このページではJavaScriptを使用しています。お客様の閲覧環境では、レファレンス協同データベースをご利用になれません。

レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000098273
提供館
(Library)
滋賀県立図書館 (2110049)管理番号
(Control number)
滋2011-0787
事例作成日
(Creation date)
2012/11/30登録日時
(Registration date)
2011年12月16日 02時04分更新日時
(Last update)
2013年03月11日 00時30分
質問
(Question)
近江にあった石山(いしやま)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。
回答
(Answer)
『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「大津市石山寺一丁目」、創建者は「山岡資広」、形式は「山城」です。城の歴史は「石山城は、瀬田城主山岡氏が営んだものと伝えられている。その創建は、「山岡系図」(『寛政重修諸家譜』『近江栗太郡志』)によれば、瀬田城主山岡資広(すけひろ)(一四四二年没)が、隠居して瀬田城を嫡男景長にゆずり、石山の古城を修築して移り住んだことに始まるという。なお、この資広は剃髪して光浄院と号したといい、三井寺の光浄院は彼の再興によるものだということである。以後、瀬田城主山岡氏の砦の一つとして、天正年間(一五七三-九二)まで続いたようだ。「山岡系図」では、最後の城主は山岡景猶(かげなお)(玉林斎)で、天正十年七月、本能寺の変の際、兄の瀬田城主山岡景隆と共に明智光秀に抗し、瀬田落城と共に石山城も焼失したと伝えられる。ただし、この石山城については位置を示す史料がない。一方、前述の石山城との関連は不明だが、『信長公記』に石山築城のことがみえる。天正元年二月、「山岡光浄院」(景猶の弟景友、法号暹慶(せんけい))が、将軍足利義昭の誘いで反織田信長の兵を挙げ、石山に城を築いて、伊賀・甲賀衆を率いて籠もった。しかし、普請半ばにして、信長の重臣丹羽長秀・明智光秀らに攻め落とされ、城は破却されている。この後者の城の位置について、『近江輿地志略』は、瀬田川の西岸の伽藍山(がらんやま)の東麓にある石山寺(石山寺一丁目)にあったと記している。一方、『近江国滋賀郡誌』ではこれを寺辺村(石山寺一-二丁目、大平一-二丁目)南部の山上の財川(たからがわ)佐渡守(石山寺の公文所)の砦跡を修繕したものであるとしているから、この説では多羅(たら)川(旧、財川)上流の大平山(大平一-二丁目、石山団地付近)となる。なお、『近江国滋賀郡誌』によれば、同地には空堀が方二町ばかりにわたって残っていたという。」とあります。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本の建築  (521 8版)
参考資料
(Reference materials)
1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.287

2 大津の城 大津市史編さん室∥編 大津市 1985年 S-5211- 85

3 日本城郭辞典 鳥羽正雄∥著 東京堂出版 1995年 R-5218-ト

4 滋賀県中世城郭分布調査報告 9 旧滋賀郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1992年 5B-5200-9

5 信長公記 太田牛一∥原著 近藤瓶城∥編 佐藤書房 1972年 S-2800- 72

6 近江國滋賀郡誌 全 滋賀県∥[編] 宇野健一∥註訂 弘文堂書店 1979年 S-2910- 79
キーワード
(Keywords)
石山城
城跡
山岡氏
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000098273解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
Twitter

このデータベースについて
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。詳細

活用法

刊行物・グッズ
新着データ
最近のアクセスランキング
レファ協PickUP!