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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000098268
提供館
(Library)
滋賀県立図書館 (2110049)管理番号
(Control number)
滋2011-0782
事例作成日
(Creation date)
2012/11/30登録日時
(Registration date)
2011年12月16日 02時03分更新日時
(Last update)
2013年03月11日 00時30分
質問
(Question)
近江にあった三雲(みくも)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。
回答
(Answer)
『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「甲賀郡甲西町吉永」、創建者は「三雲氏」、形式は「山城」です。城の歴史は「三雲城は、甲西町の野洲川南岸中央にあり、石垣の一部を残す。三雲氏は、近江国守護六角氏の旗頭、軍代を勤め、長享元年(一四八七)の室町将軍足利義尚が全国諸大名に出した六角討倒令の際には、この三雲城が六角氏の亡命臨時本城として利用された。六角氏は、本城観音寺城の危険を感じると、甲賀に亡命し、たとえ本城が敵の手に落ちても、甲賀武士をはじめ、近在部将とともに抗戦する戦術を用いている。甲賀から直接観音寺城へ通ずる道を観音寺道といい、天文六年(一五三七)には六角承禎(義賢)、永禄十一年(一五六八)には六角義賢、義弼が当城に逃れてきており、観音寺城の奥城と呼んでもよい城である。巨石に「四目結」の六角家紋を刻してあることからもこれがわかる。三雲氏は、長享元年より六角氏の部将として活躍し、明国貿易にも関係し、代々勇名をとどろかすが、織田信長の上洛を阻止しようとする六角氏とともに野洲川の戦に敗れ、六角氏が信長と和睦しても、信長の配下に属さず、浪人となる。さらに織田信雄、蒲生氏郷に仕え、徳川幕府では、旗本一千石となる。(後略)」とあります。なお、甲賀郡甲西町吉永は現在湖南市吉永になっています。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本の建築  (521 8版)
参考資料
(Reference materials)
1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.283

2 滋賀県中世城郭分布調査 2 甲賀の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀総合研究所∥編 滋賀県教育委員会 1984年 5B-5200-2

3 近江の山城ベスト50を歩く 中井均∥編 サンライズ出版 2006年 S-2900- 06

4 図説中世城郭事典 第2巻 村田修三∥編 新人物往来社 1987年 S-5200- 87

5 甲賀郡志 下巻 甲賀郡教育会∥編 名著出版 1971年 S-2130-2
キーワード
(Keywords)
三雲城
城跡
三雲氏
甲賀武士
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000098268解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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