レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/1/26
- 登録日時
- 2012/02/04 02:00
- 更新日時
- 2012/02/04 02:00
- 管理番号
- 1000000524
- 質問
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解決
沖縄のことを古語でうるま島(うるわしき島)と呼んでいた時代があるが、それについての文献が知りたい。
- 回答
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下記の資料を紹介する。
『沖縄大百科事典 上 ア~ク』(沖縄大百科事典刊行事務局 沖縄タイムス社 1983年)
p332 「うるま」の項に、「琉球の雅名。識名盛命の『思出草』(1700年ごろ)にうるまの島・うるまゆり・うるまの国などとあるように、<うるま>は当時の沖縄や薩摩の文人のあいだで<琉球>の意で用いられた。砂礫島(ウルは粗い砂、マは島の意)の義、または島の地形がこおろぎ(ウルマー)に似ているところから呼称されたものかなどといわれるが、古く『狭衣物語』や『大納言公任集』など平安時代の文学では、<うるま>はことばの通じないところの意で用いられており、必ずしも琉球のことをさす語ではない。琉球の別名と解されるようになったのは、室町時代に、紹巴の註本『下紐』に<琉球をうるまの島と云と也>として以来のことらしい。」
『沖縄民俗辞典』(渡邊欣雄 吉川弘文館 2008年)
p71 「ウルマ」の項に、「・・・古くは平安時代の文学『千載和歌集』や『狭衣物語』などに『うるま』の記述があり、言葉の通じない場所として使われている。琉球の雅名になったのは、室町時代以降とされる。」とある。
『沖縄文化叢説』(柳田國男 中央公論社 1975年)
p23-32 「ウルマは沖縄の古称なりや」(伊波普猷)が収録されている。この中で、「『ウルマ』は果たして琉球の古称であろうか」と提起している。
『伊波普猷全集 第8巻』(伊波普猷 平凡社 1975年)
p603-p611 「「うるま」が琉球の古称に擬せられた経緯」の項がある。『思出草』(識名親方盛命)や『狭衣物語』、『大日本地名辞書』(東恩納寛淳)を参考にして記述している。
『南島風土記』(東恩納寛惇 沖縄財団 1950年)
p18-19「うるま」の項があり、うるまの由来について述べられている。
『東恩納寛惇全集 6』(東恩納寛惇 第一書房 1979年)
p1-356 「大日本地名辞書 続篇 第ニ 琉球」
p86 「ウルマ」についての記述がある。ウルマという言葉が使われているという『狭衣物語』や『大納言公任集』、『本朝麗藻』を紹介している。ウルマは琉球のことか、新羅の迂陵島のことか「真偽定かならず。」と書いている。
『宮良當壯全集 第15巻』(宮良當壯 第一書房 1981年)
p80-91 「うるま考」の項があり、ウルマという言葉は新羅の迂陵島(後の鬱陵島)であるのか、琉球を指すのか、あるいは蟋蟀を意味するのか、それらを歴史的に考察している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 沖縄大百科事典 上 ア~ク 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/1 332
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2 沖縄民俗辞典 渡邊 欣雄∥ほか編 岡野 宣勝∥編 吉川弘文館 2008.7 K38/O52/ 71 -
3 沖縄文化叢説 柳田 國男∥編 中央公論社 1947.12 K38/Y53/ 23-32 -
4 思出草 識名 盛命(毛 起龍)∥著 1700(元禄13) K95/SH34/ -
5 伊波普猷全集 第8巻 伊波 普猷∥著 服部 四郎[ほか]∥編 平凡社 1975.9 K08/I25/8 603-611 -
6 南島風土記 東恩納 寛惇∥著 沖縄財団 1950.3 K29/H55/ 18-19 -
7 東恩納寛惇全集 6 東恩納 寛惇∥著 琉球新報社∥編 第一書房 1979.12 K08/H55/6 86 -
8 宮良當壯全集 第15巻 宮良 當壯∥著 第一書房 1981.5 K08/MI79/15 80-91
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000101091