、断の書状延引、且又参府後、気色様体年寄共(幕府老中のこと)まで終に相断らざる事
一、常々家中、並領内百姓等の仕置悪しく、殊更内証好色不作法の事
一、右之趣、重畳不屈に思召され候について、領地召上げられ、松平加賀守(金澤藩主前田綱紀のこと)え御預けなされ候  以上

-総括-
【資料2】は、何分にも史料がないのと、最初幕譴を蒙ったひとであるから、調査はきわめて困難である。と記し、【資料3】は、慶長から慶安までの50年間に、121家が改易、除封になった藩主名を幾つかあげ、徳川氏の支配の永続のため、巧妙な大名配置を行った。法度に違反したものと認めたと言って、親藩、普代であっても家をとりつぶした。小松、西條、川之江と同族領の連なることなど、不適当と認められたのではないか。処分する理由は、権力を有するものが如何様にも作成することができるものであることは、いつの時代でも変わりない。徳川実記に記載されたことをそのまま信ずことは、あまりに一方的な考え方であるとおもわれる。と締めくくっている。

【資料1】5号のp2に一柳氏略系図が掲載されている。

-罪状についての郷土史家の考察-
1.禁中御作事について
 【資料1】は一柳家史紀要中の加越能史談会理事太田啓太郎氏が修学院離宮を拝観したとき案内の宮内官から聞いた直話を引用。「・・・直興が幕譴を蒙ったのは・・・此離宮造営に関してのことてあるが、当時其奉行職たる京都所司代及其の助役たる直興は、皇室の式微甚だしきを嘆き、其の運営を幕府の設計よりも以上に立派に仕上げ、且つ離宮場内にある寺迄も立派に修造せしかば、頗る幕府の忌諱に触れ所司代は切腹してしまった。此に於いて幕府の老中は、残る一柳が勤皇の志あるを推察し、何とかして之を滅さんと思へども「事皇室に関するを以て、単に工事の予算超過と云う点を以てして罰することが出来ないから、それで軽微なる諸種の失行を集め、これを以て除封の罪状に処せるに至ったもので、普通ならば罰するに足らぬものである。
故に皇室から云えば、勤皇家であって豪も罰すべき人でない。」と云ふて居られた。又之れは口碑の伝ふる所であるけれども、直興自身も謫居中遇ふ人毎に「自分は罰せらるべき覚えなし」と云ふて居られたとのことであるし、又前田松雲公は直興に対し如何にも丁重に之を厚遇せられた。もしも直興が悪虐無道の暴主であったならば、斯様に優遇せられた筈がないと思ふ。・・・」
また、加賀藩史料(一柳監物殿御預等之一巻)直興受取人の一人の書簡の一節を引用。
「第三者、殊にその罪人受取人たる不見不知の者が『・・・惣てわるびれたる体なく、いかも神妙に息合い一つちがひ申さず・・・・じんひんのさわやかさ、終に後先承らざる物言にて』と言い『しかた物いひ誠に申すべき様も之無く』と感嘆し、これに見聞く一般の人々も感涙を流したと言うに至っては、これが-徳川実記-に『平常家臣並に領民をくるしめ』と云う罪状に相当する人であろうか、歴史を再検討しなければならぬ。」と述べている。

2.常々家中について・・・各資料は次の事件を挙げている。
・寛文4年工藤治兵衛ら11名を断罪にした大保木村の銀納事件○四忠士諫死事件である。
 【資料4】は銀納事件は弁解の余地はない。諫死事件については、口碑に残る話として、城池を堅固に築こうとして、密かに石材をあつめていたのが幕府に発覚した。このことに四人の諫死が絡み幕府に付け入る隙を与えたとも考えられる。と言う。
【資料2】は、西條常福寺にある忠烈四士の碑文には、直興の無道を誌してあるが大いに矛盾を見る。碑の建設もずっと後代に属す安政年間であるし、その時代は松平氏の治世であるから碑文をそのまま受け入れることもどうかと思う。慎重に考察した上にせなければならない。と述べている。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
四国地方  (218 9版)
参考資料
(Reference materials)
【資料1】 『東豫史談 第24号 先賢列伝 』 高橋彦之丞/著 西条史談会 1936年 <請求記号:K210 /4 /3>
【資料2】 『東予人物志 新居郡の巻 』 秋山英一著 燧洋出版 1936年 <請求記号:K281 /1>
【資料3】 『西條市誌 』 久門範政著 西条市 1966年 <請求記号:K291.5 /2>
【資料4】 『西條史談 第2号』 西條郷土史研究会 1984年 <請求記号:K215 /6>
キーワード
(Keywords)
西条藩 さいじょうはん
一柳 直興 ひとつやなぎ,なおおき
愛媛県-歴史 えひめけんれきし
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
事例出典『郷土資料に関する調査・相談事例集』 愛媛県図書館協会・愛媛県立図書館/編集 愛媛県立図書館 1997年
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000102006解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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