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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000098100
提供館
(Library)
滋賀県立図書館 (2110049)管理番号
(Control number)
滋2011-0732
事例作成日
(Creation date)
2012/11/30登録日時
(Registration date)
2011年12月16日 02時02分更新日時
(Last update)
2013年03月11日 00時30分
質問
(Question)
近江にあった肥田(ひだ)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。
回答
(Answer)
『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「彦根市肥田町」、創築年代は「大永年間(一五二一-二八)、創建者は「高野瀬隆重」、形式は「平城」です。城の歴史は「(前略)この城は大永年間に高野瀬隆重によって築城され、その子秀隆を経て秀澄のときの永禄三年(一五六〇)に、浅井氏と通じたことから、六角定頼・義賢父子の攻撃を受けた。このとき、この城の守りが堅固で、しかも難攻したことから、義賢は城の周囲に長さ五八町、幅一三間の土塁を築いて、宇曾川・愛知川の水を入れて水攻めを策したが、結果は堤防が決壊したために失敗に終わった。その後もこの城を落そうとした義賢は大軍を繰り出して攻略を試みたが、肥田城側でもその急を小谷城に伝えて援軍を得た。そして、ここに肥田表の戦が行なわれ、激戦の末浅井方が勝利を博して、その結果、犬上・愛知の二郡は浅井氏の手に属したのである。その後、永禄十二年には、この城は織田軍に敗れて開城し、天正二年(一五七四)には、信長の臣峰屋頼隆が入城、ついで同十一年には長谷川秀一が入城している。彼が文禄の役に従い朝鮮で病死したため、慶長年間(一五九六-一六一五)以後廃城となった。」とあります。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
日本の建築  (521 8版)
参考資料
(Reference materials)
1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.242-243

2 近江の山城ベスト50を歩く 中井均∥編 サンライズ出版 2006年 S-2900- 06

3 定本日本城郭事典 西ケ谷恭弘∥編 秋田書店 2000年 R-5218-ニ

4 滋賀県中世城郭分布調査 5 旧愛知・犬上郡の城 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県教育委員会 1987年 5B-5200-5

5 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734

6 近江名跡案内記 北川舜治∥著 北川舜治 1891年 S-2900-891

7 近江愛智郡志 第3巻 中川泉三∥著 弘文堂書店 1971年 5-2150-3
キーワード
(Keywords)
肥田城
城跡
高野瀬隆重
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
事実調査
内容種別
(Type of subject)
郷土
質問者区分
(Category of questioner)
社会人
登録番号
(Registration number)
1000098100解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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