レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/11/30
- 登録日時
- 2011/12/16 02:00
- 更新日時
- 2013/03/11 00:30
- 管理番号
- 滋2011-0793
- 質問
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解決
近江にあった壺笠山(つぼかさやま)城の所在地などのほか、その歴史を知りたい。
- 回答
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『日本城郭体系 11』によりますと、所在地は「大津市坂本本町字比叡山四二四四の二」、創築年代は「永禄・元亀年間(一五五八-一五七三)」、創建者は「浅井長政か」、形式は「山城」です。城の歴史は「(前略)壺笠山城がだれの手によって築城されたかは定かではないが、次のような理由から、浅井長政もしくは彼に味方する湖南の土豪がこの山城を築いたものと推定される。すなわち元亀元年九月の浅井・朝倉勢と織田信長との滋賀郡における戦いで、織田勢は浅井・朝倉勢を壺笠山に追いあげたといわれている(『言継卿記』『信長公記』)。また浅井・朝倉勢も織田勢を迎え撃つため、壺笠山に陣をとったと伝えられる(『信長公記』)。浅井・朝倉のうちでは、当時、浅井が高島郡にまでその勢力を伸張してきており、高島郡と隣接する滋賀郡のこの壺笠山城も、浅井によって築城されたと推定されるのである。本丸跡は、標高四二六mの山頂にあり、第一平坦面と第二平坦面の二つの部分からなる。第一平坦面は、南北三五m×東西三一mの楕円形で、第二平坦面は、この第一平坦面より四.五m低く、第一平坦面を幅四-八mでぐるりと取り巻く。第一平坦面と第二平坦面を結ぶ通路としては、北西部に一〇段の石段、北東部に「く」の字形の道が確認できる。本丸の東西には、数か所の郭跡とおぼしき平坦地が認められるが、特に西方の白鳥越えの道にまで通じる大手通路の南には、六-十二坪の郭が一〇か所ほど確認できる。」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 8版)
- 参考資料
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- 1 日本城郭大系 11 新人物往来社 1980年 S-5200- 80 p.296-297
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2 滋賀県中世城郭分布調査報告 9 旧滋賀郡の城 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 1992年 5B-5200-9 -
3 大津の城 大津市史編さん室∥編 大津市 1985年 S-5211- 85 -
4 近江の山城ベスト50を歩く 中井均∥編 サンライズ出版 2006年 S-2900- 06 -
5 近江城郭探訪 滋賀県教育委員会∥編 滋賀県文化財保護協会 2006年 S-2900- 06 -
6 信長公記 太田牛一∥原著 近藤瓶城∥編 佐藤書房 1972年 S-2800- 72
- キーワード
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- 壺笠山城
- 城跡
- 浅井長政
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000097918